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第9.5話 それは夏の色をしている

 アメリカで出会った龍太郎とは、日本に帰国する時期もほぼ同じだった。オレとサクは帰国子女扱いで大学に入り、龍太郎も本来の大学に戻った。一応オレと龍太郎はお付き合いをしているということで、その後もそれなりに連絡を取り合っていた。

 何度か三人で会ったし、二人でも会った。どれも≪デート≫という形になるほどのこともなかったのは、まだお互いに色々と距離感を測りかねていたからだと思う。

 そんなある日、龍太郎からわざわざ「渡したいものがあるんだが」なんて電話を貰った。

 渡したいもの、なんて見当がつかなかった。一応学生として先輩にあたるわけだから参考書の類か、はたまた恋人としてのプレゼント的なものか。特別に何か貰う心当たりは特にない。因みに誕生日である七月七日はこっそり過ぎてしまってたけど、実はまだ日付は伝えてなかった。いつか誕生日について聞かれた時、怒られるかもしれない。

 まあ、そんな大したものではないだろう——なんて考えで当日龍太郎に会ってみれば、「土産だ」と渡されたのは、やけにでかいビニール袋だった。

「なあ、龍太郎」

「どうした?」

「お土産は嬉しいんだけどさ」

「ああ」

「……なんで、野菜なんだ?」

 そこそこ人のいる駅前。手渡されたのは、白いビニール袋。その中に見えたのは、いっぱいの野菜、野菜、野菜。トマト、キュウリ、ピーマンあたりだなっていうのは分かる。そうか、ちょっと早めの夏野菜。うん、なるほど分からん。

 若干不揃いというか、個包装されてないというか。スーパーで今買ってきました、とは少し違う感じがする。

というかこんなに野菜持ってきてどうするんだ。食べられるけど。双子で二人暮らしなものだから、食料は確かにありがたい。しかし、行動の意味と理由はさっぱり分からなかった。

 頭上に「?」を何個も浮かべる俺に、龍太郎はサラッと言い放った。

「言ってなかったか。家で野菜を育てているんだ。それのおすそ分けだ」

「……はあ?!」

 野 菜 を 育 て て い る 。

 驚きすぎて素っ頓狂な声を出してしまった。野菜を作っている。龍太郎が。初めて聞いた。

 そもそも龍太郎の実家は海財閥といって……つまり金持ちだ。会社もいっぱいあるらしい。それはつまり、龍太郎の家は決して農家ではないということで。

 それならば、これは龍太郎個人が育てている野菜ということだ。この背の高い優男イケメンが。家で。野菜を育てている。……本当に?

 若干パニックを起こしかけていると、龍太郎が不思議そうに尋ねてきた。

「そんなに気になるか?」

「気になる。見たい」

 食い気味に即答した。だって見たいに決まってるじゃないか。そこらの女の子なら速攻で陥落しそうなこの顔で、せっせと野菜を育てている姿……!

 前のめりになるオレに、龍太郎はちょっと考えて、ええと、と口に出した。

「……じゃあ今度、俺の家にある畑、見に来るか?」

「行く!」

 多分、出会ってから初めてじゃないだろうか。こんなに困った顔の龍太郎を見たのは。

 そして家へ誘われたのも、それを即答したのも、初めてだった。


 野菜ショックから一週間後。来ちゃいました。家。

 今更ながら、付き合ってる男の家に来てよかったのか? リテラシーとは? とも思ったが、残念なことに好奇心には勝てなかった。因みに隣にはサクもいる。「龍太郎が家で野菜育ててるんだって」と言ったら「は? 見る」と速攻で乗ってきた。そういうとこはオレと双子なだけある。興味のある場所が全く同じだ。

 実家と離れて一人暮らしている龍太郎は、バイトしながらアパートを借りているという。いいとこのお坊ちゃんなはずなんだけど、龍太郎はなんだか地に足がついているというか、結構現実的な生活をしている感じがした。本当にボンボンか?

 駅で待ち合わせをした龍太郎に連れられて、住宅街のちょっと奥まった場所へと歩いていく。たどり着いたのは、学生向きというよりは社会人向けに見える、割としっかりとした建物だった。壁も綺麗で、そんなに築年数が経っていないのかもしれない。

「ここが借りているアパートだ」

「結構綺麗だなあ。新築? 家賃高くない?」

 そう尋ねると、前を歩く龍太郎はちょっとだけ考えたあと、振り返ってニヤリと笑った。

「まあ、安くはない額だな。本当なら」

「本当なら?」

「ここ、幽霊が出るって噂でな。それで半額にして貰ってるんだ」

「げっ」

「えっ」

「……冗談だ」

 サクとオレが露骨に嫌そうな反応をしたら、龍太郎が斜め上に視線をやりながら訂正を入れてきた。

 冗談、という割には、龍太郎の視線が合わない。……本当に冗談なんだよな?

