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第5.5話 思い出の一枚の

 待ちに待った、高校の入学式。雲一つない青空に、薄紅色がふわりと広がる。この季節を、この日を、どれほど待ち望んだことか。

 たった一年間離れて過ごすのでさえ、ちょっと寂しかった。だから、本当に待ち遠しかった。

 式が終わって体育館から出てきたオレに、誰よりも真っ先に声をかけてくれた人がいた。

「——カズト」

 紅白の花を胸につけて、まだ慣れない制服を着たオレを呼び止めたのは、もう何年も一緒にいる大好きな幼馴染で。

 一つ年上で、在校生としてオレを迎えてくれたハルキがにこりと微笑むその姿に、周囲が明らかにざわりとどよめいた。

——つまり、オレが高校生活で一番注目を浴びたのは、入学してたった数時間後だったというわけだ。



 さて、そんな話をふとしていたら、オレの目の前で弁当をつつく友達が思い出し笑いで噴出した。

「そりゃあ、驚くだろうなあ。なんたってあの星空家の御曹司、容姿端麗成績優秀の完全無欠男が、一人の新入生を前にしてあの花の咲くような笑顔だし。相手は誰だーって、周りも沸くだろうよ」

しゅうが入学式で代表として答辞読んだ瞬間には負けると思うけど。ていうか愁、また三年間そのカッコでいくのか」

「別にいいだろ。似合うし」

 そう言って笑うソイツは、さらっとオレの弁当から唐揚げを盗んでいく。見た目美少女のくせに、行動は結構男臭い。なんてヤツだ。がっつり自分の分の弁当を死守してるサクは、オレの隣で平然と唐揚げを食い切った。裏切者め。

 多くの生徒の脳裏に刻まれた衝撃の入学式から、三日が過ぎた。オリエンテーションも終わり、昨日から普通の授業が始まっている。この時期、ほとんどのクラスメイトは高校デビューに勤しんでいるといっても過言ではない。

 昼休みともなればあちこちのヤツが友達作りに必死だ。それに比べて、オレは見知ったメンツで固まって、こうして弁当を広げられている。

 そもそもオレには同い年の双子がいるから、同じ高校に入ってしまえば知人ゼロは避けられる。それに、今サクの隣に座っている同級生は、オレ達と同じ中学からこの高校に上がってきた友人の一人だ。気心が知れているヤツと一緒にいられるのは、ありがたい。

 オレの目の前の席で、掠め取った唐揚げを片手にニヤリと笑うそいつは、雨野愁あめのしゅう。この高校に首席で入り、答辞を読んだ張本人だ。明るめな茶色のセミロングを、いわゆるサイドテールで結んでる。目がぱっちりと大きくて、まつ毛ばっさばさで、笑った姿は美少女にしか見えない。

 こんだけの外見美少女が入学式で新入生代表として出てきたのだ。体育館はとにかく沸いた。いろんな意味で。短いスカートから、男の目を引く太ももが見えている。

 愁が足を組み直すたびに、それにちょっとヒヤヒヤするのは、決してオレが愁に気があるからとかではなく——

「なあ、愁。似合うからって女子の制服着るのはいいが、また男だらけの告白タイムが始まっても知らねーぞ。お前も男だろうに」

——そう、呆れたように呟くサクの言う通り。この雨野愁、実は『男』なのだ。

 こういうタイプを『男の娘』というのだと、割と最近知った。おとこのむすめ、と書いて、オトコノコ。知らない世界だ。別に知らなくよかった気もする。

 中学で初めて会った時は完全に女子だと思った。でも口を開いた瞬間に飛び出すのは男らしい文句の数々で、思わずあっけにとられてしまった。

『新入生代表の一年男子・・』としてこの愁が体育館の舞台に上がったのだから、それはもう入学式はざわめいた。ここ数年で一番の事件だっただろう。オレとサクは既に知っていたので『驚くよなあ、そうだよなあ』なんて感慨深くなってしまったくらいだ。むしろ事前に多少の打ち合わせがあったはずなのに、よくOKを出したなあってこの高校の先生の懐の深さに驚いた。

