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第8.5話 星の空がくれたもの

 春先よりは暖かくて、でも真夏ほどは暑くないって感じの気温。でも、空気からはだいぶ夏の匂いがするし、肌はじっとりと汗ばんでくる。早起きしたセミがちらほら鳴き始めている。そんな季節。

——七月七日。七夕。

 オレの十三回目の誕生日でもある今日。周囲には、灰色や黒色の石の柱が、等間隔に並んでる。四角いそれらは、全部墓石だ。

 晴れた空の下で、オレはハルキと一緒に墓地を歩いていた。


 オレとサクの誕生日は七月七日、七夕だ。

 たまたま七夕に生まれたオレたち双子を、両親はそれはそれは喜んでくれた。

 星を見るのが大好きだった両親は「二人は天の川が授けてくれた子たちなんだね」なんて言ってた。嬉しかったけど、ちょっと恥ずかしかった。


——ただ、今でも星を見るのが好きかと言われると、即答できない。

 天の川は、オレたちを両親に授けてくれたかもしれないけど。

 オレたちの両親を、助けてはくれなかったから。


 オレとサクが四歳の時だ。

 滝のような大雨だったのを、よく覚えている。朝から降り続いていて、窓にはずっと雨粒が叩きつけられていた。当たり前だけど、天の川なんて見えそうもなくて。「せっかくの誕生日なのに、今日は星は見えないね」とか、オレはのんきなことを言っていたっけ。

 川が近くにあれば洪水なんかも警戒しただろうけど、オレたちが住んでいたのは山の近くだった。両親が結婚して新しく住み始めた家だから、雨漏りだってしてなかった。

 雨がどんどん降り続いた、夕方ごろ。身体の奥に響くような、低くて、怖い音がした。なんだか嫌な感じがして、オレはバッと天井を見た。でも、特に何かあるわけじゃなくて。停電も雨漏りもしていなかった。

 気のせいかな、って首を傾げてたら、突然立ち上がったサクに手を引かれた。さっきまで隣で一緒に絵本を読んでいたはずなのに。どこいくのって聞いても、サクはいつになく真剣なまま黙っていて、答えてくれなかった。

 オレたち双子の子ども部屋は、家の端あたりにあった。そこから廊下を走って、サクにつられて駆け込むように、家の反対側の一番端の部屋に滑り込んだ、その瞬間——世界が、真っ暗になった。


「土砂崩れってさ、すげーよな。海とかと違って、土とかだからさ。体浮かないから、どっちが上かわっかんねえの」

 ハルキが聞いていて怖く思わないように、努めて明るく話した。脳裏に過る光景は今でも怖いけれど、もう過去のこととして整理できているつもりだ。

 あの日、四歳の誕生日、七月七日。警報が出るほどの大雨で、住んでいた家は土砂崩れに巻き込まれた。身体全体が重くて、動かなくて。でも、どう動いたらいいかもわからなくて。目にも口にも土が入って、とにかく怖くて混乱した。パニックで泣いていたオレを引っ張り出したのはサクだった。同い年のはずなのに、サクはよくあれだけ咄嗟に動けたなって、今でもすごいと思う。

「オレとサクは奇跡的に助かったんだ。土と壁に軽く埋もれただけで済んだ。

……今思えば、サクはなんか分かったんだろうなあ。オレの手引っ張って、土砂崩れの範囲の一番外側に連れてってくれた気がする」

 あの日のことを一度だけ、サクに聞いたことがある。どうして土砂崩れが来るとわかったんだ、と。返ってきた答えはただ一言『覚えてない』だった。

 しかし、伊達にこちらも双子として同じ年数を共に過ごしてきたわけではない。サクが嘘をついていることくらいは、察しがついた。だからこそ、兄の言いたくないことを掘り返したくはなくて、言及はしなかった。


 ハルキにそんな話をしながらやってきた墓地の中。過去に何度も訪れた一基の墓の前で足を止めた。

 そこには『天満』と彫ってある。正真正銘、本当の両親が眠る墓だ。

「あまみ、って読むんだ。オレとサクの、本当の苗字」

 彫られた字を軽くなぞる。亡くなった両親の交友関係は一応広かったらしいが、駆け落ち同然に結婚した両親と親交のある親族はいない。だからこそ、ここにお参りにくる人は多くはない。掃除する人もいない。風雨に晒されて少し汚くなってしまっている側面を見てから、よし、と持参した布巾を取り出した。

「天満カズトと、天満サク。今は月島なんだけど、こっちも大事な名前なんだ」

 持ってきた手桶の水を、柄杓で墓石に軽くかける。それから石の側面を手持ちの布巾で軽く拭うと、少し汚れが取れた気がした。

 水鉢も拭いて、花立の水も替える。きれいになったそこへ、スーパーで買ってきた花を生けた。よし、出来た。墓参りや掃除のルールやマナーなんてのは知らない。こういうのは気持ちだ。うん。

