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第9話 足りない言葉と、隣り合う君

 閑静な街の一角。落ち着いたカフェの片隅で、視線を交わす三人。

 うち一人は、買い出しの袋を足元においたままのオレ。

 オレの隣には、まるで人でも殺しそうなほど冷たい目をした、双子の兄。

 そしてその視線の先には、元恋人。

 待ってくれ。さっき冷戦が終わったところなんだ。今度は修羅場ですか。……また、修羅場ですか。数日前の商店街を思い出した。勘弁してください。

 いやそもそも、その前になんでサクがここに居合わせているのか。

「……ていうかサク、この場所どうやって?」

「GPSだよ。使われたくなかったらちゃんと電話に出ろ、アホ」

「あー、それはごめん……」

 色々と思い当たる数が多すぎて、冷や汗が垂れる。そもそもGPSを入れることになったきっかけも、自分がサクの連絡に気付かなったからだ。

 今回も、きっとスマホにはサクからの着信が入っているのだろう。あの修羅場の最中に着信に気付ける気はしないが、とりあえず心の中で謝っておく。オレが苦笑いすると、サクは小さく溜め息を吐いた。

「それだけじゃないけどな。嫌な予感がしたからっていうのもある」

「嫌な予感、って」

 ちらりとハルキの顔を見る。サクにとっての『嫌な』予感とは、このことだろう。

 全く隠さない盛大な舌打ちをして、サクはハルキを睨みつけた。対して、睨まれている側のハルキはあまり気にしてないようで、平然とサクに話しかけた。

「久しぶりだな、朔」

「ああ久しぶりだな。テメエのツラ見たくなかったよ、ハルキ。随分と最近、カズトにちょっかいかけてきてるらしいな」

「ちょ、サク……!」

 速攻で飛び出した暴言に、流石に慌てて止める。サクがハルキを気に入っていないことはこのメンバーなら周知の事実だが、それにしたって暴言が出るのが早すぎる。自分も口は悪いけど、この双子の兄は輪をかけて口が悪い。悪すぎる。しかも相手がハルキになると更に五倍増しくらいになる。聞かされる弟の身になって欲しい。

 何を言っても無駄な気はするけど、目の前で明らかな冤罪をかけられるのも良い気分はしないので、一応釈明だけは先にしておく。

「あー、サク、多分半分くらい誤解なんだ。ここにハルキがいるのは別の人に呼ばれたからで、前に会った時も偶然だったし……」

「……一応言っておく、朔。婚約の件は誤解だ。あれは何とも思ってないイトコで、婚約も既に解消している。結婚する予定もないし、俺はカズトを諦める気もない」

 ……フった本人とその双子の兄の前で、よくもまあここまで堂々と言えるなあと、いっそ感心した。

 しかし、その言葉は今の状況では火に油にしかならない。案の定、サクは眉間の皺を深くしただけだった。

「誤解? 知るかよ。事実がどうだろうが、全部今更なことだろうが」

 ハルキに向かって吐き捨てたサクの言葉は、あながち間違ってない。口は悪いけど、サクの言っていることは確かにオレが考えていることでもある。だから、オレはサクのこの言葉を、止めることは出来ても否定することは出来なかった。


 四年前のあの一件は、確かに誤解だったかもしれない。事実は、異なっていたかもしれない。

でも、あの時のオレの決意は、確かにあったもので。

 過ぎ去った四年間は、通ってきた道は、無かったことには出来ないから。


「諦める、諦めないの問題じゃねえんだよ。分かってねえのか」

「……サク、もういいよ」

 放っておいたら今の十倍くらいの言葉が飛び出しそうな双子の兄を、これ以上ここに置いておくわけにはいかない。足元に置いておいた買い物袋を持って、サクを促した。元々、ここにハルキが居合わせたのは朝日子さんの差し金だ。彼女の思うような結果が得られたかは知らないけれど、もう充分だろう。

 ハルキはオレに向かって声をかけながら、自身のスマホを手に取った。

「カズト。また、連絡する」

「電話、出れねえと思うけど」

「気が向いたら、出てくれ」

「出んじゃねえよ、そんな電話」

 出来るだけ当たり障りのない程度に答えたら、サクが隣でフンと嘲るように鼻を鳴らした。そのまま、背後にいるハルキを振り返って睨みつける。

「おい、ハルキ。本気で、もう二度とこいつに近づくなよ。

 カズトを泣かせておいて、今更ノコノコ出てくんな。隣に並ぶ資格なんざ、お前はとうに失ってんだよ」

 ハルキが少し驚いているのが、見てわかる。

 オレがハルキから離れる決意をした日のことは、ハルキに話していない。タイミングもなかったし、話をするつもりもなかった。だから驚いているんだろう。

 サクの言葉を否定する気も、ハルキに声をかける気もない。ハルキの視線を振り切って、サクの隣に並んだ。

「帰るぞ、カズト」

「……うん」

 サクが先に歩きだして、オレも後を追う。サクが止まる様子はない。最後に、何か言いたそうなハルキの顔はちらりと見えていたけど、オレは立ち止まらなかった。




 買い物袋をリビングのテーブルに置く。あれだけのことがあった後でも、ちゃんと忘れずに持ち帰ってきたオレ偉いと思う。うん。ただ、晩御飯を作る元気はあるかというと、あんまり無い。それを察したのか、何も言わずにサクがビニール袋から買ってきたものを出して棚に押し込んでいっている。ありがたい。色々と。

