休みの日に色々あったりしたものの、平日になってしまえばオレもサクもいっぱしの社会人なわけで。特に起業したてのもんだから、やることは果てしなく多い。無限に湧いて出てくると言っても過言じゃないだろう。
ありがたいことに、オレには優秀な相棒がいるので、かなり楽をさせてもらってる方だとは思う。同じDNAとは思えないくらい、サクは仕事が早い。すげーなあってぼうっと見ていたら、「早く仕事しろ、社長」って怒られた。嫌味か。
多忙のせいか、それとも今までの色んなことのせいか——若干あたりのキツいサクと一緒に仕事して、家事して、寝て、っていう生活が続いてる。平日ってなんでこんな長いんだろう。
やっと今日の分のタスクが終わって、パンクしそうな頭のまま自室のベッドに倒れこんだ。あと寝るだけとはいえ、まだ着替えてもいないし歯も磨いてない。このまま寝てしまいたい……
若干うつらうつらしかけてたら、枕元に置いてあったスマホが大きく震えて目が覚めた。端末が長時間震え続けているので、メールではなく電話のような気がする。仕事の書類にミスを見つけたサクが、過去にもこの時間にキレ気味に電話をしてきたことがある。これはサクかもしれないなと、慌てて電話をとった。
「はい、もしもし」
『カズトか』
端末から聞こえてきたその声に飛びあがる。一言ですぐ分かる。元カレで、三回くらい偶然会って、先日のカフェではその手を振り払った——ハルキだ。
しまった、液晶画面の名前を確認しないまま電話に出た。あんなことがあった後で、ハルキの電話にどう対応していいか分かるわけない。咄嗟に、おそらくその場で一番の愚策をとってしまった。
「あ、ええと、えと……ちげえよ、オレだってわかんねえのかよ」
『……相変わらず朔の真似が下手だな』
即興の物まねはあっという間に看破された。うるせえやい、と脳内で毒づく。はああああ、と思わず大きなため息を吐いてしまった。ハルキには、サクの真似は通用しない。オレが下手っていうのもあるけど、ハルキはオレとサクを間違えたことなんてない。そんなハルキに対して、オレがサクの真似をするなんて愚策もいいところだ。やってしまった。
「……どうせ下手ですよ。ていうかこの番号、どっから知ったんだよ。オレ、高校の時からケータイ変えたはずだけど」
『朝日子から送られてきた。お前、朝日子とスマホで何かやりとりしただろう』
「……した、かも」
そういえばカフェに立ち寄る直前、道が分からないからマップを送ってほしいとか言われたような。その時にショートメールを使って……ああ、あの時に番号を教えたっけ。あれしかスマホの使い方が分からない、というから教えたけれど、つまりはハルキに教える番号を獲得するためだったわけで。本当に強かだなあ、あの人。
盛大なため息を吐いてべちゃりと布団に潰れたオレに、ハルキは遠慮なく話しかけてきた。
『少し話したい。いいか』
「……オレは何も話すことないけど」
布団に埋もれた形のまま、もごもごと返事する。早々に通話を切ってしまえばいいのに、なんとなく、それは出来なくて。かといってマトモに会話するのもアレで、布団に半分顔を埋めたまま話してしまった。
貰った電話を叩き切るなんて常識的にどう、とか、そういうのもあるけど。
寝起きで頭が働いていないこともあって、要領を得ない返事しか出来ないでいると、今度のハルキはちょっと引き下がった。
『……じゃあ、世間話でいい。ただ、話したいんだけなんだ』
「世間話、って」
それ、こないだのお前のイトコと同じ会話の始め方だけど大丈夫か? て思い出して、思わず吹き出してしまった。
この間はあまりに険悪すぎて本当に親戚なのかなって思っていたけど。やっぱりちょっと似てるんだ、この二人。
埋めていた布団から顔を上げ、ベッドの上に座り直した。
「ハルキ、今、朝日子さんとちょっと似てた。あの人は元気?」
『朝日子? 元気なんじゃないか』
「なんだよ、知らねえの?」
『別に毎日連絡をとりあうような仲じゃない。今までだって、親戚の集まりでたまに会う程度だ』
「へえ」
