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第6話 邂逅

 青空の下。ちょっとだけオシャレを意識した私服で、オレはカラフルな建物の前にやってきた。オレ以外にも、カップルや家族連れが大勢建物の中に吸い込まれていく。みんな笑顔で、これからココを楽しむんだーってワクワクしてるみたいだ。

 ここは国内有数の、有名な遊園地。日本といえば、ココとあともう一か所、みたいな。そんなレベルで名前が知られている場所。

 目の前の建物はただの入り口に過ぎず、その向こう側では観覧車が回り、ジェットコースターが走っている。家族連れがマスコットと戯れ、カップルはベンチで腰を落ち着けてイチャイチャしてる。すげえな、こんなとこ初めてきた。おっかなびっくりとゲートの前で立ち尽くすオレに、誰も目もくれやしない。みんな自分の家族や恋人のことで頭がいっぱいだ。


「ごめん、少し遅れた!」

「大丈夫、俺も今きたばかりだ。待たせて悪いな、和兎」

 ゲートの向こう側、待ち合わせの噴水の前に走りこんだら、そいつは何でもないように笑ってみせた。今きた、なんてウソつけと思う。でもそんなテンプレートな答えがキマってしまうほどの、いわゆる、美青年。黒い髪に藍色の瞳。ちょっとくせっ毛な髪をふわふわと揺らして、でも瞳はきりっとしてる。

 オレと遊園地で待ち合わせしていたこいつの名前は、海龍太郎という。

 海、と書いて、ワタツミ。ワタツミ、って、海の神様のことなんだって。ずいぶん仰々しい名前だけど、オレはかっこよくていいんじゃないかって思う。初対面の時にそう話したら、龍太郎は照れ臭そうに笑ってたっけ。

 休日に、二人で遊園地。前から約束をしていた。こんなとこ、普通男二人で来ない。オレは別に遊園地マニアとかではないし。

 というか、遊園地なんて初めてだ。サクとだって一緒に来たことない。それはまあ、サクが人混みを嫌うからって理由も大きいんだけど。その話をしたら、じゃあ日本の遊園地、一緒に行こうって声をかけてくれた。それが、目の前で笑うこの男だ。

「遊園地来た事ねーから、なに準備したらいいかわかんなくてさ。サクが呆れながら園内マップだしてくれたんだけど、それで遅れちまった。マジでごめん」

「別に構わないさ。それに、地図を持ってきてくれたんだろう? 助かるよ。俺にも見せてくれるか?」

 優しく笑う龍太郎に、カバンの中に入れていたマップを手渡す。なんの準備もできてないオレに呆れつつ、サクは園内マップをサッと印刷したうえに、見て回るルートや見どころの場所まで軽く書き込んでくれた。短時間でなんでこれだけ出来ちゃうんだろうなあ、あの兄は。

……これが、相手がハルキだったなら、こうはいかなかっただろう。サクは、ハルキのことが死ぬほど嫌いだ。理由は何回聞いたって教えてくれなかった。代わり、というわけではないけど、なぜか龍太郎のことはそこそこ好意的にみてくれている。こうやってデートの手伝いをしてくれるくらいには、オレと龍太郎とのことを応援してるみたいだ。


——そう、オレと龍太郎は今現在、世間一般でいう『お付き合い』をしている仲にあたる。


 出会いはアメリカ、四年前の留学先だ。公園でボーッとしていたオレに、龍太郎が話しかけてくれたのがきっかけだった。日本人を見かけたからつい、って笑いかけてくれた。

 オレの何がよかったのか分からないけど「好きだ」って、何度も言ってくれた。言葉で、全身で、気持ちを表してくれた。むず痒いような、くすぐったいような気持ちにはなるけれど——やっぱり、嬉しかった。

 正式に付き合ってくれないかって言われた時も、嫌な気はしなかった。「ハルキのことを忘れられないかも」って言ったけど「それでもいい」って言ってくれた。それってすごいことだと思う。それに、龍太郎が隣にいるのは暖かくてホッとする。だから、これがずっと続くんなら、って思った。

