アサリナに手を引かれ、アオは食堂を後にする。そしてそのままアオとアサリナは村の外まで出る。
「どうするの?」
ウサギを狩ればいいと言われたが、村の周辺は地形も穏やかで、野生動物の姿は見当たらない。
「ちょっととーくなんだよねー」
「箒で飛ぶの?」
魔力を回復させるために休んだのに、また使うことになるのだろうか。
「飛べばすぐだけどー、食べたばっかだし歩こうかなーって」
遠くと言っても、歩いて行ける場所らしい。
とりあえずアサリナに続いて歩き始める。少し歩けば、上空からは分かりづらかったが、アオの腰ほどの高さまで伸びている草が広がっている場所が見えてきた。
その草むらには、人が何度も通ったのだろう、草の踏みつぶされてできた道が伸びていた。
風で草が揺れるのに加え、所々が激しく揺れている。
「奥に行けば狩り場になってるんだー。ちなみにここのウサギはきょーぼーだから気を付けて」
「それって大丈夫なの? ていうか凶暴ってなに?」
「魔法使いセットを舐めたらダメだよー! 吹っ飛ばされても怪我しないから‼」
「そんな兎知らないんだけど」
それはつまり、恐らく戦えば強いであろうアサリナも吹き飛ばされるレベルだ。
「どんな兎なの?」
アオの知っている兎は、全長三十センチ前後の可愛い小動物だ。とても人を吹っ飛ばせる力を持っていない。
兎じゃなくて牛の間違いじゃないのかと思う。
この世界での記憶を辿ってみるが、肉なんて捌かれた状態でしか見たことが無いし、山にいる野生生物はとてもまずかったから一度食べたっきりだ。
「立ち上がったらルドベキアぐらいデカかったような―」
「兎じゃない……」
アオの知っている兎とはかけ離れたものなのだろう。
兎は動く時に跳ねるようにして動く。立ち上がったらルドベキア程の高さ――身長は百八十弱くらいなら、飛ぶように移動する時に嫌でも姿が見えるはずだ。それになのにこの長さの草むらで姿が見えないということはどういうことか。
できれば大きいだけで、見た目は可愛い兎でありますに、と願いながら、アオはアサリナを追う。
道はまだまだ続く。かなりの距離を歩いたはずだが、靴のおかげか全く脚は疲れない。
伸びている草は、アオの腰から胸の辺りまでの長さになっている。
不意に足を止めたアサリナにぶつかりそうになったが、当たる前に止まることができたアオ。なんだと声を出しそうになったが、アサリナが手を挙げて静かにしろという仕草をしたため口を閉じる。
「聞こえるでしょ? カサカサって音が」
そんなアオにアサリナが小さな声で言う。耳を澄ましてみると確かに周囲で草が擦れる音が聞こえる。
音のした方に目を向けると、黒い影が動くのが見えた。
「デカいのがいた……」
案の定初めて見るタイプの兎だった。これで見た目が可愛かったらまだ許せるのだが、果たしてどうか。
「これから狩りを始めます。できれば二匹ぐらいほしい」
「どうやって狩るの?」
「魔法とか色々してぶちのめす。ちなみにウサギは生まれてすぐに親を食べる習性があるぐらいきょーぼーだよ」
「凶暴というか凶悪……」
「突進には注意してね」
「突進してくるんだ……」
やはりそれは兎じゃなくて牛ではないのだろうか。
どんな化け物だ、とアオが呆れてため息をついた直後――右からがさりと音が鳴る。
そして黒い影が――。
「ぎぇやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
「なんで⁉」
間一髪、飛び上がって避けられたアオと、彼方への旅に出るアサリナ。
アオが着地した瞬間、再び黒い影が迫る。相手は一直線、今度は横に避ける。
「ウサギだ……‼」
そしてウサギの姿を見たアオはドン引きした。
全身真っ黒の体毛に覆われた巨大な四足獣、兎のように後ろ脚の筋肉が発達しており、それをバネにして、今のような凄まじい速度で横に飛んでいる。前脚にはスパイクのように地面に突き刺さっている爪があり、それがブレーキ代わりになっているのだろう。
顔は兎言うには血で赤く染まった牙があまりにも凶悪。見ていて癒されるどころか冷や汗が止まらない顔だ。しかししっかりと長く垂れた耳が兎だと強調している。
再び突っ込んできたウサギを避けながら、案外余裕だと油断したアオ。しかしそのウサギは賢いらしく、今度は横に飛ばず斜め上へ飛び上がる。
「飛んだ⁉」
前脚の爪を振りかぶり、アオが立っていた場所へ突き刺す。
しかし、意外な動きに驚いただけで、落ち着けば単調な動きだ。避けることは造作もない。
そしてアオの方こそ、避けてばかりではない。
自らウサギに肉薄し、杖を振り抜く――が、筋骨隆々のウサギには全く効いた様子が無い。
物理的に殺るのは難しそうだと判断したアオは、魔法を使えるアサリナが飛ばされた方へ駆けだす。道はできておらず、草を踏み倒しながら全力で駆け抜ける。
しかし、アサリナが飛ばされた方は、道のできていない草むらの奥地。道のできていないということは、人が足を踏み入れていないということである。
つまり、他にもウサギが生息しており、アオに攻撃を仕掛けるウサギの数は一匹、また一匹と増えていく。
そしてアオに襲いかかるウサギが五匹になった時、進行方向からなにかが飛んでくるのが見えた。それは急速に大きくなり、すぐに箒に乗ったアサリナだと分かった。
ローブのおかげで傷一つ無いアサリナが空中で箒から飛び降り、箒を杖に変えて一振り。アオを氷のドームで覆った。
「えっ、寒⁉」
アオを守るようにできたドーム、それをウサギは氷をその鋭い爪で削り取ろうとする。
「はい、終わりー」
五匹のウサギの爪が、氷のドームに触れた瞬間――氷が触れたウサギを飲み込んだ。
途端に風が草を撫でる音が聞こえる。
あまりにもあっさりとした幕引きだった。
アサリナが氷のドームを杖で叩いて、アオが通れる隙間を作る。
「いやー、いきなりきたもんだからぶっ飛ばされちゃったー。それにしてもアオは凄いねー、五匹に追われても逃げ切るなんて」
飛ばされたのが嘘のように、あっけらかんとアサリナが言う。
「動き自体は単調だったから。でも、氷のドームの中に入るとは思わなかった」
「ごめんごめん。でもアオがいてくれて助かったよー」
結果的にアオは囮として最高の働きをしたことになる。そう考えれば別に終わったことだしどうでもいい。
「で、どう運ぶの?」
凍らせたウサギは五匹、そのすべてが大きいため、アオならまだしも、アサリナは持って運ぶことはできないだろう。
「ラグルスならちょちょいのチョイなんだろーけど。あたし重力系の魔法は下手だからなー……」
「地道に運ぶ?」
「いーやこうする」
そう言ったアサリナが杖を振ると、氷漬けのウサギが浮かび上がった。
「なんだ、使えるじゃん」
「風の魔法で上げてるだけだよー。はい、アオも箒に乗って」
どうやら、風の魔法で氷漬けのウサギを持ち上げることができるらしい。重力の魔法よりも難しくないかと思ったが、アオが知らないだけで色々あるのだろうと勝手に納得する。
言われた通り箒の後ろに乗ると、氷漬けのウサギと共に、飛んで村まで戻るのだった。