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第31話

 もうほとんど泳ぐ力は残っていない。このまま冷たい海の底で死んでしまうのだと、徐々に落ちていくアオの身体。


 翠を助けることができなかった。このまま、翠は生きているのに、永遠に眠り続けるのかと考えてしまう。


 諦めてはダメだと、頭では解っているが、身体が言うことを聞かない。


 迎えくる死に抗ってもどうにもならない、もうこのまま目を閉じれば楽なのではないかと、そう思った時――。


「……あっ」


 前方から微かな光が見えた。こんな深い海の底で光る生物を碧は知っている、チョウチンアンコウだ。


 生き物がいるのなら、その先に行けば上へ行くことができるかもしれない。


 希望が見えたのなら、まだ頑張ることができる。


 アオは残った力を振り絞り、チョウチンアンコウのいる方へ、地を這うように泳ぎ始める。


 ゆっくりと、だけど確実に進む。そして、チョウチンアンコウの光がアオは照らした。


「アオ‼」

「……え?」


 なぜ今聞こえるか分からない声が聞こえた。


 少し首を上げてみると、その光はチョウチンアンコウではなかった。


「なんで……いるの……?」


 一人の人魚と、アオの四人の姉だったのだ。


「よかった、生きていたのねっ」


 今にも泣きそうな声のアイがアオの身体を支える。他の姉妹達もアイを手伝って、アオを支えてくれた。


 支えられたアオは聞く。


「スイは?」

「それはこっちのセリフよ。あなた、スイと一緒にいたんじゃないの?」

「いないよ、スイはあの渦に巻き込まれることなく帰って行ったから」

「でも……みんなで探しても見つからなかったわよ……」


 魔法使いの下へ行って、無事に戻ったスイはアイたちが探しても見つからなかった。それの意味することにアオは気づいた。


「まさか……‼」


 スイが見つからないのも無理はない、あの時のスイの目はそういうことだったのだ。


「なにか知っているの?」

「うん。スイは、あの城にいる」


 スイが大切そうに持っていたあの瓶はなにかの薬だろう。それも恐らく、人間になることができる薬だ。


「ええ⁉」


 その場にいる全員が驚いた、アオに詳しく聞こうとするが、光に照らされたアオの身体が傷だらけなことに気づくと、まずはアオを運ぶことに決めた。


 場所を教えてくれた人魚に礼を言った後、アオもスイも生きているということで、いくらか安心した人魚姫達は、大急ぎで城まで帰ってきた後、糸が切れたかのように全員眠りについた。



 翌日、目を覚ましたアオ。


「いたっ」


 身体を見ると、そこら中に擦り傷や打撲跡がある。渦に巻き込まれ、この程度で済んでよかったと自分の運の良さに感謝する。


 そして、自分の部屋で眠っている姉達をみて頬を緩める。


 普通なら死んでいると思われても仕方がないのに、姉達は探しに来てくれた。それがスイには嬉しかった。


「……ありがとう」

 アオは姉達を放って部屋を出て、食事を摂ろうとする。もうお腹が減って、今度は餓死しそうなのだ。


 そうやってご飯を食べていると、なにやら騒がしい声が聞こえた。


「アオ! いた!」


 もしかして、アオがまた行方不明になったと思ったのだろうか。アオを見つけた瞬間、心底安心した様子のアイがやって来る。


「よかった」

「ごめん、お腹が減ってて」

「ううん、大丈夫。他の子達も呼ぶから、スイのことを教えてくれる?」

「分かった」


 アオ自身、腹ごしらえをした後、スイのことを話そうと思っていたのだ。もう黙っている訳にもいかないし、丁度タイミングもよかった。

 少しして残りの姉達もやって来た。五人で食事を摂りながら、アオはスイのことを話し出す。



 アオの話を聞いた姉妹達は、その日の晩、海の上へ出てきた。


 スイは魔法使いの下へ行った後、陸へ向かったのだろうと聞いたのだ。


 五人で歌を唄う、それはひどく悲しい歌だった。それに気づいたスイは手招きをする。スイは燃えるように痛い脚を冷たい海で冷やしていたのだ。


「スイがいなくなってから、みんな悲しんでいるのよ」


 アイがそう声をかけるが、スイは悲しそうに微笑むだけだった。


 なにを言っても同じ反応を返すスイ、やがて姉妹達は帰ろうと、スイに手を振り海中へ帰って行く。


「スイに脚があった。きっと魔法使いの薬のせいだよ」


 城へ戻る最中、アオが言う。


 あの時、スイが大切そうに抱えていた綺麗な液体が入った瓶、あれが人間になる薬だったのだろう。


「きっとスイは人魚じゃなくなったんだ」

「それは、もう一緒にいられないってことよね……?」


 アイの言う通り、人間になってしまったスイは当然、海の中では生きられないし、寿命も人間のものになっているだろう。


「でも――」


 アオには引っかかっていることがある。それは、あんな恐ろしい場所を抜けた所に魔法使いは住んでいるのだ。そんな魔法使いが、ただで人間になる薬を渡すはずがない。きっとなにか対価を払ったのだ。


 その時頭に浮かんだのは、ひとつ前の世界でのこと――。旨い話には裏やなにかがあるのだ。幸いにも、碧や翠はそのようなことに引っかかったことは無いが、よくそういう話を聞いていた。


 今回にしてもそうだ。スイの願いである、あの男と一緒にいられるようなること。その願いを叶える人間になる薬、そんなものをただで渡す。なんて旨い話なのだろうか。


「なにか良くないことがある」


 恐らく、それがこの世界での期限なのだろう。その期限を過ぎると、スイの感情は解放することができなくなり失敗に終わる。


 ならばすることはただ一つ、魔法使いの下へ行って、なにをしたのか聞き出すことだ。


「私、魔法使いの所へ行く。それでスイになにをしたのか聞き出す‼」


 アオの狙いはスイを人魚に戻すことではない。スイが生きていることで心配は無くなったのだ、だからアオのすることは、スイを心の底から怒らせることだけ。


 思いつくことはあの王子を殺すことだけだ。殺せばいいのだが、漁師みたいに、あの男が毎日海へ出ているのなら人魚のアオなら簡単に殺せる。しかし残念なことに、あの男は王子などという生意気な地位の人間だ。基本的にはあの城で過ごすだろうし、海へ出たとしても、あの時みたいな大きな船に乗るだろう。あの大きな船を沈めるなんて、嵐にしかできないし、あの男を引きずり込もうにも手が届かない。


 それなら、アオがあの男を殺すためには、スイと同じことをするしかない。


「わたし達も行く!」

「え……⁉」

「あんな危険な場所に、アオ一人で行かせられないでしょ」

「うん……ありがとう」


 間違いなく、アオの考えていることと、四人の姉達が考えていることは違う。アオがしようとしていることを知られれば、間違いなく止められるはずだ。


 どれだけ理由重ね、一人で行くと言っても無理だろう。一度、アオはあの渦に巻き込まれたのだ。むしろ姉達は、アオは残っていろと思っているだろう。


 仕方なく頷いたアオがどうしたものかと悩む前に、早速魔法使いの下へ行こうと決まった。アオもできるだけ早い方がいいと思っていたのだが急すぎる。それ程スイのことを大切だと思ってくれている証拠なのだが、今回だけは日を改めてからにしてほしかった。

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