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第19話

 当然スイが帰ってきた後、姉たちがどうだったかなど、感想を聞きに来た。元々、姉妹の間で、上に上がればその感想を話そう、という約束をしていたのだ。


 やっていたのだが、スイはなにも言わずただ、一人にして、と言って部屋へと戻っていく。


「どうしたんだろ……? アオはなにか知ってる?」


 スイが答えないのなら、一緒に行っていたアオに聞けばいい。それは好奇心というより、あれ程海の上に行くことを楽しみにしていたスイが、暗い顔をして戻ってきたことに対しての心配だった。


「知らない」

「えぇ……」


 スイだけでなく、アオの様子も少し変わっているため、知らないはずはないのだが、これ以上なにも聞かないでいてくれた。


 ごめん、とアオも部屋へ戻る。


 戻る途中、スイの花壇に目を向ける。花壇にあるのは一風変わった、他の姉妹の花壇には無い物。以前から、スイが大切にしている大理石の像だ。その像をよく見てみると、どこかあの男と似ているような気がした。


「やっぱり……」


 大切にしているこの像を壊せば、スイは怒ってくれるだろうか。怒ってくれるのなら、スイが大切にしている物を壊すことだって厭わない。だが、怒りもせず、悲しんで泣いてしまうようなことがあれば、アオが罪悪感で押しつ潰されそうになるだろう。


 そもそも、元の世界でも翠が怒っているところを見たことが無い。喜の世界では、翠は怒っていたが、それは碧が翠を騙すようなことをしたからだ。それは、翠が碧のことを愛してくれているという前提が必要になる。


 しかしこの世界のスイはアオと恋人関係ではなく姉妹だ。恋人よりも近しい関係、切っても切れない関係だが、それ故にスイの気持ちはアオには向いていない。


 アオ自身、碧がこの世界に来る前の記憶を思い出しても、当然だが、スイに対して妹として接していた。


 ――スイはあの男に恋をしている。


 そう結論を出すのは簡単なことだった。


 姉妹だからといって、スイが他の相手に恋をするなんて許せない。スイの気持ちは自分に向いていなければならないのだ。


 すると身体が勝手に動き、スイの大切にしている像を力いっぱい投げ倒す。崩れた像は当然大きく海を揺らして割れてしまった。すると他の姉妹達が大急ぎでやって来た。


「なにがあったの⁉」


 驚いているようだが、アオは答えない。ただその目に怒りを宿して、壊れた像を睨みつけるだけ。


(やっちゃった。でも、こうやって思い切らないと翠は助けられないから)


 喜の世界で学んだ、どうしようもない事実だ。しかしそれを言い訳のように使ってしまっている自分が気持ち悪くもなってくる。



 遅れてやって来たスイは、血相を変えていた。そして、壊れた像を見て、その前に佇んでいるアオを見て息を吞む。


 地震かなにかあったわけでもない、大きな魚達が来たという訳でも無い。それに、さっきまで一緒にいたアオは不機嫌だった。それらの理由から、像が倒れたのが事故ではなく、アオの仕業だということはすぐ予想がついた。


 大切にしていた大理石の像。あの男の人に似た像が壊された。


「どうして……」


 ゆっくりと、像に近づいたスイは、破片を拾い集め、大切に抱きしめる。


「どうして、壊したの……?」


 怒りは湧いてこない。悲しさだけが際限なく湧いてくる。


 スイの涙を見たアオは自分の過ちに気づいた。


「あっ……あぁ……」


 睨みつける訳でもない、ただ涙を流しながら見つめてくる。


 胸を締め付けられる。罪悪感が容赦無くアオを押し潰す。


「どうして、なにも言ってくれないの……?」


 これ以上涙を流すスイの前にはいたくない。なにも言わず、ただ全力でアオはその場から逃げた。


 怒ってほしかった。自分の大切なものを他人に壊されたのだ。怒って当然なのに、なんでスイはただ泣いているだけなのか。


 こうしてもスイは怒らない、どうすれば、スイを本気で怒らせることができるのか。


 分からない分からない分からない、ひたすら城から離れる。


 知らない景色に変わった頃、少し冷静さを取り戻したアオはそのまま海の上へ上がってみる。


 上がった先はなにも無い、水平線がどこまでも続いている場所だった。


 この世界にはもう誰もいない。自分一人が残っている世界。そう言われても納得できる。


 泡となって消えることができれば、どれ程楽なのだろうか。そういう考えがふと浮かぶ。大切な人を傷つけ、こんなに苦しむのなら今すぐ楽になりたい。逃げ出したい。


 すぐにそれはダメな考えだと頭を振る。翠を助けると決めたのだ。どんな世界でも、なにがあっても、翠と一緒にいると誓ったのだ。


「帰らないと」


 日はもう間もなく沈んでしまう。早く帰らないと迷ってしまうかもしれない。というかもう既に迷っている気もする。


 海に潜ったアオは、どの方向から自分は来たのか思い出そうとする。少し冷静になった今はまだしも、あの時は全く冷静でなかった。


 アオが困り果てていると、遠くからアオを呼ぶ声が聞こえた。一瞬スイかと思ったが、すぐにほかの姉妹だということに気づく。


「アオ!」


 迎えに来てくれたのは、一番上の人魚姫――アイだった。


「アイ……⁉」

「やっと見つけた~。もーう、心配したんだよお」

「ごめん」


 アイは困った妹だ、と笑いながらアオの頭に手を乗せる。スイ以外の相手にこうされると腹が立つのだが相手は姉だ、そう嫌がることでもない。


「ううん、謝るのはわたしにじゃなくて、スイにでしょう」

「うっ……」

「なにがあったのか分かんないけど、ちゃんと謝りなさいよ」


 姉妹はアオの事情なんて知るはずもない。だから、ここで嫌だと言っても無駄だろう。


「…………」


 だからといって素直に謝るのもどうかと思う。だからアオは黙るのだが、姉には意固地になっていると思われたようだった。

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