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第6.5話 重なる熱

 日本はいろいろ小さかったんだなと、この国に来てつくづく思う。人種のるつぼ、アメリカ。何もかもがデカくて、広くて、なんかもうすごい。語彙力なんて一瞬で吹き飛んだ。

 今借りている家の近くにある、この公園ひとつとっても、とんでもなくデカい。どうもアメリカの中ではデカい公園として有名らしい。なんとかパーク。これ、パークって規模か?

 あとリスがデカい。この公園をうろついているリスが、マジでデカい。なんだこのリス、日本にはいなかったぞ。可愛いと思ったのは見かけた初日だけだった。興味本位で近づいたらあまりのデカさに逆に引いた。どうもアメリカではリスは害獣らしい。ちょっとわかる。それくらいにはデカい。

 そんなバカデカいリスが我が物顔をしてるこの広い公園を、迷子にならない程度に散歩するのが、留学してからのちょっとした楽しみになっていた。

 色んな人がいる。色んな言葉が聞こえる。色んな光景が見える。今までのオレの世界なんて、本当にちっぽけだったんだなって思い知らされる。入ってくる情報が新鮮で、楽しかった。


 そろそろこの国では秋になる。これだけ緑が多いと、紅葉もまたすごい。ただ、流石に日本の方が風情があったように思ってしまうから、やっぱりオレも日本人なんだなあって苦笑いしてしまう。

 赤と黄色と、たまに緑が見える空をぼんやりと眺めて歩いてたら、どこからか音楽が聞こえてきた。気のせいか、歩く人たちも音楽が聞こえる方に歩いてるみたいだ。

 なんとなく、人の流れに乗ってオレも音の方に歩いていくと、そこそこ人が集まっている一画が見えた。あれはステージだ。普段は人がいるのをあんまり見かけなかったけど、今日は楽団みたいな人達が演奏をしてる。

 無料なのか有料なのかはわからないけど、お客さんも結構入っている。屋外コンサート、というのだろうか。青空の下、木々に囲まれて演奏されるコンサートは、開放的でかっこよかった。

 オレはあんまり音楽に詳しくないから、楽団の人が持っている楽器とか、音楽的な上手さとかはよく分からない。だけど、流れている曲は日本でも聞いたことのあるものだった。

——この曲。ハルキと聞いたこと、あったっけ。

 昔、まだ中学生の頃だっただろうか。オレの好きなアーティストが、この曲のカバーを歌っていたのだ。

 ハルキにもオススメって、無理やり勧めた。二人で一つのイヤホンを分けて、スマホから音楽を流した。どうだ、って聞いたら「声がいいな」って言ってくれて、そうだろって笑い合った。

 もう、あんな日はこない。オレから手を振り払ったんだから、当たり前だ。

ぼうっとステージを見つめて、目頭が熱くなっていく気がする。

ただの思い出でいいって決めたはずなのに。なんだかちょっぴり、泣きそうになってしまった。



「音楽に興味があるのか?」


——はい?!

 隣から、突然声をかけられた。思わず地面から十センチ飛び上がったんじゃないかってくらいびっくりした。ガバッと振り向いたら、そこに立っているのは背の高い男の人で。ええと、なんて話しかけられたんだっけ。オレ、英語できないんだけど。ヤバイ。

「そ、ソーリー! アイキャント……あれ?」

 上ずった声のまま雑な英語で返そうとして、あれ、と首を傾げた。ちょっと待った。さっきオレが話しかけられたの、日本語だった?

 茫然と固まってしまったオレを見て、目の前に立つ男は肩を震わせて笑い始めた。

「ふ、ふふ……日本語で、いいんだが……」

「う、うっせー! まだ慣れてねえの!」

 思わず暴言が口から飛び出す。初対面の人に失礼かなとも思ったけど、向こうだって初対面で笑いやがったんだからトントンだ。失礼なヤツ。

 目の前で肩を震わせるソイツは、言葉もそうだけど、よく見たらちゃんと日本人らしい見た目をしてた。切れ長の瞳は藍色で、すげーキレイな顔してるけど、ちゃんと日本人だ。こんな多国籍な国にいると、嫌でも見た目を気にするようにはなってしまう。……日本人だと思うんだけど。多分。恐らく。メイビー。