 サクにそれを伝えた時は「アイツよりマシだからいい」と、あっさりOKが出た。アイツ、とは言わずもがなハルキのことだ。ハルキがダメで龍太郎がOKだという差がオレにはわかんないけど、身内に反対されないことにこしたことはない。こうしてデートの応援までしてくれるし、別にいいだろう。

 ただ、やっぱり引け目があるというか、申し訳ないなって気持ちは、消えない。オレの中にはずっとハルキが居座ってる。多分、消えることはない。龍太郎はそれを分かってて、好きだって言ってくれてる。だから、オレはそれに甘えてるんだ。

 サクがまとめてくれたマップを見て、龍太郎は感心しきりだった。

「すごいな、ちゃんとメモまでしてある。それで、和兎はどこに行きたいんだ?」

「えっと、ジェットコースター! ここのすっげえ怖いって評判なんだって!」

「へえ、怖いのが好きなのか? それなら……」

「あ、いや、でもお化け屋敷はカンベン。お化けはダメ」

 向こうに見えるお化け屋敷を指さそうとした龍太郎に、思い切り顔の前でバツを作って拒否した。

 乗ったことないけど、きっと絶叫系は好きなんだと思う。プールの飛び込みとか、ゾンビを撃つゲームとか、そういう度胸試し的なのは昔から嫌いじゃない。

 でもシンプルなお化けは別だ。得体のしれないものはマジで怖い。昔ホラー映画を見た日、オレは泣く泣くサクの部屋で寝たことは忘れもしない。真顔でお化け屋敷を拒否ったオレに、龍太郎はくすくすと笑った。

「なるほど、いいだろう。まず早々にジェットコースターに並んでしまおうか。……いや、長く並ぶことを見越して、何か買っていこう。小腹がすくだろうしな」

「やった!」

「こっちのエリアに、いくつか屋台があるらしい。じゃあ、行こうか。……ほら」

 そう言って、龍太郎の手がオレに向けられる。

 綺麗で、かっこいい手。大きな手のひらと、長い指。絵になるなあって思う。

 ちょっとだけ悩んで、——何かがオレの脳内をよぎったのに、気づかないフリをして。

 オレは、その手をとった。


 朝に待ち合わせたっていうのに、夕方まであっという間だった。初めての遊園地は、正直楽しかった。ジェットコースターはスリルがたまらなくて何回も乗ったし、結局入ったお化け屋敷は怖かったけど面白かった。今度はサクもつれてこよう、って言ったら「あいつはお化けを見ても全く表情を変えなさそうなだ」って龍太郎は笑ってた。それ、すげーわかる。

 前に甘いものが好きだって話をしてたのを覚えててくれたのか、サプライズでアイスまで買ってくれた。

 もちろん、龍太郎本人も楽しんでくれていた、と思う。

 でもこのデートで一番にオレを楽しませてくれようとしてたのが、見ていてよくわかった。

 嬉しかった。ありがたかった。

 ——同じくらい、ごめんなって、思った。握る手に、力が入らなかった。

 オレが目を伏せてしまうたんびに「どうした」って覗き込んでくれる龍太郎が、優しかった。

 嬉しくて、辛くて、胸の中の気持ちが一色にならない。やっぱり、ちぐはぐだった。


 駅が混む前に帰ろうって話になって、オレたちはほかの客よりも一足先に駅に向かった。

 遊園地から駅まで、少しだけ距離がある。ちょっとした商店街っぽくなっているその道では、遊園地のお土産が売ってあったり、観光客を目当てにした郷土品のお店が並んでたりした。そんな賑やかな店をのぞいていると、まだ全然ワクワクしてしまう。帰り道だってのに、楽しい。

 胸の中のちぐはぐな気持ちを押し隠すように、あえて目の前に広がる楽しい光景にだけ集中するようにした。

——これ、このへんの名産なんだって。

——あ、マスコットが着ぐるみ着ていやがる。モフモフしてんなあ。龍太郎、一匹いらねえ?