 半信半疑で足が重くなっていると「こっちだ」と龍太郎がアパートの裏手側を指さした。目の前にある入り口から中に入るわけではないらしい。疑問に思いつつそのまま付いていった先には、あまりこのあたりでは見ない、若々しい緑色が広がっていた。

「ほら、これが畑だ」

「は? でか」

「……でかくね?」

 龍太郎の話を聞いた限りでは、庭の一部を菜園にしているのかなと思っていた。なあ、知ってるか。都会の家の庭って、本当はめっちゃ狭いんだぞ。

 なんとなく先入観として、家庭菜園っていうのは小さな庭——バルコニーっていうんだろうか。そこでちっちゃくやっているもんだと思ってた。龍太郎の畑もそんな感じかと想像していたんだけれど、全然そんなことはなかった。アパート裏の土地が割と広い範囲で畑になっていた。オレもサクも、思わず口をぽかんと開けてしまう。

 龍太郎は畑の真ん中あたりから端あたりまでを指で指し示した。

「このあたりから……ここまでの土地を畑として借りてるんだ。残り半分は別の人が手入れしてる。畑をやりたいって希望者が他にいなくてな、これだけの範囲を借りられたんだ」

「半分でも十分広いなあ……」

「全部やればいいだろ、畑」

「無理言うな、朔。一人でこの範囲を管理できるわけないだろ。

 まあ、他に借りる人がいないっていうのは、こんな都会で農作業をしようとする人が少ないせいだろうな」

 それは確かにそうだ。もともと畑のための土地ならば、畑仕事をする人が少ないほど、一人あたりの借りられる面積は大きくなる。

 しかし、オレの記憶が正しければ、つい数か月前まで龍太郎はアメリカに留学していたはずだ。なのに、畑は立派なものである。荒れた様子が見当たらない。

「こんだけの畑、留学の間はどうしてたんだ?」

「さすがに留学中は何も出来ないさ。畑の本当の持ち主……このアパートの大家に、土地だけは面倒を見てもらっていた」

「へえ……」

 畑を任せられるくらい大家と仲良くやっている、というのも、龍太郎が金持ちの一人息子って考えると変な感じがした。


 真夏だし、せっかくだからアイスくらい食べていけって言われて、オレとサクは遠慮なく龍太郎の部屋に上がり込んだ。ここまで来たら怖いもの見たさで、しっかり部屋だって見てみたかった。まあ、あの畑以上に驚くものは何も出てこない、とは思うけど。

 先に玄関で靴を脱いだサクが、ふと玄関横に飾られたものを見つけて呟いた。

「これ、お前の? 貰い物?」

 そう言ってサクが指さしたのは、なんとも可愛らしい、編み物で作られたぬいぐるみ。茶色いクマだと一発でわかるそれは、多分、龍太郎が貰ったプレゼントか何かだろう。元カノとか、そういう感じだろうか。別に構わないとは思うけど、もしそうなら少し気まずいかもしれない。

——なんて考えていたら、事実は全然違った。

「いや、俺が作ったやつだ。あみぐるみ、っていうらしいが」

「……はい?」

 なんだって? 作った?

 何も言えなくなって、というか何を言えばいいのか分からなくて思わず黙ってしまった。さすがのサクも固まって無言になっている。部屋の主である龍太郎はなんでもないようにそのあみぐるみを手に取った。

「高校が手芸部でな。そういえば置きっぱなしだったか」

手慣れた様子であみぐるみの埃を払う姿は、畑仕事以上にギャップが大きすぎた。

 茫然と龍太郎を見るオレとサクに、龍太郎は怪訝な顔をする。

「……なんでそんな顔をしているんだ、二人とも」

「いや、あまりに違和感ありすぎて、いっそ別人じゃねえかなって」

「龍太郎、オレたちみたいに双子いたりしたのかなって」

「流石に失礼だとは思わないのか……」

 申し訳ない気持ちもあるけれど、失礼云々の前に、驚きすぎたんだから仕方ない。

「自分で出来ることは自分でやりたいと思っただけだ。料理も、菜園も、手芸も。

いいとこの坊ちゃんだから何もできない……と思われるのが癪でな。とりあえず色々手を出したものさ」

 なにその行動力の塊。

 色んなことをやれるようになろう、と思う龍太郎の気持ちも分からなくはない。しかし、それでしっかり実行するあたりが凄いと思う。有言実行の男なんだなあ。サクも同じように思ったみたいで、感心したように呟いた。

