──夜空が、
満天の星のもと、爆音をひびかせて火の玉がはじけ飛んだのだ。
「グォオオオン……!」
大地を揺るがせる咆哮。漆黒のうろこに覆われた人ならざる巨体が、
「黒き龍、邪龍がすがたを現すとは……なんと不吉な」
過去数千年をさかのぼっても、平穏が脅かされた記録はない。
その仙界において、今宵、
「非常に残念だ、
焼け野原と化したあたり一帯を見わたし、
男の目前には、艶のある黒髪を土ぼこりでくすませ、焦げた地面にひざをついた青年のすがたがある。
黒髪の青年は、ひとりの乙女を腕に抱いていた。桃の花を思わせる淡い髪色で、人形のように動かない乙女だ。
「……
黒髪の青年、星藍が警戒をきわめたまなざしで、白銀の髪の男、燐を見上げる。
「そのかわいい妹分とともに道をふみ外したのは、きみじゃないか? 男女の色恋は、『
「阿妹が、
「色恋は負の感情を呼び起こす。そして負の感情を好物とする邪龍が、甚大な被害をもたらしたんだ。かばい立てはできない」
一歩、燐が歩み寄る。星藍に抱かれた乙女の華奢な肩から、シュウ……と立ちこめる
「阿妹……きみはいつも、星藍ばかりのために無茶をする。どうして、僕の言ったとおりにおとなしくしていてくれないんだ」
抑揚のない声でこぼした燐は、一変。
「呪いを受けた魂では、輪廻転生も苦痛でしかないはずだ。安心してくれ。彼女は、僕が救済してあげよう」
「魂の抹消が、救済だと? 笑わせる」
いいや、ちがう。燐が特別おかしいわけではない。
本当はとうの昔からわかっていたことだ。
仙界というこの箱庭自体が、異常なのだと。
「愛花に手を出すな」
ヒュウ……ビュオウッ!
つむじ風がまき起こり、それは猛烈な竜巻となって、またたく間に星藍らを飲み込んだ。
「血迷ったか……星藍!」
燐の叫びも、空を切るかん高い風音にかき消される。
「愛花、すまない……俺が至らぬばかりに」
暴風にもまれながら、星藍は腕に抱いた乙女へ顔を寄せる。
「この呪いが罪のあかしだというのなら、ともに受けよう。独りには、させない」
荒ぶる風のなかにありながらも、星藍の心は凪いでいた。
それはきっと、愛しいひとがそこにいるから。
「しばらくの別れだ。また会おう、愛花。来世でも俺は、きみを──」
星藍はほほ笑み、物言わぬ乙女の唇へ、唇をかさねた。
やがて、荒れ狂う風が消え去る。
静けさを取り戻した夜空で、ひとつ、ふたつと、星が流れた。
──
──
──
──
──
『五悩』滅せざるとき、すなわち身を滅す。
ゆえに、色を禁ず。
* * *
色恋沙汰とは、おそろしいものである。
生まれてこのかた18年、
──カラン、カラン。
銀のカトラリーが音を立てて、大理石の床にころがる。
100万ドルの夜景を一望するホテルのレストランが、静まり返った。
「まぁ、私としたことが!」
花梨はわざとらしく声をあげて、悪びれもせずにほほ笑んでみせた。
テーブル上には、手つかずのディナー。
冷ややかな表情を浮かべた青年が、向かいに座る花梨へ視線をよこした。花梨がナイフやフォークを落としたのは、本日2回目であるためだ。
(ふっ……われながら、マナー違反にもほどがあるわ。幻滅してくれておおいにかまいませんことよ!)
演出は完璧。おしとやかなレディーの仮面をかぶった花梨は、青年──
「たいへん申し訳ございません」
自然と深まる笑み。花梨が勝利を確信したとき、ぐっと、星夜が眉をよせた。
「そうだな。これでは食事どころではない」
低い声でつぶやいたきり、星夜が無言で席を立つ。
(きた……キタキタキタキターッ!)
花梨は脳内でガッツポーズを決める。徹夜で考案した『ドジっ子嫌われ大作戦』が成功したのだ。
(ついにやったわ。これで彼も…………あれ?)
期待をこめて目をこらした花梨は、ポカンと呆ける。
なぜなら、星夜の胸もとに浮かんだハート型の『ゲージ』が、縮まるどころか、ひとまわり大きくなった気がして。
(好感度が……いやいやそんな、見まちがいよ……)
ぱちぱちとまばたきをして、いざ。
だが星夜のすがたは、花梨がふたたび視線をやった場所とはまったく見当ちがいのところにあった。
「食欲がないんじゃないのか?」
「えっ……?」
いつの間にか、星夜が歩み寄ってきていた。片ひざをつき、花梨を見上げている。
「隈ができている。遅くまで勉強していたんだろう。きみは勤勉だからな」
「これはその、いろいろと作戦を練っていたからでして……」
「無理はよくない。まったく、俺相手に遠慮する必要はないと、何度言えばわかるのだか」
言い訳をならべる花梨だが、肝心の星夜が、それを言い訳だと認識してくれない。
(さっき不機嫌そうに眉をひそめてたのはなに? もしかして、私が体調不良を隠してるってかん違いして、不満に思ったとか……!?)
まさかの反応だった。花梨は絶句するしかない。
「これは俺のスケジュール調整ミスだ。模試が終わって早々ディナーに誘った俺が悪い。自宅まで送る。今夜はゆっくり休んでくれ」
「あのっ、
「無理はするな。世話くらい焼かせてほしい。なぜなら俺は──」
うやうやしく手を取られ、花梨もつられて立ち上がる。
そのとき、うっかり星夜を見上げてしまったのがいけなかった。
「俺は、きみの婚約者なのだから」
曇りなきまなざしを前に、花梨のほほが引きつった。
(だから……なんでこうなるのーっ!)
一匹狼のような近寄りがたさをかもし出しておいて、星夜はなぜか、花梨に甘い。
ふだんはクールな表情をやわらげて、少女漫画のヒーローのような言動を平然とかますのだ。
(
泣き出したくてたまらない花梨の心境など、星夜が知るはずもなく。
「さぁ、行こうか」
花梨を見つめる星夜の胸もとでは、ハート型の『ゲージ』が、あざやかな赤に色づいていたのだった。