ハルキの声色が少しだけモワモワしてて、面白い。朝日子さんの話題を出すと、ハルキは若干不機嫌になる気がする。これは朝日子さんが嫌いというより——嫉妬、しているような感じだ。多分。ちょっと可愛いなと思ったりなんだり。
『俺の母親が、朝日子の母親の姉なんだ』
「ああ、それで」
ハルキのお母さんは、昔一度だけ見たことがある。ハルキと同じ綺麗な黒髪で、凛と背中が伸びた人だった。ただ、ハルキのお母さんはザ・寡黙、って感じだった気がする。朝日子さんの方がニコニコ笑って強かな感じだ。
「すっげー美人さんだよな、朝日子さん。芸能人かなんかかなって最初思った」
『……そうか?』
「ハルキ、お前あまりに身近過ぎて感覚狂ってるんだって。おかーさんにしろ、朝日子さんにしろ、さあ。
ああそういえば、雪子ちゃ……雪子さんは、どうしてるんだ?」
何度か会ったことのある、ハルキの妹を思い出した。血筋だろうか、今思えば朝日子さんとも少し似ている。ハルキと違って感情表現が豊かでしゃっきりしているところなんて、特にそっくりだ。あの子が成長しているなら、きっと朝日子さんとよく似ていることだろう。
まだ小さかったころは、たまに顔を合わせた時に「雪子ちゃん」と呼んでいたけど、記憶が正しければあの子ももう成人している。ちゃん、で呼ぶのはなんだか恥ずかしい気がして、慌てて言い直した。
『雪子は去年結婚した。今は子供もいる』
「マジで?!」
夜もいい時間なのにも関わらず、思わず大声を出してしまった。オレの覚えている雪子さんと言えば、ちょっと人見知りで臆病で、でも慣れると人一倍よく喋って、オレたちの後をついて回っていた子だった。ハルキとの仲は、ちょっと複雑みたいだったけど。
あの子がもう結婚していて、まさか子供までいるなんて。なんだか想像がつかない。
『生まれたのは女の子だ。まだ一歳にもなっていないと思う』
「へえええ、そっかあ……赤ちゃん、可愛いだろうなあ。雪子さんの娘で、お前にとっては姪っ子だろ? きっとかわいいよ」
『……写真は、見せてもらったな。そういえば』
「おい、会ったことないのかよ。姪だろ。ちゃんとしろよ、おじさん」
『向こうの家に嫁いだ形なんだ、こっちの家には顔は出しづらいんだろう。多分、こっちの……星空の父さんも、顔を合わせたことはないと思う。母さんはどうか、分からないけど』
「そっか……」
ハルキの家の父親は、オレもよく覚えている。見かけた回数は少ないのによく覚えているということは、それだけ印象が強かったということだ。
一切の誇張なしに言える。ゴミを見るような目で見られた、と。自分の息子の友達にそんな目を向けるかって、当時は本気でびっくりしたし、理由も分からなかった。でも、ハルキと長く過ごしていくうちに、ちょっとずつだけど理解した。あの人は、月島和兎というオレ個人が嫌いなんじゃない。自分の——というか、『星空家』の邪魔になる人が、とことん嫌いなのだ。ハルキは星空家の跡継ぎだ。一般人の友達を作るなんて、とか思っていたんだろうなって気がする。
——ましてや、それが数年後に恋人にまでのし上がってしまったんだ。だから、イトコを婚約者として無断であてがうなんてことも、してしまったのだろう。
ハルキの家のことを考えるたび、そもそも付き合いだしたのが無理のあることだったんじゃないかと思ってしまって。少しため息に重みが出てしまいかけたところで、ハルキが『あ』と声をあげた。
『そういえば』
「ん?」
『今ので思い出した。カズト、お前最近愁に会ったか』
「へ、愁?」
ハルキから愁の名前が出てきて、驚いた。オレが留学するにあたってスマホを替えた時、新しい番号を教えた人は家族を含めても多くはない。絶対にハルキに番号を漏らさないと断言できる、数少ない人たち。その一人が愁だった。
中学に上がってから仲良くなった、雨野愁。中学に上がるタイミングで引っ越してきたという愁が、その入学式でオレたちと仲良くなってからが、高校までずっと一緒だった。美人だけど独特な服装をしていて、その中身は誰よりも男らしかった。
