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第12.5話 オレだけの特権

 小学六年生から、中学一年生になった。ただ学年がひとつ上がるだけ、ではなく、通う校舎そのものが変わるのはやはり気持ちの変化としては大きい。

 制服、というものにも初めて袖を通した。普通の公立の小学校だし、ずっと適当なシャツとズボンばっかり着てた。

 真っ黒い服に、立っている襟。袖は今後の成長を見越してちょっと大きくて、ダボダボする。小学生の時にちょっと憧れていた『学ラン』というものを今着ているんだと思っても、なんだか実感が湧かなかった。

 でも、こんなものか、と思って隣にいるサクを見てみたら、予想外に新鮮な感じがした。シャツにランドセルを背負っていた時とは違う。一気に『お兄さん』って感じがした。

「わあ、制服ってすっごいなあ」

「おい。オレを鏡代わりにすんな」

「いいじゃん。別に」

 どうせ同じ身長に同じ顔なのだ。しかも今は同じ学ランを着ている。鏡を見るのもサクを見るのも同じだろう。

 真っ黒い学ランを当たり前のような顔で着ているサクは、オレを見て顔を顰めた。

「顔は一緒でもぜんぜんちげーよ。お前、やっぱ似合わねえなあ」

「はっ!? そんなこと言う!? オレだって似合ってるだろ!」

「全然。馬子にも衣裳って感じ」

「おっまえ!! オレが馬子ならお前だって馬子だからな!?」

「お前らいつまで喋ってんだ!!早く朝飯食え!!」

 一階から怒鳴り声が飛んできて、二人して肩をびくりと震わせた。珍しい養父からのお叱りだ。怒ることは……それなりにある。怒りっぽい養父ではあるが、普段なら鎮火するのも早い。ここであの養父を怒らせたままにするのはまずいので、オレもサクも慌ててリビングのある一階に駆けおりた。


 ほとんど散ってしまった桜の花が、青空にふわっと揺れている。小学校と違って、全員が学ランとセーラー服を着ている入学式は、やっぱりちょっとだけ緊張した。

 式が終われば、自分のクラスを張り紙で教えられたので、そのまま自分のクラスへと向かう。流石に双子は別のクラスに割り当てられたものだから、ここで初めてオレは『独りぼっち』を感じることになった。

 ハルキは一つ上の学年。今までずっと一緒だった半身は、別のクラス。

 突然の心細さが襲ってきて、胸の中がきゅうと縮まるような感覚がした。

 そんな時、ふと、隣の席に座った人影が目に入る。ちらりと見えるセーラー服のスカートに、ちょっとドキッとした。そりゃそうだ。男子だって学ランなんだから、女子だってセーラー服にもなる。入学式で散々見たはずなのに、隣に来ただけでちょっと別のもののように見えてしまう。思春期か、オレは。

 挨拶くらいしようと顔を上げて、驚いた。そこに座っていたのは、今まで見たことのないほどの美少女だったからだ。

見られていることに気付いたのか、その女子はオレの方をちらっと見やった。別にやましいことなんてしてないのだけれど、視線が合って、思わず背中を伸ばしてしまった。

「は、初めてまして」

「おう、はじめまして」

……おう、って言った?

 アイドルかと思うような美少女なのだが、飛び出してきたのは随分と男らしい単語だった。心なしか、声も低めではあるような気がする。

 首を傾げたオレに、その子はにっこりと微笑んで、右手を差し出した。

「おれ、雨野愁。——オトコなんで、よろしく」



「いやあ、中々こんなに驚くことってないよなあ」

「そんな驚くことか?」

「まあ、想像は出来ないよな、普通」

 うん、と頷いてサクもオレに同意を示す。愁はさも当然のように「別に普通じゃね」と言い放った。全然普通じゃないと思う。

 入学式おわりのホームルームが終わって、速攻で愁をつれてサクのクラスにやってきたのだ。サクは椅子に座ったまま、愁が机に軽く腰掛けている。立ったままそれを見ているオレからしたら、美少女に絡まれる双子の兄って感じにしか見えない。

 サクが「へえ、もう女子と仲良くなったのかよ」なんてニヤニヤ笑って言ったところに「あ、おれ男なんで」って愁がかました時の、サクのあの驚きようったらなかった。まあ、先に愁からカミングアウトを受けていたオレの顔も、多分あんな感じだったんだろうけど。先に驚いてただけにすぎない。うん。

 既に一年生のみんなはだいぶ愁に驚かされていた。他にまだ事実を知らない人がいたら、ぜひ驚いてもらいたい。そんな悪戯心がふつふつと湧いてくる。そう思ってふと脳裏に過ったのは、一学年年上のハルキだった。そういえば、学校が始まってからまだ会いにいけていない。せっかくなら初日のうちに顔だけでも見せたいし、お揃いの学ランだって見せてやりたかった。

「あ、そうだ。オレ、ハルキんとこ見てくる」

「げっ」

「誰それ」

 愁が首を傾げた。それはそうだ。今日仲良くなったばっかりの愁はハルキのことなんて知るわけがない。ハルキの顔を思い出しながら、なんとなく分かりやすいように説明を入れた。