 そう言いながら、遊園地のマスコットであるぬいぐるみをつついてたら、隣の龍太郎が突然、くしゃりと頭を撫でてきた。

「? なんだよ、いきなり」

 突然の行動に、ちょっとびっくりする。

 でも龍太郎の視線は、真剣そのもので。

 深い藍色の瞳が、心配そうにオレのことを覗き込んでいた。

「……なあ、和兎。

 何か、あったのか?」


「……なんで?」


 びっくりして、声が上ずってしまった気がする。ああ、こういう時にサクみたいに、嘘をつくのが上手ければと思う。取り繕おうとどんなに頑張っても、顔にも、声にも出てしまう。これだけ露骨になってしまえば、そりゃあ龍太郎にだってお見通しだろう。

「見れば分かるさ。聞かれたくないというなら、聞かないが」

 物分かりがいいって感じで、龍太郎は一歩引いてみせる。そういうトコだよ、このやろう。こんな感じで、ちょっと引くとこもまたソツがなくて、いっそ腹立たしいくらい。

 そんな龍太郎の姿に、今この場にいない誰かの姿を薄く重ねてしまいながら、オレは口を開いた。

「……ハルキに、会ったんだ」

 ハルキの名前は、前に伝えたことがあったから知ってるはずだ。付き合ってた、って。日本をいったん離れたきっかけになった、って。

 名前、しっかり覚えてたらしい。聞き覚えのある名前に、龍太郎はびっくりしたように目をぱちくりさせてた。

「偶然、だったのか?」

「そりゃそうだよ。ホント、たまたま。起業するなら必要だって呼ばれたパーティで、偉い人としてそこに居たんだ。オレ、まさか企業同士が繋がってるなんて思わなくてさ」

「うん」

「でも、ハルキはあくまで『えらい人』だから、もう会わないだろうってタカ括ってたんだ。

 そしたらその後……たぶんハルキから探したんだろうな。関係してる会社の会議で、突然同席が決まって……それで」

 一旦言葉を切って、息を吸う。吐き出す。ぐちゃぐちゃする心の中から、かろうじて言葉らしい言葉を引っ張り出した。

「もう一度、一緒に居たい、って言われた。」

 忘れようとしても、何度だって頭の中に浮かんでくる。

 晴れ渡った青空。ちらちらと舞う薄紅色。ひかれた左手。口づけられた薬指。


 ふと、左手を引かれた。龍太郎が、少しためらいがちにオレの左手に触れていた。

 ああ、前から思ってた。手の形、よく似てるんだ。

 龍太郎のほうを見上げれば、深い藍色がじっとこっちを見つめていた。

 髪型も、瞳の色も違うのに。どこかアイツを彷彿とさせる。思い出してしまう。なんでだろうな。

 少しだけ姿勢を低くしてじっとオレを見つめる龍太郎は、まるで幼い子供に向き合うようだった。

 問いかけてくる声が、ひどく優しい。

「お前は、どうしたいんだ?」

「オレ、は」

 龍太郎からの問いに、涙が零れそうになる。ああ、ダメだな。せっかく遊びにきたのに。せっかく龍太郎が話を聞いてくれているのに。せっかく、せっかく、せっかく。

 耐えきれなかった一粒だけ、頬を伝った。

「だって、ダメだよ。オレ、一緒にいたら良くないって思ったから離れたんだ。

 あいつに幸せになってほしいって思って。だから——」


——だから、やっぱりオレは、あいつの元へはいけないんだ。


そう、口に出そうとした、瞬間だった。



「……カズト?」

 本来だったら、こんな場所で、こんなタイミングで聞こえるはずのない声。

 聞き馴染んだ声で、忘れたい声で、忘れられない声。

 龍太郎と少し似てるけど、絶対に間違えない。間違えられない——そんな、声。

 声が聞こえた方へ、ゆっくりと振り向いた。休日だからだろうか、少しラフな姿をしているその人は黒いコートを靡かせながら、目を丸くしてオレのことを見つめていた。


「……ハル、キ?」


 相変わらず、幻覚のようにその場に現れやがる。

 星空ハルキの姿が、そこにはあった。



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