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第7話 運がいいのか、悪いのか。

「……カズト」

 西に傾いた太陽が、優しい光と温もりを向けてくる夕暮れ。茜色に染まった空の下。前に会った時よりもラフな服装で、ハルキはそこに立っていた。

 オレもハルキも、顔を見合わせたまま硬直した。ここで会うなんて想像もしていなかったのだから当然だ。向こうもこちらに会ったのは完全に想定外だったのだろう、目を丸くしてこちらを見つめていた。

 本当に間が悪いというか、すごいタイミングで会うなとつくづく思う。運がいいのか、悪いのか。こちらとしては悪いとしか言いようがない。会いたくなくて、手を振り払って。それでまた、偶然顔を合わせてしまうんだから、なんとも酷い巡りあわせだ。

「——なるほど、そこの人が噂の『ハルキ』くん、なわけだ」

ハッとして隣を見る。龍太郎がしっかりとハルキを見据えて、口角を上げていた。

そうだ、オレは今龍太郎と一緒だった。龍太郎とハルキ。二人が会うのは初めてだ。龍太郎はハルキをオレから聞いて知っているけど、ハルキは龍太郎のことを知らない。

……待って、これってつまり、修羅場?

 俗にこれは、主婦が喜ぶような昼ドラ展開、というやつなのだろうか。いや、修羅場ってこんなに簡単に起っちゃうもんなのか? だってほら、オレはハルキのことは一応振ったわけで。これでも修羅場と言えてしまうんだろうか。因みに主婦が昼ドラを好きかもしれないというのは偏見だ。オレの母さんは好きらしいけど。

 だいたい、修羅場ってテレビや漫画の中だけの話だと思ってた。現実で、目の前で、しかも自分が関わるなんて想像できただろうか? できるわけがない。

 そんなとんちんかんなことを考えているうちに、龍太郎が一歩前に進み出た。ハルキ側に歩いていく足は思いのほか速くて、オレが制止する間もない。二人の距離はいまや手を伸ばせば触れられるくらいだ。

「初めまして。海龍太郎といいます」

「……星空陽輝です。初めまして」

 敵対している会社との面合わせか何かですか、ってくらい、言葉が上っ面なのがよく分かる会話だ。龍太郎は表面だけの笑みを綺麗に貼り付けてるし、ハルキは逆に全く表情が無い。なにこれ怖い。見ているだけのオレの方が焦りを隠せなくて、口元をひくつかせてしまった。

「海、さん。カズトと、仲がいいんですか」

「ええ、まあ。そういう仲なので。今日も二人で、ここの近くの遊園地に遊びにきたんですよ」

 ハルキからの質問に、龍太郎はにっこりと貼り付けた笑みで返す。龍太郎の言っていることは間違ってない。間違ってないけど、どうしてまるで刃物で刺すような言い方をするのか。

 目の前の光景が恐ろしく怖い。本人を置いてけぼりにして、勝手に修羅場をおっぱじめないでくれ。マジで。頼むから。

 そもそも修羅場という単語が異様に似合ってしまうこの状況が甚だ遺憾だ。どうしてこうなる。

 しかし修羅場にしても、そうじゃないにしても。この場をどうにか出来るのは、オレしかいないだろう。大きく溜め息を吐いて、龍太郎の肩を叩いた。

「……龍太郎、先に駅行っててくれ」

「いいのか、和兎」

 すっとぼけたことを言う龍太郎の肩をもう一度、今度は強めに叩いた。いいも悪いも何も、お前とハルキを二人に出来るわけがないだろう、と思う。一番恐ろしい。お互いにいい大人なんだから殴り合いの喧嘩こそしないだろうけど、それ以外なら何が起こっても不思議じゃない。気がする。

「いいから。先行ってて」

 重ねてそう伝えれば少し不服そうに、でも諦めたように龍太郎は小さく息を吐いた。

 駅へと向かって歩き出した直後。ハルキとすれ違う瞬間、龍太郎はそっとハルキの耳元で呟いた。

「……何も言わなかったアンタに、カズトの隣に並ぶ資格は無いんじゃないか?」

「龍太郎!」

 小声だったけど、オレにも聞こえた。なんでそう喧嘩を売るような真似をするのか。少し大きめの声で窘めると、龍太郎は肩を竦めて今度こそ駅へと歩いていった。

 とりあえず、修羅場を回避できた形になり、ホッと安堵する。残されたのは、オレとハルキ。ハルキとの微妙な空気を何とかしようにも、此処だと目立つ。商店街のど真ん中、今でさえちょっと人の目を引いている。

 慌ててハルキの手を引こうとして——手ではなく、その服を掴んで。日陰になっている道の端へと引っ張り込んだ。

 さっきよりは人目につかない場所で、服を掴んでいた手を離す。ハルキはオレの手を見て、そして龍太郎が歩き去った駅の方をチラリと見やった。

「……今の、……龍太郎、という男は。今、付き合っているのか?」

「……そういうことになる、かな」

 聞かれたことに答えているだけなのに、なんだか気まずい。なんで気まずくなっているのか自分でもわからない。ここで何を答えたって、何かあるわけでもないだろうに——そこまで考えて、ああ、と納得した。

 そうか、分かった。

 もう決着をつけたつもりなのに、心のどこかで『まだ』と思ってしまっている自分がいるからだ。

 だから、後ろめたくなる。だから、気まずくなる。こんなにも、何を話していいか分からなくなる。

 早く、どうにかしなくちゃ。

 こんな状態、ハルキにも、龍太郎にも失礼だ。

「なあ、ハルキ」

 息を吸って、吐いて。前に立つハルキを、真っすぐに見つめる。夕暮れの下で輝く菫色は、やっぱり綺麗だったけど。今は、もうオレが手を伸ばすものじゃない。

「オレさ、お前のこと、好きだったよ」

——好き、だった。

 それは、この気持ちが過去のものであるという、明確な意思表示。

「お前は、オレと居たいって言うけど。

でも、お前にはお前の幸せがあるだろ」

 隣に並ぶ、女の人の後ろ姿を思い出す。

 正面から見たわけではないけれど、美しく、凛とした人であることは分かった。二人の背中は、それで完成されていると思えるほど絵になっていた。

 そこに、オレの入る余地はない。そもそも、入ったところで、ハルキの隣には見合わない。そう思わされた。

 今も、その考えは変わらない。オレが隣に並ぶことで、ハルキが幸せになるとは思えなかった。


「確かに、オレは今でもお前を想ってる。

 だからこそ、お前とは一緒には居られねーよ、ハルキ」


「……それでも俺は、カズトと居たい」

そう告げたハルキに、ゆっくりと首を横に振ってみせる。こいつがそう言い続けるのは予想がついていた。でも、オレはそれに頷いちゃいけないんだ。

「お前はお前で、ちゃんと先を見ろ。

——オレは、一緒に居る気はないからな」

「カズト!」

 はっきり言い切ると、声を上げたハルキの手が、オレに向かって伸ばされた。

 その手がオレに触れる前に——くるりと踵を返して、オレは駅の方へと駆け足で向かった。

 指先は、オレに届かなかった。届かせなかった。


 日なたに飛び出して、往来を走り抜けていく。後ろは振り返らなかった。

 日光に照らされた背中に、ハルキの視線も感じた気がした。


 でも、応える権利は、オレにはない。



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