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第27話

 その晩の舞踏会は、陸の上では見られない、とても美しく華やかなものだった。


 大きな部屋の壁や天井は分厚いがよく透き通るガラス張りで、広間のどこを見渡しても、壁にはバラ色や草色の大きな貝殻が二、三百も列を作っていた。そしてその貝殻一つ一つに青い炎が燃えている明かりが灯っており、広間を明るく照らしていた。その光はガラスを通り抜け、広間だけではなく、周りの海まで青く照らされていた。


 数多の魚が、ガラスへ向かって泳いで来る。真っ赤な鱗を煌めかせている魚もいれば、金や銀色の鱗を煌めかせている魚もいる。


 広間の真ん中を、幅の広い流れが音を立てて流れていき、その上では人魚の男や女達が、美しい人魚の歌を唄いながら、歌に合わせて踊っていた。これ程までに美しい歌声は、地上の人間には決して出すことができない。そしてスイは、この中の誰よりも美しい歌声で唄うことができる。


 みんなは手を叩いてスイを褒めてくれる。それを嬉しく思っているスイ自身も、上の世界でも、海の中にも、自分より美しい声を持っている者はいないと思っている。


 けれど、あの王子のこと、あの人間の持っている死なない魂を自分が持っていないということを忘れることはできなかった。それを思うと、やはり舞踏会は楽しめない。スイはこっそりとその場を抜け出し、もう随分と手入れのされていない自分の花壇までやって来た。


 その表情は舞踏会を楽しんでいるみんなとは対照的に悲しみに溢れていた。


 その時ふと、角笛の響きが水の中を伝って聞えてきた。


 きっと今、あの王子が船に乗って、海の上を通っているのだ。自身の父や母、おばあさま、姉たちよりももっと好きなあの方――。スイがいつも想っているあの方がいる。あの人の手に、自身の一生の幸せを任せてもいい。


「あの方と死ぬことのない魂が私のものになるのなら、なんだってやってやる……!」


 スイはそう決意する。


 しかし、この魚の尻尾を持ったまま、王子の下へ行っても醜いと言われてしまう。この尻尾さえ、人間のような二本のつっかえ棒にすることさえできたのなら。


 それさせできれば、スイはあの王子の下へ行ける。そして、人間の脚を手に入れることができることに当てがあった。


「あの魔法使いの下へ行けば……‼」


 そう決意したスイは、誰にもバレないように、その魔法使いのいる場所を目指す。


 今までは怖くて近づくことさえできなかったが、今のスイにはその恐怖心よりもあの王子と一緒にいたいという気持ちの方が強かった。止める者がいない今しかチャンスは無い。


 スイは庭から出て、凄まじい音を立てる渦の方へ進む。魔法使いはこの渦の先にいるのだ。


 初めて通る場所、花も海草も生えていない、ただ灰色の砂地があるだけの殺風景で寂しい場所だ。そんな場所を、スイは一人で進むのだった。



 舞踏会の最中、横目でスイを見ていたアオ。浮かない顔をして、広場から出て行ってしまったスイの後を追おうと動いたが、姉達に捕まってしまい追いかけることができなかった。


 そのことに苛立ちを募らせながら、姉達に付き合って踊る。なにか胸騒ぎがするのだが、姉達はなにも思わないのだろうか。この後さり気なくこの場から離れようと決め、少しの間姉達に付き合う。



 舞踏会が一段落した後、アオは大急ぎで広場から出ていく。スイの部屋に行ってもいない、花壇に行ってもいない、あの男の城がある場所にもいない。思いつく限りの場所に向かったがスイはいなかった。


「……どこ? スイ‼」


 もう一度同じ場所を回り、入れ違いになっていないかと広場にも戻った。しかし、そのどこにもスイはいなかった。


 こうなれば考えられる場所は一つしか無い。魔法使いが住むといわれている場所だ。


 恐ろしくて、誰も近づかない場所だ。普段のスイなら絶対に行かない場所だが、今のスイはあの男に会うためならなんだってやりそうだ。


 アオ自身の、あの場所には行きたくない。昔、少しの好奇心で、姉妹全員で行った記憶がある。まず初めに見えた大きな音を立てる渦を見た瞬間、全員で一斉に逃げ出した記憶がある。


 考えただけで心臓の音が大きくなってくるが、スイがあそこに行ったのなら追うしかない。怖くて怖くて仕方がない。もしかするとスイは魔法使いの所に行っていないのかもしれない。そんな逃げの思考を捨てる。アオだって、スイを本気で怒らせるためになんだってすると決めたのだ。怖気づいている暇は無い。


 ただ、スイに追いついたとしてどうするべきなのか。スイがしようとしていることの邪魔をすれば心の底から怒ってくれるのだろうか? その確証は無い。大切にしていた像を壊しても、スイは本気で怒らなかった。


