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第34話

「そんな……⁉」


 人魚姫の誰かが声を漏らす。


 魔法使いから告げられた事実は、あまりに衝撃的なことだった。


 舌が無いのなら、スイが一言も発さなかったのも頷ける。


「こういうことだよ」


 魔法使いは笑う。


「それで、これを知ってお前さんらはどうしたい?」


 試すような目で、魔法使いは人魚姫達を見る。その目にアオを除く人魚姫達は一瞬怯んだが、力強い視線を返す。


「スイを……元に戻したい!」

「あの娘の覚悟を無駄にするつもりかい?」


 人魚姫の言葉に魔法使いは即座に返す。スイを元に戻すということは、スイの覚悟を踏みにじるということだ。怖い思いをして、声を失ってまであの王子の下へ行きたいと願ったスイ。そのスイの決意を無駄にすることができるのだろうか。


 魔法使いの言葉に押し黙る姉達を置いて、毅然とした態度でアオは答える。


「無駄にする……‼」

「アオ⁉」


 躊躇う様子の無いアオに姉達が驚いた声を上げる。その様子を愉快そうに見ていた魔法使いが試すような声音で続ける。


「あの娘の願いが叶うかもしれないんだよ? 失敗するならまだしも、あの娘の希望を奪うなんて、お前さんらにできるのかい?」

「私なら……できる……」


 姉達は、スイの願いが叶わないと分かり、泡となって消えていくと分かれば迷いなく頷いていたのだろう。スイを助けるためなら、魔法使いが望む物をなんでも差し出しただろう。しかし、まだスイの願いは叶わないと決まった訳ではないのだ。そうなれば、姉達は答えに窮してしまう。それに対して、アオの目的は、スイを本気で怒らせることだ。言葉を選ばずに言うのなら、スイの願いなど知ったことではないのだ。


 だからアオはスイの覚悟を無駄にすることができると言った。


 魔法使いとアオの目が合うと、魔法使いは面白い物を見つけたと言いたげな笑みを浮かべる。


「なら、お前さんの願いを叶えてやろうじゃないか」


 その言葉に、アオは躊躇いなく頷く。


 それを見た姉達は止めるべきかどうか悩んでいる。


 普段のアオなら、自分たちと同じで躊躇うはずだ。それなのに、アオは躊躇いなく頷いた。スイと一番仲のいいアオが、スイの覚悟を無駄にすると言った。そうする理由が、なにかあるはずなのだ。


「でもアオ……」


 なにを言えばいいのか分からないが、なにか言わないと駄目なような気がしてアイは声をかけた。


「…………」


 アオは一度アイ達の方に目を向け、再び魔法使いの方を見る。


「私だけでいい。みんなは戻ってて」


 このまま決意することができないのなら、アイ達は帰った方がいいだろう。無理をしなくてもいいし、アオはこれから自分がすることを姉達に見られたくない。


 魔法使いも止めはしないだろう。


「でも――」

「迷ってるのなら、大人しく帰った方がいいんじゃないか?」


 魔法使いも帰れと言う。それは嘲笑うというよりか、アイ達を慮っているようにも見える。


 別になにもできずに帰ることは恥ずかしいことでも、スイを見捨てるということでもない。スイの幸せを願うのなら、希望があるうちはなにも手を出さないという選択肢を取ることは当然のことだからだ。