 で、この愁本人は別に『女の子になりたい』とか考えてないのがミソだ。ただ『女子の服装が似合いすぎるからやっている』だけらしい。自分が似合う姿に男女は関係ない、と公言しているのだから、それはそれで凄いと思う。見た目は美少女なくせに、愁は男前がすぎるのだ。

 そんな話をしていると「おーい」とクラスメイトの一人が、オレたちに向かって声をかけてきた。三人が一斉に振り向くと、そいつは愁の方を指さした。どうやらご指名は愁らしい。

「雨野ー、お呼び出しだぜ。オ・ト・コ」

「げっ」

「大人気だなあ、愁」

 明らかに顔を顰める愁に、サクがにやりと笑ってみせる。この双子の兄は人の不幸が密の味だって素で言うやつだ。仕方ない。まあ、愁のこの状況は仕方ないというか、もう必然だなあとは思うんだけど。

 凄く嫌そうな顔をした愁が、立ち上がりながらぽつりと呟いた。

「なんも嬉しくねえよ。貴重な休み時間つぶしやがって、どこのどいつだ。股間見せてやろうか」

「トイレの個室でやってこい」

「いやだめだろ。だめだって!」

 とんでもないことを言い出した愁に対して、サクまで適当なことを言うもんだから、慌てて止める。見た目が完璧な美少女と、それを呼び出した男が一緒のトイレの個室になって以下略は絶対にまずいだろ。それくらい考えてくれ。

 なかなかにぶっ飛んだやつら(一人は双子)と友達をやっていると、どうもオレがストッパーにならないといけない気がする。もう慣れたけど。うん。はい。

 そうしたら次は、別の呼び出しがかかった。今度はオレたちの方を見て呼ばれたのだ。

「おーい双子、の、コミュ力高い方―」

「どういう呼び方だよ」

 なんだか嫌な呼ばれ方をした気がして、眉を寄せる。分からなくはないけど。双子の兄にコミュ力が無いと暗に言われているのは少し気になる。実際にないんだけどさ。オレが言う分にはいいだろ、うん。嫌だなあって思いながら振り向くと、クラスの男子が一人手招きしてた。

「お前もお呼び出しだよ。オトコ」

「は?!」

——オレまで?!

 オレの混乱を悟ったのか、目の前のサクがにやにやしてる。またこいつはそんな顔をしやがって。腹立つ。だから誤解されんだよ。そしたらクラスメイトは、不思議そうな顔して言いに来た。

「早く行って来いよ。なんか見たことある顔だし。確か、イッコ上の先輩」

「——ハルキじゃん!」

 一つ年上。見たことある顔。きっとハルキだ。それを先に言え。思い当たる節しかないじゃないか。

 サクの顔が、今度はものすごく嫌そうに歪む。結構無表情だと思われがちなサクだけど、オレから見ればかなり表情豊かな方だと思う。

 一連の流れを見たクラスメイトは、きょとんと首を傾げた。

「何、知り合い?」

「おさななじみ!」

 そうだよな。学年が上な幼馴染って、あんまりないかも。

 でも、そんなの関係ない。

 ハルキは、オレにとって大切な人だから。


「入学、おめでとう」

「何回言ってくれんだよ、それ。ははっ、ありがと」

 パッと見は無表情で、でもオレから見るとちょっと嬉しそうに、そうやってお祝いの言葉を言ってくれる。もう何回目か分からない。それくらい同じ高校に通えることを嬉しく思ってくれているのかな、なんて思うと、なんだか照れくさくなる。

 ハルキはオレよりも一才年上だ。小学校の時から一学年上だったけど、小学生にとっては一学年の差なんてぶっちゃけあってないようなもんだから、普通に一緒に居た。一年後に同じ中学に入った時は流石に「先輩」って呼んだけど、そしたらスゲー嫌そうな顔されたから、もうそれ以来は呼んでない。先輩後輩知ったことか。