「同じ小学校の幼馴染。一歳年上だから、中二」

「ふうん。二年生ならクラスは二階か。一緒に行くか?」

「え?」

 突然の申し出に、思わず目を丸くした。確かにハルキに紹介したいとは思っていたが、愁の方から切り出されるとは思わなかった。愁はよいしょと机から腰を下ろしながら言った。

「もともと、部活は美術部に入るって決めててさ。美術部の部室、見ておきたいんだ」

「へえ! なるほど美術部かあ。よし、じゃあサクも」

「おれはパス。二人で行ってこい」

 誘いをかけた言葉に対して、食い気味にサクが拒否の姿勢を見せてきた。うん、予想はしていたので、別にショックではない。中学になっても変わらないんだなあという、いっそちょっとした呆れさえ感じる。

「はいはい、言うと思った。一応声かけただけだよ」

「なんだよ、何かあるのか」

 ちょっと戸惑いながら愁が尋ねてくる。細かく説明するのも面倒なので、席に座るサクを指さして端的にだけ伝えた。

「サクはハルキが嫌いなんだよ。会った時からずっと」

「……双子なのにそんな好感度に差があるのか…? なんで…? 初めて会った時になんかあったのか?」

「さあ……」

「行くなら早くいけ。オレは寝る」

 早々に机に突っ伏して寝る体制をとり、絶対に行かないという意思表示をする双子の兄に苦笑した。

 サクとハルキを会わせると空気が冷たくなることが多いので、サクが行かないならそれでも構わない。むしろ早く愁をハルキに会わせて、あのハルキが思いっきりびっくりするところを見せたかった。

 サクのクラスを出て、愁を連れて二階に上がる。そういえば、愁の言うように、初めて出会った時にサクとハルキに何かあっただろうか。首を傾げて考えてみるものの、特にめぼしい出来事は何もなかったように感じた。


 愁の用事である美術室を先に覗いてから、ひょこんとハルキがいるはずのクラスを覗き込む。ここは二年生のクラスなので、一年生である自分達よりはみんな背が高く、体格がいい気がした。

 クラスの中の雰囲気も、なんだか少し違う。入学式とは違う緊張感に、思わず身を固くした。

 一学年上のクラスに行く、なんて、別に小学生の時は普通のことだった。気を遣わなかったわけではないけれど、別にない話ではない。なのに、今はこんなに緊張して、誰に話しかけていいのか考えてしまっている。小学生の時はそんなの思ったことなかったのに、変な話だ。

 クラスの入口近くでコソコソしていると、窓の近くの席に座っているハルキの姿を見つけた。見慣れた姿に、つい嬉しくなる。学ラン姿のハルキは、去年一年で何度か見た。まだランドセルを背負っていた自分たちから、学ラン姿のハルキを見た時は、すごくお兄さんになったんだなあと憧れたものだ。

 そんな自分が、今はハルキと同じ制服を着て、同じ校舎に通っている。すぐにでも見せたくて、心が昂った。

「いた! ハルキ!」

 思わず小学生の時のように、手を振りながら声を上げると、周囲の視線が一気にこっちに集まるのがわかる。あ、やばい、と後悔しても遅い。若干恥ずかしいというか、怖いと感じるくらいだった。

 しっかりハルキも声で気づいてくれたようで、オレの方をみて目を丸くした。慌ててこっちまで駆け寄ってきてくれるのが、優しいなあと思う。

「カズト、こっちまで来たのか。帰りに迎えに行こうと思ってたのに」

「うん。せっかくだし、ハルキのクラス見てみたくて。それに、学ラン姿、先に見せたかったんだ。どうよ!」

「うん、良く似合っている」

 ぶかぶかの制服を、着ているというか被っているような形ではあるけれど、ハルキはしっかりと「似合っている」と言ってくれた。ふふん、兄よ。やっぱり馬子にも衣裳じゃあなかったぞ。

 そんな話をしていると、横の扉の影から、ひょこんと愁が顔を出した。

「へえ、この人がハルキサンか」

「……?」

 見慣れない人影に、ハルキが目を細める。明らかに困惑しているようだった。

 せっかくハルキを驚かそうとも思って連れてきたのに、つい愁の紹介をするのを忘れていた。急いでハルキの前に愁を立たせるようにして紹介する。

「ハルキ、こいつは愁。同じクラスなんだ」

「ドーモ、雨野愁っていいます」

「……どうも」

 お互いに機械的な自己紹介に苦笑する。まあ初対面だし、学年は違うし、こんなものかもしれない。

 しかし、問題はここからだ。怪訝な顔で愁を見るハルキに、にやりと笑って伝えた。

「なあ、ハルキ。こいつさ、これで男なんだよ」

「これでってなんだよ。フツーに男なんですけど」

「いや、全然フツーじゃないって。フツーだったらもっと似合わないって」

「失礼だなお前」

 愁に小突かれて、苦笑しながらハルキを見てみると、何故か不機嫌そうな顔をしていた。

「……随分、仲良くなったんだな」

 あれ、そこ? まずは愁が男であることに驚くもんじゃないの?

