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第13話 それもきっと、一つの形だった

「ほら、呼び出し代だ」

「ああ、ありがと。それはいいけど、どうしたんだよ、龍太郎」

 公園のベンチに座るオレに、龍太郎は冷えたカフェオレの入ったカップを渡してくる。すぐ近くのコンビニで売っているそれは、オレの好物だ。少し暑さが目立ってきたこの時期、冷たい飲み物はありがたい。両手で受け取れば、龍太郎はにこりと笑って自分用の缶コーヒーを開けた。近所の公園とはいえ、晴れた空の下だし、ちょっとしたデートみたいだ。

 久しぶりの仕事休み。突然オレたち双子の家、兼事務所にやってきた龍太郎は、オレに話があるということで外に連れ出してきた。そのまま公園までやってきたけど、龍太郎はまだ呼び出した理由を言わない。

 オレだけを連れ出した、ということはサクに聞かれたくない話、なのだろうか。

 そのくらいの予想はつくけれど、心あたりはさっぱりない。怪訝に思いながらカフェオレに口をつけていると、近くの家からピアノの音が聞こえてきた。この公園は住宅地の一角なので、周りには団地もアパートも一軒家もたくさんある。どこか近くの家で誰かがピアノの練習をしているのだろう。子供が弾いているのか、時々間違える音色がなんだか可愛らしかった。

「そういえば、こんな日だったな」

「え?」

「俺とお前が初めて会った時だ。」

「ああ、セントラルパークの」

 色々あって、アメリカに留学した時。セントラルパークのコンサート会場前で、龍太郎に声をかけられたのが出会いのきっかけだった。

 あの時はハルキと別れた——というか、こちらから一方的に逃げた直後で、メンタルが安定していなかった自覚がある。龍太郎と知り合えたことで、どれだけ救われたか。今でも頭が上がらない。

 当時のことを思い出して、懐かしさでつい頬が緩む。

「びっくりしたなあ。突然声をかけられてさ」

「日本語で話しかけたのに、つたない英語で返してきたときは笑ったよ」

「忘れろよ!!頼むから!!」

 掘り返された黒歴史に声を荒げたら、龍太郎は声を上げて笑った。人の必死の行動を笑うとはなんてヤツだ。まあ、オレでも多分笑うと思うけど。

 龍太郎も当時のことを思い出しているのか、懐かしそうに眼を細めて言った。

「あの時は、お前があんまりにも辛そうな顔をしていたからな」

「……そんなにオレ、酷い顔してた?」

「そんなに、だ」

 視線を合わせて真面目にそう言われると、色んな意味で恥ずかしさと申し訳なさがぽわぽわと湧いてくる。

それだけ気を遣わせてしまっていたことに、今更ながら『ごめん』と言いたくなってしまいそうだった。

 戸惑ったままのオレの頬に、龍太郎が触れる。労わるような指先は、酷く優しかった。

「今は、ちゃんと笑えるようになって。本当によかったよ」

「変なの。それは龍太郎が居てくれたからじゃん」

「……そうか」

 龍太郎は少し息を詰めて、嬉しそうに微笑んだ。

 吐き出される言葉にいつもよりも覇気がない気がする。少し震えているような気さえするのは、気のせいだろうか。

下ろされた龍太郎の手は、コーヒー缶をするりと撫でる。そういえばアメリカでも、龍太郎はコーヒー缶を飲んでいたっけ。色々と懐かしい気持ちになった。今日は、なんだか懐かしんでばっかりだ。

 青い空を見上げて、龍太郎は呟いた。

「それが聞けたから、十分だ」

「……何が?」

 その発言の意図が分からず、思わず首を傾げる。龍太郎は、オレの問いに返事をしなかった。

 ふいに立ち上がった龍太郎は、もう一口だけコーヒーを流し込んで、すぐそばのゴミ箱に丁寧に缶を放り投げた。そんな姿でも絵になるなあ、なんて眺めているオレに。龍太郎は、いつもの笑顔で告げた。