「中学の時もだったけど、センパイ、とは呼ばないぜ。その方がいいだろ?」

「別に構わない」

 なんでもないようにそう言ってくれるハルキが、やっぱりいいなあと思う。普通は一学年差があったら、幼馴染と言ってもセンパイって呼べとか、そういうのがあると思う。ハルキはそういうのがない。

 そういった上下関係に興味がない、が正解なんだろうけど、それがなんだか嬉しかった。

 そういえば、なんでオレを呼び出したんだろう。わざわざおめでとうのために呼び出すってことはないと思うけど。そう考えていたら、ハルキはちらりと廊下にある時計を見て言った。

「見せたい場所があるんだ。時間はあるか?」

「場所?」

 オレもふと時計を見上げてみる。昼休みはまだもう少しあるみたいだ。なんとかなるだろう。それにしても、オレだけでいいのかな。サクと愁もつれて来るなら、少し待った方がいいだろう。愁はちょうど、お呼び出しの真っ最中だ。

「いいけど、サクは? 愁ももう少ししたら帰ってくると思うけど。あいつさっき呼び出されたばっかだから」

 あまり時間はかからないことは知っている。どうせ愁は誰が相手でもこっぴどく振って帰ってくるんだ。アイツと三年間一緒に居て、最短記録は二分。カップラーメンも作れない。呼び出した側がいっそ可哀想になるレベルだ。

 ハルキは少しだけ考え込んで、ちょっと戸惑ったように言ってきた。

「カズトにだけ、教えたいんだ。そこを二人に教えるかは、カズトが決めたらいい」

「ふーん? おっけ、いいぜ!」

 オレにだけ、教えたい場所。ちょっと検討がつかないけど、ハルキがそういうなら、別にいいだろう。オレが頷くと、一緒になって頷いたハルキもほんのり嬉しそうだった。


 オリエンテーションでは「ここは使いません」って言われただけで終わった、校舎奥の階段。噂だと七不思議だとか立ち入り禁止だとか聞いたけど、別に何もありはしなかった。

結局ただの人気のないだけの階段を上がって、屋上への扉を開ける。みんなが使える屋上への階段は、別の場所にあるのを見た。じゃあ、ここはどこに繋がっているんだろう。

 ハルキに促されるまま、屋上に足を踏み入れる。校庭か、それとも裏手の住宅街が見えるかと思ったが、そうじゃなかった。

 面積はそう広くないけれど、そこから見えたのは緑と、薄紅色。少し離れた場所を流れている川と、その両岸に植えられた桜が、とても綺麗に見えていた。

 うまく背の高い建物の隙間から、遠くの自然が良く見えている形になっている。わざわざこのために作られた展望台みたいだった。

「わあ……! すっげえ、こっからこんな景色見えるんだ!」

 この辺りは住宅街が多く、自然はあまり多くない。これだけきれいに見える場所は珍しい。というか、穴場なんじゃないだろうか。

「カズトに見せたかったんだ。こういう景色、好きだと思って」

「うん! ちょーすき!!」

 せっかくだから、こういうのは撮らなくちゃ。慌てて、オレはポケットからデジカメを取り出した。液晶画面にしっかりとその光景を収めて、一枚撮る。この赤いストラップをつけたデジカメは、高校の入学祝いに父さんがくれたものだ。

 父さん、といっても本当の父親じゃない。オレを引き取ってくれた、養父、ってやつ。でも、オレとサクが写真を撮るのが好きだと知って、中学二年生の時に二人分のカメラを買ってくれた。世代遅れのデジカメだけど、かなり性能のいいやつだ。双子の分を二台一気にプレゼントしてくれたんだから、それなりに値が張ったはず。でも父さんは笑って「いっぱい撮れよ」って笑ってくれた。嬉しかった。