ハルキには新しい連絡先を伝えないで欲しいと言ったら「別にいいよ。そもそも人の連絡先を勝手に教えるようなマネしないし」ってさらりと返された。相変わらず、本当に男らしい。
オレとサクに連絡がとれないとなったなら、ハルキは共通の友人として、次に愁に連絡をとろうとしただろう。それでも今日の今日までハルキがオレに電話できなかったことを考えると、愁はしっかり約束を守ってくれたらしい。
そんなわけで、きちんと新しい連絡先を教えていた愁とは、今でもそこそこ連絡はとりあっていた。というのも、だ。
「会ったというか、連絡はとったなあ。今オレとサクがやってる会社のロゴ、あれデザインしてくれたの愁なんだよ」
『へえ、それは知らなかった』
「別にお前以外に言ったってわかんねえじゃん」
古い知り合いと連絡をとりあうことも無くはないが、会社がどう、ロゴがどう、なんて話をする機会なんて早々ない。ハルキはオレがどの会社の社長としてあの場にいたか知っているし、ロゴについてもすぐにピンとくるだろう。あれをデザインしたのが旧友だとバラせたことは、この再会で唯一良かった点かもしれない。
懐かしい話は、自然と頬が緩んでしまう。
こんなに楽しいと思ってしまってはいけないのだけれど。
気づけば、この電話を切ろうとしていたことさえも、忘れてしまっていた。
『なあ、カズト』
「なんだよ」
通話の向こうで、ハルキが言葉を詰まらせる。ここまでスムーズだったのに、ここで詰まる理由はあまりよく分からない。首を傾げるオレに、ハルキは再び言った。
『カズト、俺は——……』
「……あれ?」
プツッという音とともに、ハルキの声が切れた。突然の無音。怪訝に思いながらスマホの画面を見ると、赤い電池のマークが点滅していた。
「あ、やべっ」
つまるところ、電池切れだ。枕元に置いてあったスマホは寝る時のアラームにしてばっかりで、ろくに充電してなかった。
話の途中なのにヤバイ、と思って慌てて充電器に差そうとしたところで、ふと、我に返った。
そもそもは、間違えて出た電話だった。ハルキからの電話だと分かっていたら、出ただろうか。正直即答できない。
優柔不断な自分に、苛立つ。「出てはいけない」と即答しなければいけないのに、なんで今慌てて電話を掛け直そうとしてしまったんだろうか。
スマホを充電器に差して、でもあえてその上にクッションをボフンと乗せた。電話が使えないのはまずいから充電するのであって、電話を掛け直すためではない。ハルキからの電話に出るためでもない。そう自分に言い聞かせた。
結局何も準備することなく、そのまま布団にもぐりこむ。何も聞こえなくていいと、布団にくるまって耳まで塞いだ。
さっきの電話は、楽しかった。楽しいと、思ってしまった。
何してるんだろう、オレ。
楽しい思い出と、そのせいで湧き上がってくる自己嫌悪で、頭がいたくなりそうだ。
何も考えたくなくて、そのままゆっくりと布団に意識を任せていった。
仕事に熱中すること、はや数日。ようやく迎えた休みの日。唐突にインターホンが鳴ったかと思えば、画面越しに見えたのは龍太郎の姿だった。全然約束とかした覚えがなかったから、何か忘れてるんじゃないかって必死で記憶の海を漁った。
誰、とリビングから聞いてきたサクに「龍太郎!」と慌てて答えて、家のドアを開ける。やっぱりデートかってくらいしゃんとした服を着てて、オレの記憶喪失説が更に高まった。
「カズト、おはよう。急に悪いな」
「びっくりした、龍太郎。どうかした? 今日、会う約束してた日だっけ。オレ、待ち合わせ忘れてた?」
慌てて尋ねると、龍太郎は微笑みながら「いや、勝手に来ただけだ」と告げた。
「ちょっと話したいことがあって。今いいか?」
「? うん、いいけど」
そう答えると、龍太郎がホッとしたような、でもどこか寂しそうな顔で笑ってた。
きっと、こうなることが分かっていたんだろう。
分かっていても、そうならなければと、願っていたのかもしれない。
ただ一つ言えることは。
この背中を、こんなにも優しく、力強く押してくれる人がいるってことだった。