 些細なことを積み重ねていけば怒るのだと思うが、そういったことでは心の底から怒らせることなどできないのではないか。


「違う……!」


 そうやって行かない理由を探してどうするのだ。


 確かにアオはいらない感情を捨て、スイを心の底から怒らせて感情を手に入れると決めた。だがしかし、どれだけいらない感情を捨てても、翠を助けるために碧は動いているのだ。スイが危険な道を通って、魔法使いに会いに行っていると思えば、心配しない筈がない。スイの怒り云々よりも、ただスイが心配なのだ。


 思い通りに動かない自らの感情に苦笑しながら、ただスイが心配なだけのアオは、スイが向かったであろう魔法使いの下へ、震える身体をなんとか抑えつけながら進み始める。



 荒い呼吸を繰り返しながら、アオはスイが通ったであろう道を進む。


 凄まじい音を立て、水車のように渦巻く水は、巻き込まれたが最後、どんなものでも光が届くことの無い冷たい海へ引きずり込まれてしまう。そんな危険な渦を通り抜けなければ、魔法使いの下には行くことができない。


 もしスイが巻き込まれてしまっていたら? 不意に湧いてくる不安を見ずに、自分が巻き込まれないよう慎重にその渦を通り抜ける。


 そしてその渦を抜けたアオは、沸騰しているのだろうブクブクと泡立つ、熱い泥の上を進んでいく。その先に森があり、その中に魔法使いの住む家があるのだという。


 泥の上を抜けたアオは森の入口へやってきた。森を構成しているのは、半分動物で、半分は植物のポリプであった。生えたポリプは、僅かな波に揺られ、その先の触手を伸ばしている。ミミズのように伸ばした触手はなにかを捕まえると二度と離さぬよう巻き付いてしまう。


 アオはそんなポリプを見て立ちすくむ。ポリプはまるで意思を持っているかのように触手をアオへ向けていた。


 スイの後を追うのはやめて帰りたい。実はスイは魔法使いの下へなど行っておらず、城へ帰ればいるのではないかと幻想してしまう。


「でも……‼」


 それよりも、スイが心配だ。


 覚悟を決めたアオが、ポリプ蠢く森の中に入ろうとした時、何故かポリプ達が道を空けたのだ。


 なにが起きたのか、そんなことを考える間もなく、アオの目の前に現れたのは――。


「スイ……?」

「…………⁉」


 やはりスイは魔法使いの下へ行っていたのだ。


 スイに手を伸ばそうとするアオであったが、スイはなにも言わずアオの横を通り過ぎしまった。怒らせてしまったから口をきいてくれないだけだと思っていたのだが、通り抜ける直前、スイのアオを見る目がとても悲しそうな、とても充実したような、覚悟を決めた目だった。いったいなにをしたのか。魔法使いの下へ行って、なにも無かったというはずがない。そして見つけた、スイが大切そうに抱えている、綺麗な液体が入った瓶を――。


「スイ……‼」


 慌てて手を伸ばしたアオであったが、その手はスイに届かない。瞬きの瞬間には、伸ばした手は届かない程、スイの姿は小さくなっていた。


 それでもアオはスイを追いかける。全速力で泳げば間に合うはず。ただスイに追いつく、その一心で熱い泥の上を抜け、渦を抜けようとする。


 ――それが命取りとなった。


 一心不乱にスイを追いかけるアオは慎重に渦を通り抜けられなかったのだ。最初は髪の毛が僅かに触れた。痛いと思う間もなく身体が傾く――そしてそこからは一瞬だった。


 水が重しのようにアオへのしかかり、重たいはずの身体が宙へ浮いたように上下前後左右が目まぐるしく入れ替わる。自分が今、落ちているのか飛んでいるのかすら分からない。


 徐々に目の前が暗くなっていく。自分の意識が遠のいているのか、ただ単純に光が届かない深い海に引きずり込まれているのか。無理に抵抗しようとすればする程、身体は自分の意思とは別に動く。


 そんなことが永遠に続くかと思われたが、不意に身体にかかる重みが消えたことが分かった。


 渦に巻き込まれている最中、アオが意識を保てていたのなら、それは数分の出来事のように感じられた。しかし僅か数分だったとしても、アオの身体はいうことを聞かない。今は辛うじて意識を保っている状態だ。


(生きてる……?)


 今は徐々に身体が沈んでいることが分かる。


(スイ……)


 真っ暗でなにも見えないが、その先にいるであろう、大切な人に向かってアオは手を伸ばす。


 このまま終わるつもりはない、早くスイを追いかけなければならない。今はそれだけが、途切れかけるアオの意識を繋ぎとめている。


 しかし無情なことで、それだけでは身体は動かない。むしろ目的があるだけに、今この状況がアオの焦りを駆り立てる。


 どうにもならない、助けなんて来ない、自力で戻ってやる。スイに会いたい、スイを怒らせる、あの男を殺す。翠を助けたい。


 徐々に思考が崩れていく。暗闇に溶ける自らの意識を止めることができない。こんな水の中では涙を流したって混ざってしまう。


(このまま暗い海の底で死ぬんだ)


 なんとなくそう思ってしまう。


 自分が死んでしまったらどうなるのだろうか。この世界は、翠は――。


(どうせ死ぬのなら、スイと一緒に――)

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