翌年、一番上の人魚姫が十五になり、浮かび上がることが許された。
その翌年は二番目の姉が――そして三番目の姉四番目の姉、そしてアオの番と順に。
そして翌年、待ちに待ったスイの番――。
アオは自分が今どこにいるのか、自覚するなり驚いてしまう。
(水の中⁉)
仙術の中には、水の中でも呼吸ができるというものもあるのだが、これはそういったものではない。
色々と違和感があるが、一番の違和感は下半身だ。上半身は人間なのだが、腰から下は魚のようなヒレがある。
「なにこれ……?」
身体は水の中にあるという自覚はある。だが、呼吸はできるし、目も開けられる。地上とはなんら変わらず鮮明に見える。
確か、海から顔を出しても呼吸はできていた。両生類かなにかか? と思ったが、エラは無く、そんなことはなかった。
記憶を辿ると、海の外、陸の世界に憧れていたこと。姉妹達で、外はどういう世界なのかと楽しく話したという記憶がある。
アオ自身も海から浮かび上がった。時期が時期で氷山があり、ダイヤモンドのように輝いていた。
そして今日はスイが遂に十五歳になり、浮かび上がることが許される日だ。
スイは今、おばあさまに化粧をしてもらっているところだろう。
(ここは怒の世界……スイの怒の感情を解放する……)
喜の世界と同じなら、スイを心の底から怒らせることがアオの目的になる。
スイは姉妹達の仲で一番、海の底から浮かび上がれることを楽しみにしていた。それを邪魔すれば、スイは間違いなく怒るだろう。
喜の世界で、どうすればいいのかは理解した。思い切りが大切だ。スイの楽しみを潰すなんて、心が締め付けられるが仕方ない。そうしないと、翠を助けられないのだから。
そうと決まれば、早速スイの邪魔をしよう。アオが移動しようとすると丁度スイが出てきたところだった。
その顔は、早く外を見てみたいという気持ちでいっぱいだった。泡のよう軽やかに上に上がっていく。
あまりにも早すぎて、邪魔をする隙が無かった。だけど、アオもスイの後を必死で追いかける。
スイから随分遅れて、海の中から顔を出したアオ。周囲は丁度日が沈む間際で、スイを探すのに少し時間がかかった。
それにしても不思議だ。海の中でも呼吸は困らないし、外でもいつもと変わらず呼吸ができる。元の世界でも経験できることでは無い。いや、仙人達が鯉に変身していた気もする。
「スイ!」
見つけたスイに声をかけると、僅かに目を見開いて振り向く。
「アオ⁉」
その顔を見て、アオはホッとする。この世界では、スイの見た目は下半身が魚なのを除けば元世界と同じだった。
前の世界の翠が嫌という訳では無いが、見慣れた姿の方がいくらか気持ちは落ち着くのだ。
ただ、この世界でも、元の世界の翠よりかは感情の起伏はあるようだが。
この調子だと、翠を助けることができたとしても、いつもの感情の起伏に乏しい翠に違和感があるかもしれない。
静かな海に二人だけに思われたが、三本マストの大きな船が一艘浮かんでいるのが見えた。
風が殆どないため、帆は一つだけしか上げていなかった。遭難という雰囲気ではない。興味を持ったスイが船に近づいていく。
「危ないよ」
アオもスイを追いかける。
船の周りの綱具や帆桁には船乗りが座っており、音楽や歌が聞えてきた。やがて日が完全に沈むと、何百もの色とりどりの提灯に火が灯る。
更にスイは船室の窓まで泳いで近づく。
「ちょっと待って」
アオが声をかけるが、音楽にかき消されたのだろうか、スイが止まる気配は無い。
水面からは中を覗くことが難しのだが、波が上下に動くことにより、窓の中の様子を窺うことができる。
中には着飾った大勢の人間の姿が見える。その中で一際目を引くのは、大きな黒い目を持った若い男だった。
スイに追いついたアオも、窓から中を覗き込む。スイの目が、その若い男に向けられているのが分かったアオは舌打ちをする。
「スイ、戻ろう」
スイが自分以外を見ているという事実に腹が立つ。前の世界で言ったことはなんだったのだろうか? これではアオが怒りくるってしまう。
しかしスイにアオの声は聞こえていないのか、窓の中から目を逸らさない。
(こんなに夢中になってるんだったら、邪魔すれば怒るかも?)
スイの目をでも塞いでみようかと、アオは後ろに回って手を伸ばそうとすると突然スイが振り返る。振り返ったといっても、アオを見たわけではない。スイの目にはアオは映っていなかった。
なにかを探すよう他の窓を覗いたり甲板を見上げたりしている。不思議に思ったアオが、最初にスイが見ていた窓を覗き込む。着飾った大勢の人間はいたが、あの若い男がいなかった。
どうやら、スイはあの男を探しているらしい。それに対して更に怒りが大きくなる。
するとその時――突如鳴り響いた大きな音、海が昼間のように明るくなった。
大きな音に驚き、アオもスイも慌てて海の中に潜る。でもまたすぐに頭を出した。
音が鳴ると同時に、大きな花が咲いては消えていく、それが繰り返される。
「なんだ花火か」
「花火?」
そういえば、この世界では花火を初めてみるのか。海の中では、当然火薬を扱う花火なんてものは見られるはずもない。
アオが知っているのは、前の世界での記憶があるからだ。
「スイには難しいかな」
素っ気ない答えにムッとしたスイであったが、甲板に現れたあの若い男を見つけた途端、再び釘付けになる。
その間も絶え間なく花火は打ちあがり続ける。
そして夜は更け、船を照らす提灯の火が消え、花火も終わった。海の底からなにかブツブツと音が聞こえて来たのをアオは気づいたが、スイは気づいた様子も無く、若い男を見続けている。