「だから、オレ達双子の誕生日はいつも、最初はここって決めてるんだ。父さんと母さんも、祝ってくれる気がするし」

 墓石の前で軽く膝を曲げる。

——あ、今年は数珠、借りてくるの忘れたや。まあ、此処にいる二人なら怒らないだろ。

 そんなことを考えつつ、そのまま目をとじて手を合わせた。


 母さん。久しぶり。

 父さん。オレもサクも元気にやってるよ。

 今日は友達を一人、つれてきたんだ。すごくイイヤツでさ。

 オレとサクを一回も見間違えないんだぜ。すげーだろ。

 ……向こう、寂しくないか。

 オレとサクは、元気、だからな。


 思い浮かべるのは、ここに眠る二人の顔。オレとサクと、父さんと母さんで過ごした日々。だんだんと薄れてきてしまう記憶の数々を、今日だけは確実に救い上げていく。

 この想いが、二人に届くように。そして、自分の中に刻むように。何度もしっかりと、胸の中で繰り返し声を上げた。


——『墓参り』とは、死者のためにあるものじゃない。生きている人間が、気持ちを整理するためにやるもんだ。


 そう言ったのは、オレとサクを引き取って育ててくれた、月島の父さんだった。

 一年間だけ施設にいたオレたち双子を、月島の両親が見つけて引き取ってくれた。天満の両親と月島の両親は友達同士だったそうだ。ぱったり連絡がとれなくなり、おかしいと思って調べたことでオレたちが遺されていることを知ったらしい。

 引き取ってくれて、新しい家に馴染んだ頃。月島の両親がつれてきてくれたのが、ここだった。

 初めてこの墓に来て、その意味を知った時。オレもサクも泣きっぱなしだった。天満の父さんと母さんがどこにいったのか。声は届かないのか。まだ五歳だったんだ、分かるはずもなかった。

 月島の父さんは、そんな時にオレたちの頭を撫でて、諭してくれた。


 天満の父さんと母さんは、もう亡くなったから、二人の言葉は届かない。

 だが、お前たち二人は生きている。

 この墓参りは、天満の父さんと母さんのためにやるもんじゃない。

 生きるお前たちが、父さんと母さんを忘れないように。

 そして、これからも前を向いて生きようと思えるために、必要なことだ。

——それが、天満の父さんと母さんのためにもなる。あの二人は、お前たちを心から愛していたからだ。


 今思えば、大人が子供に伝える言葉としては、ちょっと不適切だったんじゃないかなとも思う。どんなに祈ろうと願おうと両親にはもう届かない、なんて夢も希望もへったくれもない。

 でも、その時のオレたちにとっては、この言葉こそ救いだった。

 両親が死んで、オレたちだけが生き残った。不安だったんだ。どうしたらいいのかって。

 不安で、怖くて、身動きがとれなくて。一歩も進めなかったオレ達に、歩き出すための光をくれたのが、今の両親だった。

 月島の父さんの話を聞いて、先に泣いたのはサクの方だった。サクの気持ちは、ちょっと分かった。両親がいなくなって、悲しい気持ちと同じくらい「どうして自分たちだけ」って気持ちが、ずっと胸に引っかかってたんだ。それを理解した瞬間、オレも思わず泣いてしまって。二人で月島の父さんの腰にしがみついて、びえびえと大泣きした。

 でも、仕方がないと思う。だって嬉しかったんだ。

——「ああ、オレたちだけでも生きてていいんだ」って思えたことが、本当に、嬉しかった。


 だから、オレは今年もここに来る。

 オレたちを愛してくれた、父さんと母さんを忘れないように。

 これからも生きていくんだと、気持ちを新たにするために。

 これは二人の為でもあり、そして、オレの為でもあるんだ。


 目を開けて、「天満」と彫られた墓石を見上げた。気持ちが少しすっきりした気がする。

 さて、と立ち上がろうとすると、その瞬間。ハルキがオレと同じように、墓石の前で膝を曲げて腰を下ろした。

「……ハルキ?」

 オレの問いには答えない。静かに口を閉じたまま、ハルキは丁寧に手を合わせて、瞼をとじた。

 その様子にちょっと驚く。墓参りには確かに一緒に来たけど、ハルキにとっては知らない人の墓だ。手を合わせてくれ、とは言うつもりは全然なかった。

——何を考えているかは、分からないけれど。もしかして、父さんと母さんのために、祈ってくれているんだろうか。


 ハルキは、天満の父さんと母さんにはあったことがない。

 それでも。オレの隣で手を合わせてくれるんだ。

 なんだか胸がむずむずした。この気持ちが何なのか、上手く言葉に出来ない。

 わかりそうでわからない気持ちに、気づかなかったフリをして。

 オレはもう一度墓石に向き直って。ハルキと一緒に、墓に手を合わせた。


 使い終わった手桶と柄杓を流し場へ返すために、墓地の端の道を歩いていく。七夕に墓地に来る人なんてあんまりいないし、そもそも墓地で騒ぐなんてセミくらいしかしないから、だいぶ静かなもんだ。

