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第14.5話 消えない桜色

 あれは、まだ高校一年生だった年の冬。

 昼休みに、段ボールいっぱいの書類を抱えたハルキを見つけて、声をかけた。

「おーい。見つけられてよかった、ハルキ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ、突然」

「あ、それ生徒会の資料か?」

「ああ。昼のうちに生徒会室に運んでおくように言われてな」

「ふーん。手伝うよ」

「ありがとう。……それで、聞きたいことって?」

「あ、そうだった」

 ハルキの持つ書類の半分を譲り受けながら、さっき聞いたばかりの本題を尋ねてみる。

 オレに声をかけた女子生徒が、言っていたこと。

「——今日、ハルキのこと好きな女子から聞いたんだけど。お前、好きな人がいるってマジ?」

 そう聞いた途端、ハルキの手元の書類がばらばらと零れ落ちた。

 はらはらと落ちる白いプリントを慌てて拾おうとしたけれど、落とした当の本人であるハルキが立ち尽くしたままで。大丈夫かなと思ってハルキの顔を見たら、目を丸くしたまま呆然としていた。びっくりしすぎたのか、完全に固まっている。こんなハルキを見ることはほとんどない。むしろ初めてじゃなかろうか。

……オレ、何か変なこと聞いたかな?

「……その話、どこから聞いたんだ」

「あ、やっと復活した。だから言ったじゃん。お前のことを好きな女子から」

 ハルキが落とした生徒会の資料を渡しながらそう伝えると、ハルキは戸惑ったように視線を揺らした。

 まあ、ナイショにしていた話が出回っているんなら、そりゃあ困惑もするだろう。まだ身体が固まったままのハルキを促し、二人で生徒会室へと一緒に歩いていく。廊下を進みながら、ほんの少し前に女子生徒から聞いた話を、そのまま伝えた。

「お前、『好きなやつがいる』って理由でフったことあるんだって? なんかその噂でもちきりらしいぞ」

 少し考える様子を見せて、ハルキは「そのことか」と小さく零した。どうやら納得したらしい。

 たどり着いた生徒会室の扉をガラリと開けると、中は薄暗くて誰もいない。ハルキの生徒会の仕事を邪魔するつもりはないけれど、このまま部屋の外で一人待っているのも気が引ける。手伝いという名目もあるし、今ならちょっと入ったって怒られないだろう。書類の一部を持って「お手伝いです」感を出しながら、部屋の中に足を踏み入れた。

 電気をつけずとも、この時間なら窓からの光で全然問題ない。部屋の中にある長机に書類を置いて整えながら、棚の中を何度も見て確認した。書類をちゃんと決まった場所に入れなければ、後でハルキが怒られることになる。

「オレ、全然わかんなくてさあ。お前が気になってるって子。……つっても、誰が好きだとか惚れてるとか、そいうのもあんまり分かんないんだ」

 まるで独り言のように喋りつつ、ごそごそと手元の書類から”これだ”と思うものを棚に入れていく。分類が分からないものに関しては、仕方ないから後でハルキに丸投げしよう。そんなことを考えながら、ふと養父母のことを思い出した。

「そういや前に、月島の父さんと母さんにも、似たようなこと聞いたんだ」

 あれは、月島の家に引き取られてしばらく経った頃。小学校高学年ごろだったような気がする。恋愛ごとに対する感性が育つのが早かった一部のクラスメイト達が、誰に告白した、なんて恋愛話をしていたのがきっかけだった。

 オレはそういったことに疎く、聡いはずの双子の兄はさっぱり興味がないようだった。だから結局、身近な例で一番聞きやすい養父母に声をかけたのだ。

「月島の父さんと母さんに、なんで結婚したか聞いたんだよ。付き合ったきっかけとか含めてさ。父さんは答えてくんなくて、さっさと部屋に引っ込んじゃってたなあ」

 結婚ってなに。二人はどうして結婚したの。その質問を聞いて早々に退散したのは父親の方だった。今思えば照れ臭かったのかもしれない。ぎこちなくその場を立ち去った父親に代わり、母親はくすくすと笑いながら答えてくれた。