「その結果が家庭菜園とあみぐるみなんだから、すげーよな」

「そうか? 自分の手で何かが出来上がる姿はいいぞ。大変な分、達成感があるものだ」

「まあ、それは分かるかもしれない」

 料理にしろ、何かを作るって行為にしろ、出来上がったものを見た時の達成感はいいもんだ。それはよくわかる。ウンウンと頷きながらオレが部屋の中に腰を下ろしたところで、サクはベランダから見える龍太郎の畑を見下ろしながら言った。

「なんだ、そういった理由だったワケか。お前があれだけ野菜をくれたの、カズトへの誕生日プレゼントかと思ったんだけどな」

「は?」

 サクの発言に、今度は龍太郎が目を丸くした。あ、ヤバイ。まだ言ってないのがバレた。というかサクはおそらくそれを分かっていてこの発言だ。いい性格をしてやがる。

 どうしたもんか、と視線をさ迷わせたオレに、龍太郎が静かに尋ねてきた。

「……和兎、誕生日はいつなんだ?」

「……七月七日」

「…………」

 龍太郎はそろりと部屋にあるカレンダーを見たけれど、どうあがいても二週間以上は過ぎている。

 額に手を当てて項垂れてしまった龍太郎を見て、サクはけらけらと笑った。言い忘れたこっちの身としては笑いごとじゃない。七月七日に近づくにつれ流石にまずいとは思っていたけど、伝えるタイミングを逃してしまってただけなので許して欲しい。

 だって誕生日が近くなってから「実は来週誕生日なんだけど」なんて切り出せるはずがないだろう。プレゼントが欲しいと言っているようにしか見えない。オレだってそのへんはちょっと考えたんだ。

 サクにとっては他人事なもんだから、ニヤリと笑いながら龍太郎の肩を叩いた。

「いいじゃんか。誕生日プレゼント、夏野菜」

「いいわけない……」

 原因はオレなんだけど、珍しく露骨に頭を抱えた龍太郎がなんだかちょっと面白いなと思ってしまう。ごめん。

結局『来年は必ず』という約束をその場で取り付けた。


 せめてこれだけでも、と更に追加の野菜を貰って、オレ達は龍太郎の部屋を後にした。本当に誕生日プレゼントが夏野菜、という状態になっていて笑えてしまう。実用的でいいかもしれない。

 野菜の入った白いビニール袋をぶらぶらさせながら、しばらくの朝昼晩三食のレシピを考え始めてしまう。この量の野菜、どう料理したものか。

 ビニール袋の中身をちらちらと見ながらそんなことを考えていると、隣を歩くサクが尋ねてきた。

「なあ、カズト」

「なんだよ。あ、ピーマンはサクが食べていいよ」

「いらねーよオメーが食え。……そうじゃなくて」

 どさくさでピーマンを押し付けようとしたけれど、すげなく返される。サクは何か言いかけたけれど、結局何も言わずに口を噤んだ。サクがこうやって不自然な態度をとることは珍しい。怪訝に思って見ていると、サクは結局首を横に振った。

「まあ、いいや。なんでもない」

「なんだよ、サク。言いかけてやめるの、珍しいじゃん。」

「なんでもねーよ。家帰ったらピーマン食っとけ」

「なんで!!」

 二人とも、別にピーマンが食べられないわけじゃない。小さいころにピーマンが苦手だったのを、お互いにネタにしているだけなのだ。つまりまあ、これはただのじゃれあいで。

 そんな他愛のない話をしながら、貰い物の野菜を持って、帰路についた。


 きっとこの時には、サクはとっくに気づいていたんだろう。

 オレと龍太郎の関係が、ひどく歪であることに。

 明らかに掛け違っているパズルを、それでも「完成するなら」とみて見ぬふりをしてしまっていて。

 ちぐはぐで、歪で、それでもそうありたいと思うオレたちを見て。

——サクは一体、どう思っていたんだろう。



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