はじまりは、数週間前──
コツ、コツ、コツ。
ローファーの靴音に合わせて、亜麻色の髪がなびく。
「ごきげんよう、みなさま」
「まぁ、
由緒正しい家柄の子息と令嬢が通う学園の正門において、ひとりの少女が注目をあびていた。
セピアの生地に、パールホワイトのサテンリボン。
上品なワンピース型の制服に身をつつんだ少女もとい
「あの凛とした立ちふるまい、さすがは学年主席の愛木さまというか」
「薔薇のように麗しい方だなぁ」
(好きでこうなったわけじゃないんですけどねぇっ!)
生徒たちへほほ笑みを返しながら、花梨は内心荒ぶる。
花梨をかこむ彼らの胸もとには、ハート型の『ゲージ』が浮かぶ。その色は、みな一様に黄色。
「本日もよいお天気ですね、愛木さま!」
黄色い歓声とは、このことを言うのかもしれない。
花梨が男女問わず
不思議なことに、花梨は他人の好感度を目で見ることができる能力をもつ。
道行く全員の胸もとに浮かんで見えるハート型のソレを、花梨は『好感度ゲージ』と呼んでいる。
『好感度ゲージ』はその名のとおり、相手の好感度に応じて緑から黄、橙、赤へと色が変化し、ハートも大きくふくらんでゆく。
(好感度が上がるよう立ち回ってたら、いつの間にかえげつない人脈ができあがってたのよね)
その結果、立って歩くだけで熱っぽいため息をつかれるような有名人になってしまったわけだ。
ちなみに、背景に薔薇を出す特殊能力はもち合わせていない。花梨が歩くそこに、たまたま薔薇園があっただけだ。何分、お金持ち学校なもので。
「はぁ……」
いつもどおり午前の授業を終えた、ある日のこと。
生徒たちは学園内の食堂へ向かう者と、弁当を持参しているため教室に残る者のふた手に分かれる。
後者である花梨は、母お手製のランチを机に広げようとしたところで、ため息を耳にした。
浮かない顔の主は、となりの席の女子だ。
「ご気分がすぐれないのですか? 医務室へおつれしましょうか?」
そう声をかけて、いや待ちなさいよ……と花梨は思いとどまる。
「あぁ愛木さま、お気遣いありがとうございます。つい夜ふかしをしてしまって」
そうだった。彼女の憂鬱なため息は、毎週金曜日のおなじみなのだ。
「正統派のプリンスはもちろんですが、奴隷あがりの従者や、孤独な魔王さまも外せませんわよね!」
「えぇと……例のアニメの?」
「はい! 毎週木曜日24時55分から放送の『花騎士セフィリア』略して『花リア』の最新話が、SNS上で早くも話題
推しアニメの続話が配信された。
そういうわけで、クラスメイトのレディーが、スマートフォン片手にため息をつく。
「はぁ……わたしも男装の麗人に生まれ変わって、すてきな殿方と燃えるような秘密の恋がしたいですわ……」
今季の話題作のため、花梨も『花リア』のストーリーはそれなりに知っている。
ゲームの悪役令嬢に転生したヒロインが、断罪ルートを回避するため奔走していたら、ひょんなことから男装して騎士団へ入団することになってしまう異世界ファンタジー作品だ。
「こういったジャンルでは、王子さまや公爵家のご嫡男など地位のあるヒーローと結ばれる展開が王道……ですが『花リア』に関しましては、奴隷の過去を持つ従者や、敵対関係にある孤高の魔王さまが、ヒロイン争奪戦のメインヒーローなんです!」
ほの暗い過去を持つがゆえに、それぞれヤンデレだったりS気味だったりする。
そして、そのヒロインへの執着や偏愛っぷりがファンのあいだでウケにウケているとか。なるほど、深夜帯でしか放送できないわけだ。
(現実で相手をするのは、遠慮したい部類ね)
花梨はうっかり口に出しそうになるところを、ぐっとこらえた。
いやはや、教師の目のないランチタイムとはいえ、蝶よ花よと愛でられたご令嬢も意外に俗物らしい。
(異世界転生……か)
たしかに夢見る乙女なら、きらびやかな世界で美青年との恋に憧れるだろう。夢見る乙女であるならば。
「とりあえず……個人的に、転生はおすすめしませんね」
「はい? なにかおっしゃいまして?」
「ひとりごとです。気にならさないでくださいな」
いけない、余計なことを。
なんでもないように装いながら、花梨は内心ひやりとしていた。
「そうですわ、父が経営するホテルで、新作スイーツビュッフェのメニューを試作しておりますの。ご都合がよろしければ、来月にご招待しても?」
「まぁ愛木さま、光栄ですわ。よろこんで!」
話題転換のために用意したカードは、効果てきめんだったようだ。
アニメ好きでスイーツ好きなクラスメイトが、歓喜のあまりほほを染める。
花梨は、彼女の胸もとへ注目した。そこではハート型の『好感度ゲージ』が浮かんでいる。
『好感度ゲージ』は彼女の感情に対応して、緑から黄へ色を変えた。
その摩訶不思議な光景に気づいているのは、広い教室内で、花梨以外にいない。
* * *
『待って! そっちはだめ!』
目の前で突然駆け出した白猫。
ひとりでに動く手足。
直後、キキィイインッ! と、頭が割れるようなかん高いブレーキ音に、すべてをかき消される。
「──いや……死にたくないっ!」
みずからの悲鳴で、花梨ははっと目を覚ました。
シーツはベッド脇へ跳ね飛ばされ、背中は冷や汗で異様に濡れている。
「夢……なのね。また、あのときの……」
状況を理解した花梨は、脱力。飛び起きた状態から、へなへなとベッド上でうずくまった。
花梨には、いわゆる前世の記憶というものがある。
といっても、ご令嬢が憧れるような異世界転生をしたわけではないので、この表現が正しいのかどうかはわからないが。
(『前』の
そうして苦労に苦労をかさねて大学を卒業し、ようやく社会人としての新しい一歩を踏み出した矢先、悲劇は起きた。
車道に飛び出して、自家用車にはねられてしまったのだ。轢かれそうになっていた白猫をかばってのことだったように思う。気づいたらからだが動いていた。
白猫を助け、花梨はたしかに命を落としたはずだった。
しかし目を覚ますと、なんの変哲もない大部屋で、幼いこどもたちと雑魚寝していた。
(起きたら、こどものときにすごした施設にいたんだもの。そりゃあ驚きますよね)
鏡を見て、花梨はどういうわけか幼少期に時間がまき戻ったことを理解する。
それだけではなかった。『前』の花梨にはなかったもの──他人の感情の動きが『好感度ゲージ』によって視認できる特殊能力に、目覚めていたのだ。
この特殊能力は、花梨に幸運をもたらした。
関わるひとびとの好感度が上がるように立ち回っているうちに、とある夫婦に気に入られたのだ。
その夫婦こそ、日本国内でも知らない者はいない有名ホテルを経営する愛木夫妻。
花梨は縁があって夫妻の養子に迎えられ、愛木グループのご令嬢となったのである。
(『前』の人生では、考えられなかったことよ。神さまはきっと、私にやり直すチャンスを与えてくださったんだわ)
そうと理解して、早5年。花梨は18歳に。
今でもときおり、思い出したように前世での最期を夢に見る。
(昨日は夜遅くまで課題をしていたから、疲れているせいね)
悪夢にはちがいないが、それ以上のことはない。
今は育ての親や学友に恵まれ、順風満帆の『2度目の人生』を送ることができている。
それでいいだろうと、花梨は自分に言い聞かせていた。
──あの日までは。