「あんた、日本人……だよな?」

「勿論。突然話しかけて悪いな。日本人に会えたのが嬉しくて、つい」

 恐る恐る話しかけると、ようやく笑いが止まったソイツはしっかり頷いてみせた。

 あー、気持ちわかる。自分と同類?を見つけたら、声かけたくなるよな。特にここはどうしたって外国、アウェーなわけだし。

 そう思うと、ようやっとオレにも嬉しさがこみあげてきた。

「オレ、月島カズト。あんたは?」

「リョウタロウ、だ。ワタツミ、龍太郎」

「わたつみ?」

「『海』って書いて、『ワタツミ』って読むんだ。仰々しい苗字だろう」

「いいじゃん、なんかカッコイイ。龍太郎って、歳いくつ? 俺、十八!」

「一応二十歳だ。つまりキミは、俺の後輩になるわけだな?」

 絶対同い年くらいかと思って嬉々として歳を聞いたら、まさかの二歳も年上だった。幼馴染に一歳年上がまぎれていたから感覚が麻痺してたけど、フツーなら一歳差でもちゃんと敬語が必要だろう。

「げっ、す、すみませ……」

「はは、別にいいさ。こんな人種のるつぼで出会えた、同世代の同郷だ。たった二歳差で先輩ヅラもないだろう」

 そう言って笑う姿はあまり年上らしくなく、めちゃくちゃフランクな感じがした。でも年長者らしい落ち着きもある。何より、いい人だなっていうのが、少し話しただけでも分かった。

 その後、いろいろと話をした。オレの名前が『和兎』と書いて『カズト』と読むんだって話をしたら「いいじゃないか。兎みたいに可愛らしく成長して」なんて言われたので軽くドツいてやった。まだ成長期なんでよろしくお願いします。


 龍太郎と、その公園で会うことが多くなった。約束しているわけではなかったけど、公園を散歩してたらいつもオレのことを見つけてくれた。龍太郎も散歩が好きなのかって聞いたら「和兎がいるかもしれないと思って、思わず」って言ってた。恥ずかしいヤツめ。


 紅葉もだいぶ落ちきった頃。公園のベンチで、オレは龍太郎に奢ってもらったホットココアを口にしていた。バイト代が入ったからって、龍太郎自身もちょっといいコーヒーを買ったらしい。丁度、今は留学で通ってる大学が休みなんだとか。

「俺は大学の交換留学でこっちに来たんだ。君は?」

「オレも留学」

「へえ? まだ高校生なのに、頑張るじゃないか。 なりたい仕事でもあるのか?」

「そういうわけじゃ、ないけど」

 留学の詳細について説明するには、どうしたってハルキの話がついてくる。適当にごまかしてもいいんだけど、あまりにオレが嘘つくのが下手すぎて、ちょっと顔に出てしまった。

 表情を曇らせたオレに、龍太郎は心配そうに尋ねてきた。

「……何かあったのか?」

「……別に。ただ、逃げてきたんだ」

「……そうか」

 言外に拒絶の意思を示せば、龍太郎もそれ以上深くは聞いてこなかった。ちょっと気まずい沈黙が流れる。さあどうしたものかと思っていたら、少し離れたところからオレに向かって手を振る人影が見える。鏡写しかってくらいそっくりなあの姿は、この距離でも見間違えることはない。

「あ、サクだ」

「……凄いな。前に言ってた双子の兄さんか?」

「うん。似てるだろ」

「ああ、そっくりだ」

 向こうで腕を組んで仁王立ちするサクをまじまじと見て、龍太郎はフムと頷いた。

「……でも、君の方が可愛らしいな」

……何を言ってるんだコイツは。思わず真顔になっちまった。

「変なこと言うんじゃねえよ、バカ! じゃあな! ココア、ありがと!」

 一応ちゃんとココアのお礼も伝えて、オレはサクの方へと駆け出した。どうせまた会うだろう。

 オレのことを呼んでいたサクは、オレが駆け寄るとコール画面になってるスマホを取り出して睨みつけてきた。あ、これ、怒ってる。

「電話くらい出ろよ。探しただろ。ここ広いんだから」

「あ、やべ、電源切ったままだった」

「ったく……」

 スマホをしまいながら、サクはさっきまでオレと龍太郎が座っていたベンチをちらりと見た。龍太郎は誰かと電話してるみたいだ。

「あれか、最近この辺でよく会う日本人って」

「そう、海龍太郎っていうんだって」

「ワタツミ?」

「『海』って書いて、『ワタツミ』って読むんだって。すげー名前だよなあ」

「……へえ」

 珍しい苗字にオレと同様に驚くかと思ったけど、サクはなんか考え込んでるようだった。聞き覚えでもあったのかな。

「何考えてんだよ、サク」

「別に。あいつの方がマシだなって思っただけだ」

「は? 何の話だよ」

「なんでもねーよ」

 そう言って、サクはスタスタと先を歩いて行ってしまう。何なんだ、一体。公園から出る前にチラッとベンチの方を見たら、龍太郎が電話をしながら、オレの方を横目で見て微笑んだ。モテそうなことしてんなあ、アイツ。


