「きゃあ!」
「おっと」
気がつけば碧は宙に浮いていた。
岩壁が囲い、大切な人がいる空間。
碧は元いた世界に帰ってきた。
仙人が、碧が地面に落ちないように浮かしてくれたらしい。ゆっくりと地面に下ろされ、おぼつかない足でなんとか立つ。
「成功したようじゃのう」
久しぶりの声が聞こえる。
さっきまで翠と一緒にいたのだが、急に戻ってくるとは。
碧は仙人の方を向き、安堵の息を吐く。
「どうすればいいの?」
喜の感情は、ずっと碧の周りを回っている。
「翠に近づけば戻る」
言われた通りにいまだ目を開けない翠の下へ近づくと、碧の周りを回っていた光が、翠の胸に吸い込まれた。
さっきまで話していた翠が、今は目を閉じている。色は違うが同じ翠だ。なんとも不思議な感覚を覚える。
「どうじゃった?」
「不思議な感じ。でも、翠と一緒にいられてよかった」
「そうかそうか。それは良かった」
ホッホッホ、と笑いながら仙人は言う。
この声を聞くのも久しぶりだ。別に聞きたくはないが、否が応でも元の世界に戻ってきたことを自覚させられる。
「次は『怒』だね」
だが、悠長に構えている暇はない。またすぐに次の世界へと向かわねばならない。しかし、仙人は急ぐ碧を止める。
「まあ待つんじゃ」
「なんでよ!」
「感情は逃げはせん、少し落ち着くんじゃ」
そう言われて思い出す。喜の世界に行った時、碧は翠に浮気を疑われたことを。世界に向かうタイミングが悪かったのか、それとも――。
「ねえ、私が翠の感情が創った世界に行く前って、どうなっているの?」
碧の疑問に、仙人は困ったように髭を触る。
「どうと聞かれてもの……ワシにも分からん」
「私が喜の世界に行った時、その世界で過ごした私の記憶もあったんだけど。それって、今この場にいる私が行かなくても、向こうの世界は動いているってことにならない?」
だとすると、喜の世界に行くタイミングが遅ければ、碧は翠に浮気を疑われ、喜の感情は失われていたのではないか?
「ワシはそこまで考えておらんかったのう。じゃが、仮にそうだとしても、感情の創った世界は無くならんじゃろう?」
なぜ散った感情は世界を創るのかということは分からない、考えるだけ無駄なのだろうか。
「分からないよ」
こんなことを話している暇があるのなら、碧は早く次の世界へ向かいたい。だがその前に、碧は一つの質問を仙人にぶつける。
「そうだ、感情の世界って全部同じ感じ? なんていうんだろう……どうやって生きているとか?」
碧の漠然とした質問でも、仙人は分かったらしく答えてくれる。
「そうじゃのう、少なくともワシの時は違ったかのう」
なにかに耐えるように眉を顰めた仙人は答える。
「そうなんだ。例えば?」
その表情の変化に、翠を見ていた碧は気づかない。
「船に乗ったり、雲の上で生活していたり、まあそれぞれがバラバラじゃったのう」
あまり思い出したくないのか、詳細までは語ってくれなかった。
だがそれでも十分だ。違うと解っていれば慌てることは無いだろう。
「じゃあ行ってくる」
「おお、そうか。気を付けるんじゃよ」
「うん」
碧は再び翠の唇に自分の唇をそっと重ねる。
そうして、水瓶の中に飛び込むのであった。