「……ありがと、サク」

「何がだよ」

「代わりに言ってくれて」

「ハッ、知らね。言いたいこと言ってやっただけだよ」

 買ってきた野菜を冷蔵庫に放り込みながら、サクはむしろスッキリしたとばかりに口角を上げた。ちょっと冷蔵庫を閉める音が乱暴だったので、少し照れているのかもしれない。ちゃんと人のことを気にするくせに、お礼を言われると照れるのだ。とっつきにくいというか、ツンデレというか。……それを指摘すると、十倍くらいの罵倒が返ってくるから、絶対に言わないけど。

「はいはい、サクらしいよ。……ごめん、オレちょっと先休む」

 返事はなかったけど、代わりにサクは軽く手をひらひらさせる。早くいけ、ってことなんだろう。ハルキとは別の方向で、この双子の兄も言葉が足りないし、不器用だ。よく知っている。

 自室に戻って、そのままベッドに倒れこんだ。布団の心地よさを感じながら瞼を閉じれば、ここ数日のことや、ずっと頭を悩ませていたことが、じわじわと湧いてでてくる。

 最近、あまりに一気に色々とありすぎて、正直パンクしそうだ。思いのほか大きく吐いた溜め息は、音もなく綺麗に布団が吸い取ってくれた。


 ハルキの婚約は確かに事実だった。

……でも、婚約を解消していたのも、事実だった。

 その上、婚約相手だった朝日子さんとは、イトコ同士の関係で。

 ハルキは——まだ、オレのことを想ってくれていた。


 ただ、それを『はいそうですか』と受け入れられないのも、事実だ。

 喜んで受け入れるには、気持ちも、環境も——色んなものが変わりすぎた。

 それに何より、オレの隣には龍太郎がいる。選んでくれた人がいる。

——四年は、長かった。ハルキがいないことを前提として別の道を歩み始めるには、十分な年月だ。

 サクの言葉は、だいたいあっている。資格、なんてものは別に求めていないけど。あの雨の日——オレがハルキの後ろ姿を見て泣きながらした決断だって、オレにとっては大事なものだ。それをハルキが蔑ろにする権利は、ない。

 ああ、なんでこんなに難しいこと考えてるんだろう。あんまり頭は良くないと自負しているのに、らしくない。


 すごろくだって、人生ゲームだって、簡単にふりだしには戻れない。これが子供の頃だったなら、すぐにあの手をとれたんだろうか——なんて考えているうちに、思考はだんだんと沈んでいった。






 ベッドに落ちた音以外に、カズトの部屋から音がしない。ああ、これは多分寝ただろうな。荷物も全部置きっぱなし、晩飯も作らずにいい度胸だ。晩飯当番二回分で許してやろう。

 カズトの荷物を部屋の隅によけようとした時、カバンの中でスマホが揺れていることに気づいた。勝手知ったるといった具合で取り出してみると、ディスプレイに表示されていたのは、そこそこ見知った名前だ。とりあえず大嫌いなあの男ではない。少しだけ迷って、まあいいかと代わりに出た。こいつなら、オレが出たって別に構わない。

 前から色々とこいつ——この電話の相手のことは認めているが、更に凄いところは、こうやって「はい、もしもし」と電話に出ただけで『……もしかして、朔の方か?』と声の主を当ててくることだ。

 声まで全く一緒の筈のオレたちを、電話で判別できるなんて大したやつだ。養父母でさえたまに間違えるというのに。

「もしかしなくてもオレだよ。カズトなら疲れてたみたいで、もう寝てる。用事ならメールにしときな、龍太郎」

『そうか。……なあ、何かあったのか?』

「さあな。昼間出掛けてたし、そのせいだろ」

『カズトもだけど、お前もだ、朔。声の感じが、そんな気がする』

——随分鋭い。その鋭さを今は少しだけ恨んだ。実際に何があったのか。誰と会って、何を言い合って、カズトがどういう状態なのか。言いたくもないし、思い出したくもない。きっとカズトもそう簡単に言うつもりもないだろう。だから、オレも言うつもりはない。

 第一、お前はカズトにだけ集中してくれればいいんだ。理不尽な苛立ちが過り、思わず電話の向こうへとぶつけた。

「うるせ。お前に心配されるこっちゃねーんだよ。

それにしても、やっぱお前の方がマシなんだわ。だからもう少し粘ってくれ。いいな?」

『……なるほど、善処する』

 オレが何の話をしているのか、なんとなく察したのだろう。電話の向こうで苦笑しているのか、龍太郎の困ったような声色が伝わってきた。気を遣われている気がするのも腹が立つ。早々に通話を切って、スマホをカズトのカバンへと戻しておいた。

 リビングの椅子に荒くこしかけ、何故か随分と長くなってしまったため息を吐く。気疲れ、というやつだろう。カズトも疲れ果てて早々に寝たが、こっちも似たようなものだ。

 どいつもこいつも、不器用が過ぎる。見守るポジションのオレの身にもなってほしい。


 人が良すぎて、相手を想うあまりに身を引く弟。

 相手のことを好きだからこそ、慎重になりすぎる男。

 そして、そもそも恋愛感情との付き合い方が下手くそな男。


 三人が三人とももう少し器用であったなら、こんな面倒なことにはならなかっただろう。

 オレの立ち位置は変わらない。ハルキのことは嫌いで、龍太郎の方がまだマシだと思ってる。それだけだ。

 それに、なにより。オレはずっと決めていることがある。



 ——全ての原因が≪あいつ≫だと、明らかになる前に潰さなきゃだめなんだ。




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