 予想外のハルキの反応にちょっと驚く。というか、愁に対してちょっと嫌そうに目を細めるハルキが珍しい。

「なあ、ハルキ。なんか怒ってる?」

「別に、何も」

「……ふーん」

 不機嫌な様子のハルキを見て、愁は何かに納得したように、ゆっくりと何度か頷いた。

 どうしたのか聞こうとしたところで、ハルキのクラスに置いてある時計がそろそろいい時間を示しているのが見えた。あと1分もしないうちに、クラス担任によるホームルームが始まってしまう。

「あ、やべ、そろそろ休み時間終わるわ。じゃあハルキ、また後で!」

「ああ」

 入学式の日から、出歩いて遅刻がどうなんて言われたくない。

 割と全速力で走ったからだろうか、愁とクラスに戻った時には、まだ担任は来ていなかった。慌てて椅子に座って息を吐く。

「よっしゃセーフ!」

「はあ、ギリギリだな。よかった」

「ほんとにな。あ、愁。よかったら今日一緒に帰ろうぜ。ハルキとサクも一緒だからさ」

 愁が通学に自転車を使っているのか、それとも歩きなのかは知らない。けれど、せっかく仲良くなったのだから、少しの距離くらいは一緒に帰ってみたいと思って。だから声をかけたのだけれど、愁は意外と悩む様子を見せた。

「あー……おれパスしようかな」

「え? ……そっか……」

 声色が思わず落ち込んでしまう。今日一日で仲良くなったと思ったけど、それは自分だけだったんだろうか。落胆の色を滲ませているのがわかったのか、愁が慌てて手を振って否定した。

「ああ違う違う。そんなしょんぼりした顔すんな」

「しょっ……してないやい」

「お前すぐに顔に出るもん。分かりやすいんだよ」

 すぐ顔に出る、というのはサクからもハルキからも散々言われてきたことだ。それは事実なのだろう。不満ではあるけど。そう考えていると、愁が少し言いづらそうに二階の、ハルキのクラスがある方に視線をやった。

「お前じゃなくて、あのハルキさんな」

「ハルキ?」

 ここでハルキの名前が出るとは思ってもみなくて、目を丸くした。確かにさっき紹介はしたけれど、ここで名前にあがるほど、何かあっただろうか。

「なあ和兎、おれがお前と仲良くしてた時のあの人の顔みたか? 恋人を取られたのかってくらいこっわい顔してたぞ」

「……そうなの?」

 見ていた気がするけど、そんな顔だったかどうかは覚えていないし、そういう表情をしていただろうか。

 きょとんと首を傾げて返せば、愁はオレに対してか、それとも一階上にいるハルキに対してか、呆れたようなドン引きするような視線を向けてきた。そんな顔をされる理由はさっぱりわからない。

「まあ、そういうわけで。今日のところは一人で帰るさ。今日はな。また今度、誘ってくれ」

 そう言ってひらひらと愁が手を振るのと同時に、担任がクラスに入ってきたので、話は打ち止めになった。HRが終わった瞬間に、宣言通り愁はさっさと一人で帰ってしまって。あとで隣から迎えにきてくれたサクが「お前ら、仲良くなったんじゃなかったのか?」なんて言ってきたから、ちょっと脇腹を小突いておいた。


「なあ、ハルキ」

「どうした」

「愁のこと嫌いか?」

「…………」

「ははははっ、なにそれ、なんかあったのかよカズト」

 オレと、サクと、ハルキ。並んで帰るのは、小学生の時から変わってない。変わらなくて、よかったと思っている。変わったのは、みんなの着ているものが制服になって、持ち物がランドセルから通学カバンになったくらいだろうか。

 オレとサクよりも一年早くそのスタイルになっているハルキは、愁の名前を出した途端、やっぱり少し不機嫌になった。それを見て、サクはまた声を出して笑い始める。

「愁が言ってたんだ、お前がすげー顔してたって。恋人をとられたみたいだったって」

それを聞いたサクが、今度はめちゃくちゃ微妙な顔をした。今日はやけに双子の兄が百面相をする日だ。

「ハルキ。愁だって大事な友達なんだぞ。よくわかんねーけど、こえーことしないでくれよ」

「…………分かった」

 渋々、といった感じで、ハルキは頷いた。なんでこんなことをオレが言う必要があるのかはさっぱり分からないけど、まあ、これで愁とも仲良くできるならいいだろう。

 翌日から、帰り道にたまに愁も加わることになった。服装はやっぱり独特ではあるけど、すごくイイヤツだってことは明らかで。サクは直ぐに仲良くなったし、ハルキもじんわりと心を許していったような気がする。


 小学生から、中学生になって。

 服も、持ち物も変わって。

 三人から、四人になって。

 全く同じではないけれど、変わりながらも、続いていく。

 それはまるで、四人が見上げた空の色と、同じようだった。





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