 液晶画面の向こう、さっき撮った写真を再生する。桜の樹と、流れる川が重なった写真。ハルキに教えてもらった場所の、特別な一枚。ちょっとトクベツで、いいなって思う。

「へへ、きれーだなあ」

「カズトがいいなら、今度はみんなでここに来よう」

 ハルキが微笑みながら、そう言う。オレがさっき言ったことを覚えて、言ってくれたみたい。みんなで行くか、って聞いたやつ。

 でも、長い付き合いだ。オレにだってわかる。このハルキの顔は「あんまり誰にも教えたくない」って顔だ。ハルキにとっても、ちょっとお気に入りで。だからこそオレにだけ教えたかった場所。

 なんだか好かれてるなあ、なんて思う。

「……いや、いいや。みんなでさ、あっち行こうぜ」

 オレは向こう側に見える、桜と川の方を指さした。

まるで展望台のような景色が見える『この場所』じゃなくて、実際に見えている向こう側のことだ。

「今日の放課後、ジュースとか買ってさ! まだあんなにきれいに桜が残ってるんだ。皆で花見、したいじゃん」

「それは、いいが」

 この場所は言わなくていいのか、って顔してる。ハルキが秘密にしたがってるのに、他のヤツに広めることもないだろう。

「絶好の花見スポットの方を教えるから、いーんだよ。

だから、この屋上だけは、オレとハルキだけの秘密な」

 なんだかオレが言うのも照れくさくなって、へへって笑いながら言った。そうしたらハルキも嬉しそうにするもんだから、意外とやっぱりこいつ、分かりやすいと思う。



「なーなー! 帰り、花見して帰ろうぜ!」

「花見?」

 昼休み終わりのギリギリ、教室に戻ってきたオレがそう言ったら、サクと愁が顔を顰めた。そんな場所どこにあんだよ、って感じの顔。

「川向こう! 桜が綺麗に残ってるトコ、窓から見えたんだよ! そんなに遠くねーしさ」

「へえ、それいいじゃん」

「まあ、いいけどさ」

 愁は割と乗り気になってくれて、サクもまあ悪くない、って感じの顔だ。

「今年は色々忙しくて、みんなで花見とかできなかっただろ。俺、気にしてたんだからな」

「忙しいに決まってんだろ、オレたち受験だったんだから」

「わかってらい。……そういや、愁は告白タイム終了か。おつかれ」

「ああ。今日は3分で終わらせた」

 そう言って愁はどうでもよさそうにシッシッて手を振った。いつものことだけど、マジで相手が哀れに思う。

「いっそ相手が可哀想だよな、ホント」

「ツラしか見てないやつに興味ねーんだよ。そもそもオトコは論外だ」

 じゃあそんなカッコしなきゃいいのに……って思うけど、もうそんな質問は中学の頃にし尽くしたので、今はもう諦めた。

 ぼーっと外を見ていたサクが何を思いついたのか、顔を顰めてオレに聞いてきた。

「……ちょっと待て。まさかその花見の場所、ハルキに教わったのか?」

「? うん」

 そう言うと、サクは「うげえ」と嫌そうな顔をした。こういう時ばっかりサクは表情豊かだなあと思う。

「……行きたくねえ」

「お前、ほんとにハルキのこと嫌いだなあ」

「嫌い。黒板をひっかく音くらい嫌い」

「またいやーな例えをするなあ、もう」

 サクの例え話のセンスが微妙なのはいつものことだ。黒板の音が嫌なのはわかるけど。

「いいじゃん、付き合ってよ。」

 サクの前でそう言えば、オレと同じ顔は小さくため息を吐いた。これはしょうがないなあって諦めた顔だ。オレはよく知ってる。その横で愁も面白そうに笑ってた。


 オレと、サクと、愁と、ハルキ。仲良しっていうか、凸凹っていうか、そんな四人。

 いつまでも、こんな時間が続けばいいなって。そう思った。

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