「別れよう、和兎」


「……は?」

「もう、俺たちはこういう関係じゃない方がいい」

「な、んで」

 あまりに突然の話で、茫然としてしまった。だって唐突すぎるだろ。

 言いたいことも聞きたいことも山ほどある。急にどうして、とか、きっかけとか、色々。

 しかし、次の龍太郎の言葉で、全部吹っ飛んでしまった。

「和兎。……わかってるだろう?」

 そう言って笑う龍太郎に、オレは、何も言えなかった。

——分かっているだろう。龍太郎のその言葉が何を指しているのか分からないほど、オレだって鈍感じゃない。

 ハルキとの再会。それが、オレと龍太郎にとってどんな影響をもたらしたのか。もたらして、しまったのか。


 ハルキと再会したパーティの夜。公園での告白。偶然、龍太郎がハルキと鉢合わせした日。婚約自体がほとんど誤解なのだと知らされた日。

 今まで適当に積み重ねて、それっぽくしていただけのパズルの面を、片っ端から崩されていく感覚だった。

 ここが違うんですよ、ここに新しいピースがあるんですよ、置いておきますね——そういう感じ。

 正しい絵柄は、そうなのかもしれない。それはそれでいいと思う。


——でも、それなら。

 今まで作り上げていた絵柄は、どうなってしまうのか。

 新しいピースが来たら。本来の絵柄がわかってしまったら。

 今まで作り上げて、大事にしていた絵柄は。なくなってしまうんじゃないか。


 分かっていた。このままではいられないってことくらい。

 それでも、考えるのが怖くて。声に出すことが、怖くて。どうしていいか分からなくて。

 新しいピースも、それを見つけた自分自身の気持ちも。見て見ぬフリをしていたんだ。


「和兎に惹かれたのは事実だ。その上で、俺は、ただお前に笑っていて欲しいと思ったんだ。

……もう、俺がいなくても大丈夫さ」

「そんなことない、だって」

 慌てて龍太郎のシャツを掴んで、どうにか声を絞り出す。

——四年だ。ハルキと別れて。アメリカに留学して。

 出会って。手を取り合って。

 その四年間は、決して軽くはない。

 確かに、オレの中でハルキの存在は大きい。けれど、龍太郎の存在だって大きいんだ。

 なんでそれがわからない。なんでそれが伝わらない。

 唇を震わせているうちに、龍太郎がシャツを掴むオレの手に触れる。優しく解かれたそれは、つまりは、やんわりとした拒絶だ。

「別に、二度と会わないってわけじゃない。電話もメールも通じるし、連絡があればいつだって駆けつける。友人、というのは、そういうものだろう?」

——友人。

 そう言い切られて、胸が苦しくなる。


「……そんな顔、しないでくれ。俺は、和兎に笑っていてほしいんだ」


 ハルキを大切に想っている気持ちは、きっと消えないけれど。

 龍太郎のことも、大事に想っている。

 どうして伝わらないんだろう。……いや、伝わっているのか。だからこそ、龍太郎は離れていくんだろうか。

——こういう気持ちが、失礼なのかもしれない。ふらふらと、どっちつかずの曖昧なことばかり。

 そうか、だから龍太郎も、嫌になったのかな。

 オレの考えてることなんてお見通しなんだろう。龍太郎は苦笑して言った。

「愛想をつかしたとか、嫌いになったとか、そういうのじゃない。

 和兎のことが大事なんだ。

 大事だからこそ——お前がお前らしく笑っていられるように、したいんだよ」

 龍太郎の言葉が、胸の中に重く積もっていく。頭の中がぐるぐるして。何も考えられなかった。

 分からないことは沢山ある。聞きたいことも、沢山ある。でもただ一つだけ。

 龍太郎の好意に甘えていたんだってことだけは、再確認できてしまって。胸が、締め付けられるように痛んだ。

 苦笑しながら、龍太郎はオレの髪に優しく触れた。


「泣きそうな顔をしないでくれ。……揺らぎそうになる。

 俺だって、少しくらい、かっこつけたいんだ」

 前髪払うように優しく撫でた龍太郎は、そのままそこに唇で触れた。

 やわらかい感覚から、温もりと、優しさが伝わってくる気がして。

 泣きそうになった目元を、龍太郎の指が撫でてくれた。



 一面の青が、夕焼けの色にかわりつつある空の下で。

 龍太郎が立ち去る後ろ姿を、オレは黙って見送るしか出来なかった。


 ごめん、と、ありがとうが、口の中で混ざりあって。吐き出せずに消えていく。

 好きになってくれてありがとう。

 大事に想ってくれてありがとう。

 つらい想いをさせてごめん。

 一緒に居る道を、諦めさせてごめん。


 まだ残っていたはずのカフェオレは、紙パックが倒れて中身が零れだしていた。

 重力のまま、茶色い水はゆっくりと地面にしみこんでいく。

 コップの中には、残らなかった。



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