 冬が近くなって、肌を出すとキツイ気温になってきた。モフモフの赤いマフラーに鼻まで埋めていると、隣にいる龍太郎は「やっぱり兎みたいだな」なんて言いやがる。

 寒すぎて反論する元気もないけど、それでもひとつ、聞きたいことがあった。

「なあ、聞いたんだけど」

「何を?」

「あんた、割といいとこのお坊ちゃんなんだって?」

「双子のお兄さんが調べてくれたのか?」

 さわやかな笑顔のまま、質問に質問で返される。珍しい。ちょっと言われたくないことだったのかもしれない。因みに確かに調べたのはサクで、「あんな特徴的な苗字、一度聞いたら忘れられるかよ」って日本で聞いた記憶を頼りに一瞬でデータを探し当ててた。龍太郎にとって、あまり家のことは好きじゃないのかも。それでも、こっちだって聞かなきゃならない。

 年上で、いい人で、良い家柄の御曹司。……日本にいる誰かを思い出してしまう気がしてならないのだ。

「いいとこの坊ちゃんが、オレなんかと一緒にいていいのかよ」

「それはどういう意味かな」

「そのまんまの意味だよ」

 もともと、ハルキのもと離れたのは『ハルキのためにならない』と思ったからだ。

 自分は絶対に釣り合わない。今でも、ハルキの隣で微笑んでいた美しい女性の姿を覚えている。二人が並んでいる姿が、目に焼き付いて離れない。あの二人が共にある、あの姿こそが『正しい』のだと、思い知らされたかのようだった。

 龍太郎のことは、好意的に思っている。だからこそ、離れた方がいいのではないか。そんなことを思ってしまう。

 あれだけ辛い思いをして日本から逃げたのに、また同じようなことで頭を悩ませてしまっていて。学習しないなあ、オレ。マフラーに口元を埋めたまま、こっそりと苦笑いした。

「……まず、君の見解には二つ、誤解がある」

 小さくため息を吐いた龍太郎は、指で二を作ってオレに見せた。ブイサイン。ちょっと可愛い……そうじゃない。

「ひとつ。ワタツミの家は確かに一部で有名かもしれないが、俺は別に跡継ぎじゃあない。

家はいくつか会社を持ったりしているが、仕事はあくまで実力者が継ぐ。これがウチのやり方だ」

 若干のとんでもない単語は聞こえたが、つまりは龍太郎は「別に自分が偉いわけではない」と言いたいのかもしれない。ちょっと頭を悩ませたオレに、龍太郎は重ねて告げた。


「ふたつ。俺は、一緒に居る人間は自分で決める。環境も、周りの意見も、知ったことじゃない」


——一緒に居る人間は、自分で決める。


 その言葉の威力は、オレにとってまるで銃弾のようだった。

 どうするべきか、どうあるべきか。そればかり考えてしまっていたオレにとって『自分で決める』という言葉は、当たり前なのに当たり前ではなくて。

 凍って固まっていた思考が、急に海の波に揺り動かされたようでもあって。

 そんな考え方が、あってもいいんだと。そんなことを考えて、茫然としてしまった。


「——なあ、和兎」

 龍太郎の指先が、オレの冷たくなった頬に触れる。

「日本で何があったのかは、俺はまだ知らないけど。よかったら、教えてくれないか」

「……」

 さっきまでのオレの言葉から、何か察しているのかもしれない。

 なんで突然、留学なんてしたのか。——何から、逃げてきたのか。

 答えようとして、口を開けて、また閉じる。うまく言葉に出来なかった。頬に触れる指先が、心地いいと思ってしまった。ぐちゃぐちゃと混ざり合う感情が、言葉を邪魔している気がする。また、ちぐはぐ。

「……いつか、教えてくれたら、それで構わない。

 その上で、提案なんだが」

 龍太郎の親指の先が、オレの瞼の近くを擦る。泣きそうになっているのが、バレてるんだろうなと思う。

 視線を合わせる龍太郎の瞳が、真っすぐで、優しくて——熱い。

 その熱が、今触れられている指先から伝わってくるようだった。

 慈しむような視線で、指先で。龍太郎は穏やかに告げた。


「俺と付き合ってくれないか、和兎。

 ……どうも俺は、君に惚れてしまったらしい」


 目の前の男の、とんでもない告白。

 そりゃあ、驚いた。

 ありえないと、何をいっているのかと、その手を振り払ってしまえばいいのに。


——優しい指先を受け入れてしまうくらいには、オレはその温かさを求めていたのかもしれない。



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