 そのことはアイ達にも伝わっているだろう。


「アオは……なにをするの……?」


 また一人、大切な妹を手の届かない場所へと行ってしまうのではないか。せっかく生きて会うことができたのに、すぐにいなくなってしまうのか。


「私は……」


 せめていなくなるのだとしたら、なにをしようとしているのか、知っていたかった。


「ごめん、それは言えない」

「……そっか」

「でも、大丈夫。スイは死なせない」


 急速に遠くへ行ってしまう妹達に、もうどうすればいいのか分からない。だけど、アオのその力強く放たれた言葉が、アイ達の不安を拭ってくれた。


「分かった。じゃあスイをお願い」


 アオにそう言うと、次は魔法使いに向き直る。


「願いを叶えるのなら、なにか対価が必要だと。そう言ってましたよね?」

「ああそうさ。願いを叶えるためにはそれ相応の対価が必要さ」


 アイ達は顔を見合わせてから、魔法使いに言う。


 自分達が対価を支払う――と。


 なにを言っているんだ、そう思ったアオだったが、アオがなにか言う前にアイは言う。


「アオに全て任せる、けど、わたし達もなにかしたいの」


 さっきのスイの話を聞いていたのに、自ら対価を払うと言う。アオが対価を払わずに済むように。


 スイのように舌を差し出すのかは分からないが、いずれにしても、大切な物を差し出さなければならないことは目に見えている。


「そうかい、じゃあ遠慮無くお前さんら四人から対価を貰おうじゃないか」


 そうして魔法使いが対価として要求したのは、四人の姉達の髪だった。


「お前さんらのその綺麗な髪の毛を貰うよ」


 そう言って、魔法使いは四人の長く、美しい髪の毛を根元から断ち切ってしまった。 そして、あの森を安全に抜けられる薬を渡して、アイ達は魔法使いの家を後にした。


 四人がいなくなり、今この場には魔法使いとアオの二人だけ。


 魔法使いはアオに向かって言う。


「さあ、お前さんの願いを叶えてやろう。残念だが、あの娘と同じ、人間になる薬は作れないがね」

「少しの間だけでも、人間に戻れる薬は作れないの?」


 言ってから気づいた。人間に戻れるではなく、人間になれる薬だ。アオが違う世界から来たということを知られるとどうなるかは分からないが、不自然な言動は慎んだ方がいいだろう。今更そんなミスを犯してしまう程アオは動揺していた。


「そうだねえ……作れて三日ってところだね」


 幸いにも、魔法使いはアオの言い方になにも疑問を抱かなかったらしい。


「なら、大丈夫。それと――」

「ああ分かっているさ、あの王子を殺したいんだろう?」


 アオは黙って頷く。


「スイを人魚に戻せる方法も」

「ああ分かってる。お前さんには薬とナイフをやろう。ただし、二つの願いを叶えるんだ。だからあと一つ、対価を貰おうじゃないか」


 アイ達の髪の毛ともう一つの対価の要求。アイ達が対価を払ってくれたことで、もう一つの願いを叶えることができる。アオの目的はスイを本気で怒らせること。そのためにあの男を殺す。あの男を殺すのに、何日も時間をかけるつもりは無い。


 あの男を殺すことができたとして、もしそれでもスイが怒らなければ、スイに残された道は泡となって消えるだけ。それを防ぐために、保険としてだが、スイを人魚へ戻す方法も必要だと判断した。保険があれば、焦る気持ちも少しはマシになるだろう。


 アイ達が対価を支払うと言ったときは驚いたが、対価払ってくれたことにより、こうして保険をかけることができた。


 それに、ナイフをくれると言った。武器をくれるのはありがたい。


 魔法使いはどこからか銀の装飾が施されたナイフを取り出した。


「よく切れそうだろう? このナイフで王子の心臓を一刺しするのさ。王子の血が脚にかかると、元の人魚の尻尾に戻るのさ」


 そのナイフを受け取ると、魔法使いは人間になる薬を作り始める。やがてできた薬は、作る工程からは想像もつかない程綺麗な薬だった。


「じゃあ対価として――」


 魔法使いはアオを舐めまわすように見て笑う。


「その口程にものを言う眼を貰おうかね、安心しな片方だけだよ」


 そう言った瞬間、アオの視界が欠け、バランスを崩してしまう。今の一瞬で理解した。左眼が無くなったのだ。


 距離感が分からなくなるが、全く見えないようになるよりかはマシだろう。それに、幸いにも痛みは感じないし血も出ない。


「それじゃあ、早く行ってきな」

「うん……」


 魔法使いが弄ぶ自分の眼を見ないようにしながら、アオは魔法使いの家から出て行くのだった。


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