「母さんがこっそり教えてくれた。お互いに告白とかなくて、気づけばずっと一緒にいたんだって。

結婚する時も、カッコイイプロポーズの言葉とかはなかったらしいんだけどさ。まあ、それはそれで父さんらしいや。

母さんとしては、これからの長い人生を考えて『隣に居させるにはコイツがいい』って思ったんだって。これも、あの人らしいよなあ」

 あの時の母さんのドヤ顔を思い出して、ちょっと笑ってしまう。

 結婚後のクサいセリフとか、甘酸っぱい想い出とか、そういうのがあったのかは知らないし、二人は教えてくれなかった。これからもだんまりなのかもしれない。けれど、二人の顔を見ていると、幸せなんだろうなっていうのはちゃんと伝わってくる。

だからこそ。自分にも、そういった相手ができたらいいなあと思うし。

 大切な存在であるハルキにも、そんな相手と幸せになってほしいと思うのだ。

「ハルキ、誰が好きか知らねえけどさ。さっさと告白して、彼女とか作れよ。お前なら、誰だって付き合ってくれると思うんだけどなあ」

「そんなことはないと思うが」

 珍しくハルキから速攻で反論がきた。怪訝な顔をするハルキに、オレは溜め息を吐く。全く、こいつは自分がいかにモテるかわかっていない。

 何度もお呼び出しを貰っている時点で、好意を寄せる人が多いという自覚は持ってほしいものだ。

 心外、とばかりに隣で真顔になるハルキに、オレは手元の最後の書類を棚に押し込みながら言った。

「そもそも何度も告白されてんじゃん。そりゃあ、誤解されやすいとは思うよ、ハルキ。言葉足りないし、不器用だし。だから 告白する子たちは、顔が好きだーってやつが多いのかもしんねえけど。

 お前自身のこと、ちゃんと知ってさえ貰えたらさ。多分、もっとちゃんと好きになってくれるよ。オレが保証する。ハルキ、いいやつだからさ。そしたら、お前の隣にちゃんと居てくれるんじゃねえかな」

 そこまで言った後に、ちょっと照れくさくなって笑った。恋愛事に詳しくないくせに、こんな話をすることになるとは思ってもみなかった。予想外だ。取り繕うように笑うオレを、ハルキはじっと見つめて、言った。

「……カズトは?」

「は? オレ?」

 想定していなかった単語が飛んできて、思わず片付けの手を止めた。オレが、つまり、どういうことだろう。文脈がよく分からなくて、首を傾げる。

 ほんの少しの静寂。ハルキはオレの目をしっかり見て、言った。


「俺のことは、カズトが知っていてくれたら、それでいい。俺が好きなのは、カズトだけだ」

「……は?」


——今、なんて?

 思考が停止する。時間が止まったような気がして、でも部屋の時計の秒針の音がやけにうるさく響いていた。

ハルキ自身も少し悩んでいるのか、視線を一度伏せる。窓から入る日の光が、ハルキの横顔を照らしたけど、目元は影になってしまってよく見えなかった。

 口を開いて、閉じて。紡ぐ言葉を選ぶように、して。そして、もう一度。


「俺は、カズトが好きだ」


 ハルキの発した言葉の意味が決して親愛ではないことは、ハルキ自身の表情が物語っていた。熱くて、真っすぐで、怖いくらいの想い。こんな視線をぶつけられたのは、初めてだった。オレの知っているハルキは、こんな顔をするやつだっただろうか。——それとも、今まで気づかなかっただけ、なのか。