「今日一緒に居たいって言ってくれたのに、しょっぱながココでごめんな」

 七月七日、オレの誕生日に一緒に居たいと言ったのはハルキの方だ。でもオレはここに墓参りに来る予定だったから、「行きたい場所があるんだけどいいか」って言って、ココに連れてきた。せっかく友達を連れてくるのに、まさかの墓参りってことになってマジで申し訳ないと思う。でもこの日はここに来るって決めてたから、こればっかりは仕方ない、気もする。

 オレが謝ると、ハルキはなんでもないように首を振って言った。

「俺が、カズトの誕生日を一緒に過ごしたいと思ったんだ。別に構わない」

 またコイツは、そういうイケメンみたいなことを言う。イケメンでは確かにあるんだけど。思わず苦笑いしてしまった。

「それよりも、俺と一緒に来たせいで、逆に朔がこれなかったんだろう。悪いことをしたな」

「いーんだよ。あいつはあいつで、別に墓参り来るだろうし。それに……」

 毎年、ここに来る時の朔の顔を思い出す。

 もう亡くなってしまった、本当の両親の墓なのだ。気持ちが不安定になったり、落ち込むのはよくわかる。オレだってそうだ。完全に気持ちの整理がついたかって言われたら、そうだって言いきれない部分はどうしてもある。

 でも、双子だからだろうか。サクの表情が≪それだけ≫じゃないのは、なんとなく分かってしまう。

 やりきれない悔しさとか、歯がゆさとか、そういうのが入り混じったような目をするんだ。

 なんだか、それが見ていられなくて。正直、ここに来る時はそれが一番つらかった。

 今日ここにハルキと二人で来ることになって、サクも、そしてオレも、どこかホッとしているのかもしれない。ハルキを嫌うサクにとっては、一緒に墓参りに行かないための分かりやすい理由が出来たわけだし。

「そんなことより。ハルキだって明日だろ。誕生日。七月八日」

 返すはずの柄杓でビシッとハルキを指しながら言うと、ハルキは頷きながらも「水が飛ぶからやめろ」と言った。たまにそういう細かいことを言う。女子か。

 隣を歩くハルキの誕生日は、オレたち双子と一日違いだ。小学生の時にそれを初めて聞いて、一日違いだ!って大騒ぎしたのを覚えている。小学生のころはケシゴムのマスコットとか、子どもらしいしょうもないものを贈っていた。しかし中学校に上がった今、流石にもうちょっとそれらしいものを贈ってやりたい。

「プレゼント、実は思いつかなかったんだよなあ。なあ、何がいい?」

「何、か」

 オレの質問に、ハルキは首を傾げた。何を貰えばいいか、というより、何が欲しいかが分からないって顔だ。

「……なんでもいい。お前と一緒に居られたら、それで」

「っとに、お前、そういうのは美人の女の子に言えよ」

「カズトだからいいんだ。大事な人と過ごせるからこそ、嬉しい」

 またこの男は、そういうことを言う。ハルキが口下手というか、あまり話すのが得意ではないのをよく知っているから、オレはいいけど。これをクラスの女子にでも聞かせてみろ。絶対勘違いされるぞ。

「……恥ずかしいやつ」

 因みにこの後、ハルキからはしっかりとプレゼントをもらった。このために今日一緒に過ごしたいと言い出したみたいだ。中身は少し大人びたデザインのペンケース。もっと勉強しろってか、ってちょっと小突いといた。でも、いつも使うものがこっそりカッコイイ、っていうのは悪くない。うん。



 日付が変わって、ハルキの誕生日当日。この日は月曜日だったから、学校で渡してやった。

「ほら、ハルキ。誕生日おめでとう!」

 薄紫色の包装紙は、店舗ではなくオレが家で巻いたものだ。店で買ってどうこう、って出来るプレゼントではないので、仕方ない。開けるように促すと、ハルキは紙を破かないように丁寧にぺりぺり開けようとする。女子か。ケラケラ笑ってしまったオレの前で、包装紙の隙間から一枚のCDが見えた。

「これは」

「へへ、前に曲聞かせた時、すげー気に入ってくれてたじゃん。あのアーティストのCD! もうどこにも売ってねーから、中古で買ったやつで悪いんだけどさ」

 ちょっとオタクならあるあるだと思うんだけど、同じものをいくつも持ってしまうことってあると思う。使う用と、保存用、みたいな。このCDはそれこそオレが保存用としてキープしていた大事な一枚だ。

 オレが音源として大事にしているその曲を、小学生の時にハルキに聞かせたらいたく気に入ってくれて。音源をあげる、という手も考えたけど、せっかくならCDごと渡して、それを大事にしてほしいと思った。

「そんなに大事にしていたものなのに、いいのか?」

「おう! オススメだし、いっぱい聞いてくれたら嬉しいと思ってさ」

 CDを持って、珍しくハルキは分かりやすく口角を上げた。喜んでくれた、と思う。よし。ギリギリまで悩んでよかった。

「……ありがとう、カズト。大事にする」



 これは、オレとハルキが、まだお互いの想いを伝え合う前の話。

——そして、オレたちが出会う前から繋がってしまっていたんだと知ったのも。また、別の話だ。




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