祭壇にはそれぞれ生贄を捧げる時期があり、今アオ達のいる祭壇はその時期ではない。ルドベキアに印を付けてもらった地図をみれば、生贄を捧げる時期が近い場所が一ヶ所。このタイミング、もしかするとそこにスイがいるのかもしれない。
「ここまで全力でどのくらい?」
アオが地図絵を見せる。その場所は今いる場所から更に遠くだ。
「わかんない。三日以上はかかると思う」
アオの言いたいことが、アサリナに伝わったのだろう。
アサリナは断ることはできない。
「とりあえず急ごう」
「りょーかい!」
そこからの動きは早かった。日が沈みかけているのも構わず、急いで宿を出た二人は、箒に乗って飛び立つ。一度町から出て行き、アオがアサリナを抱きしめて姿を消して町に戻る。
せっかく来たのだ、念のためにこの町の祭壇も見ておくことにする。
上から見れば台形の形の町の頂点部分、上辺の真ん中には、町長の家があり、そこから不自然に広がる広場があるらしい。
集中をしているため、よく見ることはできないが、祭壇というからにはもっと荘厳な物があるのかと思えば、岩を横に切った物のみだった。
なにが神として祀られているのかはどうでもいい。少々強引にだが、姿が消えているのをいいことに、アサリナは箒のまま町長の家から通じる離れに向かう。天井近くにある窓から中の様子を窺ってみると、そこには虚ろな表情をした十代の男女と、それの世話をしている女の姿があった。
姿を消す術を維持するため集中しながらも、建物の中にスイがいないかを確認する。
「いない」
その言葉で、アサリナが全速力で箒を飛ばす、それと姿を消す術が解けるのは同時だった。
今までで一番集中した自覚のあるアオ。しばらくアサリナにもたれながら呼吸を整える。
町が見えなくなったところで、アサリナは一度箒を止めて地面に降りる。
箒から転がり落ちたアオが胸を上下させるのを見ながらアサリナが言う。
「目的地近くは、間違いなく姿を消さないと飛べないよー」
「分かってる……! もう今はとにかく、その場所に急がないと」
「でも二週間あるって」
「早いにこしたことはない」
「それはそーかも」
そもそもスイが祭壇にいると決まった訳でもない。それでも、今までの二つの世界を巡ったアオは、スイがそこにいると確信している。それなら、急がない理由が無い。一刻も早くスイを見つけ、『哀』の感情を解放する手立てを考える。
それに、スイさえ見つけることができたのなら、アサリナだって他の祭壇の生贄を助けることができる。
「でもー、適度にきゅーけーしないと、いざという時に動けないよー」
アサリナは鞄を取り出すと、その中から片手で持つことができる程の缶を取り出した。その缶を開けると、乾燥させた果物が姿を現す。その中の一つを摘まんで食べたアサリナ。缶をアオにも差し出す。
アオもその中からサイコロ型の果物一つ貰う。
(マンゴーみたい……)
「それはそうだけど。でも、箒で普通に飛んでいける場所までは急ぎたい」
その後の、姿を消さなければならない場所で時間的余裕を持つためだ。
「りょーかい」
息が整う位の休憩ができたのなら、後はゆっくり箒で飛びながらでも大丈夫だろう。
再び箒に乗って飛び立つ。
箒で飛んでいける場所までは急ぎたいと言われたはずなのに、ゆっくりと進むアサリナにアオが苦言を呈する。
「遅い」
景色を楽しむ余裕のある速度で進む箒は、道行く人々の注目の的だ。
「だって疲れてるじゃーん」
アサリナの指摘通り、アオはかつてない程集中をした反動の疲れが抜けきっていない。
さっきは必死だったため、いつも以上の集中力を保つことができた。あれ程の集中力を常に保つことができるのなら、この先の旅も、この先の世界でも、アオの大きな力になるだろう。
アサリナの言葉にはなにも返さず、アオはあの時の自分の感情を思い出す。
(あの気持ちを常に保てれば……)
アオは今まで、二つの世界を巡った経験上、スイはこの『哀』の世界で一番目立っている『祭壇』が関係している所にいると考えた。当初は、その祭壇を一つ一つ回ろうと決め、拠点となるソーエンスから一番近く、魔法使いと仲の良い町に向かった。そこでアサリナに、生贄をどうするのかと問われ、スイ以外のことなどどうでもいいアオは見捨てることを選択。しかしアサリナはそれを良しとせず、意見が対立してしまう。
そこでルドベキアに相談したところ、生贄を捧げる時期があるということを知る。ルドベキアによれば、その町の祭壇で生贄を捧げるのは当分先ということ。それを聞いたアオは、それぞれの祭壇が生贄を捧げる時期は分かるのかと聞く。ルドベキアは分かると答え、貰った地図に、生贄を捧げる時期が近い祭壇に印を付けてもらった。そしてその祭壇は一つだけだった。