「これからの人生を、一緒に歩んでほしい。

 俺は、カズトと一緒に居たい。お前の隣が、いいんだ」

 オレの、隣。

 そんなこと、言われるとは思わなかった。考えてもいなかった。

 頭の中がぐるぐるして。パニックになって。真っ白になって。何も考えられなくなって。

 身体を強張らせたオレに、ハルキの手が伸ばされて——オレは避けるように、身を引いてしまった。


 結論だけ言うなら、オレは逃げた。どうしたらいいか分からなかった。

『困らせる気はない。嫌だったら、断っていい』

 身を引いてしまったオレに、ハルキはそう言った。そんなことを言われても、余計に分からなかった。

 嫌、というのはハルキのことなのか。それとも、ハルキと特別な関係になることなのか。

 パニックで感情の整理どころではなくて、オレは逃げるように生徒会室を飛び出した。

 いつも四人で帰る道のりを、サクと二人で帰ったのは久しぶりだった。一人で帰りたい、と言ったオレに、サクは理由は聞いてこなかった。でも、何か察したらしい。あのクソ野郎、とかなんとかぶつぶつ言いながら、愁にメールしてた。ハルキには、連絡してなかったように思う。

 授業が終わった瞬間に、ハルキに会わないよう逃げるように帰った。


 それから、少し気まずい日々が続いた。

 ハルキは、高校でばったり会ったときは、特に変化もなくいつも通りだった。表情の分かりづらいアイツらしい。

 対してオレはあんまり取り繕うのが得意じゃなくて、分かりやすくまごついたりしてしまって。

 そんなオレを見て愁もサクもちょっと呆れたりして。

 ハルキは、やっぱり変わらなくて。


 そんな状態で、なんと気づけば年度まで越してしまった。冬だった景色が、いつの間にか春になっていて。雪がちらついていた空には、代わりに薄紅色が舞うようになっていた。

 サクと愁がしびれを切らしたのか、神様によるいたずらか。

 四月の始業式、桜が舞う道の下で、オレはハルキとばったり顔を合わせることになった。

「……カズト」

「は、ハルキ。久しぶりかな、はは……」

 取り繕うことが苦手な自分を心底恨んだ。忘れ物を取りに帰ったサクを待つためにここに居るけど、これは連絡して早々に離脱した方がいいかもしれない。いや、そうしよう。実測1秒くらいで心に決めた。

 しかし、オレがそれを行動に移すよりも、ハルキがオレの手を取るほうが早かった。その場を離れるために大きく振ろうとした手が、ハルキの手に掴まれる。幼い頃よりも大きく、硬くなった手のひらは、少し震えているような気がした。

「……カズト」

 あまり普段は聞いたことのない、懇願するような声。そんな声を聞いてしまっては、手を振り払うことなんて出来るわけがない。身体を強張らせたオレに、ハルキは再度言った。

「俺が嫌なら、そう言ってくれ」

——違う、と、とっさに言いかけて口を噤む。嫌ではないと、思っているのか。口をついて出そうになるほどには、オレは、ハルキを。

 でも、確証はなくて。本音なのか、自分でも分からなくて。もう、自分が何を思っているのか。どうしたいのか。どうすべきなのか。分からなかった。

「俺は、カズトと一緒に居たい、と思う。

 けど、それをカズトが望まないなら、オレは……」

 そこまで言って、ハルキは押し黙った。望まないなら、どうするっていうんだろう。

 戸惑って、困惑して。不安そうにするハルキを見て——なんだか、納得してしまった。

——ああ、全くもう。

 そんなことを言われて。そんな顔をされて。

 オレが引けるなんて、思うのだろうか。

「……バカハルキ」

 掴まれていない方の手で、今度はオレから、ハルキに触れる。

 触れた頬は熱くて、驚いて見開かれたハルキの瞳が、面白いくらいだった。


 恋とか、愛とか、そういうものは分からない。

 ただ、目の前の人に笑ってほしくて。

 愛されているのが、嬉しくて。

 同じ気持ちを返したいと願うくらいには——大切だった。


「——オレもお前のこと、ちゃんと好きだよ。察しろ、このバカ」


 あまりにも綺麗に晴れ渡った青空に、薄紅色の桜がふわりと舞っていて。その中に、大切な人は立っていた。見開かれた菫色が、青と桜によく似合っていて。

 お互いの温かさを確かめるように強く抱きしめあったのは、二人の臆病者だった。



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