生贄を捧げる時期が近い唯一の祭壇、アオがこの世界にいるタイミングでの一つ。これは悩むことなく、そこにスイがいると決定づけた。
その祭壇に生贄を捧げるのは大体二週間後。そしてその場所へアサリナが全力で箒を飛ばせば三日程で到着することができるとのことだった。
しかし、三日で到着するというのは、ずっと箒で移動できた時の話だ。実際には、想像通りに事は進まないはずだ。そのスイがいるであろう祭壇は、魔法使いがおいそれと立ち入れない場所だ。ソーエンスやその周りの町が例外であるだけで、祭壇ができた経緯を考えれば、魔法使いは忌み嫌われるのは仕方が無い。
そんな状況で使えるのはアオの仙術だ。姿を消すことができれば、飛んでいてもその姿を見られることはない。そして、仙術を使用するのには、アオは動けなくなるほど集中をしなければならない。一応動きながらでも使えるように修行はしているが、まだ上手く扱えない。
箒で移動している時、アオはただ、後ろで掴まっているだけなのだ。それなら、集中することに集中することができる。しかしそれをするために一つの躊躇いがあった。それはアサリナを抱きしめなければならないのだ。姿を消す仙術は、自分と、その持ち物を消すことができる。つまり使用者にしか効果が無いのである。それを解決するために、アオはアサリナを抱きしめ、アサリナを自分の物扱いにしなければならないのだ。
翠以外の人を抱きしめることが嫌で嫌で仕方がないが、そう言っていられない状況が今の状況だ。なによりも優先するべきは、スイを見つけることなのだから。
ひとしきり振り返って、改めてアオは先程の集中できていた状況を思い返す。
あの時――アオは速くスイの下へ行きたいということしか考えていなかった。生贄を助けたいと言っていたアサリナも、生贄を捧げる時期が近いその場所へ早く行きたい。二人の思いが一致して、言葉も交わすことなく、アサリナは箒に乗ってあの町の祭壇まで向かい、アオは姿を消すことに専念した。
スイの下へ行きたい。それ以外考えていなかったはずだ。
(でも……早くスイに会いたいって気持ちはいつも持ってるし。でもあの時は今みたいに考えられる状況じゃなかったし……もしかして⁉)
意図的にあのような状況を作らなければならないのだろうか。
アオは試しに、自分の姿を消してみる。
「え⁉ ちょっとー! 箒も消えてるんだけどー⁉」
アサリナが、いきなり箒が消えたことに驚いているがアオには聞こえない。
「アオ⁉ ねーえ! アオってばー‼」
今現在、周りから見れば横乗りになったアサリナが空を滑っているように見えるはずだ。
そんな奇妙な状態で空を飛ぶことをアサリナは選んでいた。本当なら、一度止まってみたいが、箒で行けるところまでは行くと言った手前、ただでさえ速度を抑えているのに、止まることはしたくなかった。
今はただ、アオが落ちないことを願いながら箒を進めるだけ。
そしてようやく、箒が見えたアサリナは、アオが落ちたのではないかと急いで後ろを確認する。
「よかったー………急にどうしたの」
大きく息を吐いたアオがアサリナに返す。
「さっきみたいに集中してみた」
今ので分かったことは、置物になるレベルで集中しなければならないということだ。念のために生贄の姿を確認したあの時は、その確認の段階で集中力が切れて姿を現してしまった。いまは、自らの意志で姿を現したアオ。その代わりに、アサリナの声も聞こえない、ただの置物だったが。
「かなりしゅーちゅーしてたね。あたし声かけてたのに」
「全く聞こえなかった。箒で移動するだけならこれでもいいと思うけど……」
「それ以外は難しそー?」
「難しい。まあ、修行はするけど」
姿を消す仙術を使いこなすには今のような置物になるしかないが、仙人との会話は一応歩きながらでもできるようにはなっている。術の種類にもよるだろうが、修行次第でなんとかなりそうな気もする。できれば、歩きながら姿を消すことができるようになりたい。
「しゅぎょーもへいこーして進めたほーがいい?」
姿を消さなければ飛べない場所を飛んでいる最中に、アオの集中力が切れて姿を現してしまうなんてことは避けたい。
「休憩の時にでもできればいいかな」
「なるほどー。じゃー飛ばすね」
「お願い」
それなら、全速力で飛び、魔力を回復させる状況を作った方がいいという判断だ。
そして、二人を乗せた箒が茜色の風を残して飛び去るのだった。