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第13話

「だから、金が欲しいんだ……?」

「はい。少しは理解していただけましたか?」


 既に菫の表情は戻っており、今すぐにでも舌をなめずりそうな表情だ。


「やっぱり私にはよく解らない、けど、理由は分かった」

「私は解ったわ」

「それだけで十分です」

「でも、だからといって碧は渡さない」

「私も、あなたのものになる気はない」


 分かったからと言って、菫のものになるなんて考えられないし、渡す気も無い。


 菫の目的は、ただ自分の会社を大きくして、更に金を稼ぐことだ。


 碧と翠の仲を消滅させよう、なんて考えでは無かったことが分かった。だからといって油断はできないが。


「分かっていますよ。ですが、わたくしにとって、翠さんは邪魔なのです」


 そう言われても仕方が無い。これ以上菫に乱されないためには、翠が会社を菫に渡せば解決なのだろう。


 会社を渡せば、菫は目的を達成できる。翠の会社の社員も、会社が大きくなり、成長すればいいこと尽くめだろう。会社の成長に興味の無い自分が社長でいるよりよっぽどいい。それには色々大変だろうが、そこは菫に丸投げでも大丈夫な気がする。


 だがしかし、それをしてしまうと、翠は碧と一緒にいられなくなってしまう。


 大手老舗企業の令嬢と、ただの無職なんて、どこからどう見ても吊り合わない。


「そうね。でも、私はこの地位を退く気はないの」

「それは碧さんのため、ということですよね?」

「そうよ、碧と一緒にいるため、今の地位が必要なの」


 そう言うと、驚いたように、菫が翠の顔を見る。


 なにか変なことを言ってしまったのだろうか?


「……なに?」


 怪訝そうに翠が問いかけると、菫は限界だといわんばかりに笑い出す。


 どうして急に笑い出したのか、いまひとつ分からない碧と翠は顔を見合わせる。


「すみません……ふふっ」


 まだ笑い続ける菫は、二回程深呼吸をして、目尻に浮かんだ涙を指で拭う。


「急になんなの?」

「いえ、少し混乱してしまいまして」


 口角は上がっているが、菫は再び笑い出さないように、慎重に話し始める。


「碧さんに吊り合うためにこの地位に就いた。翠さんはそう言いましたよね?」


 菫の質問に警戒しながらも頷く。


「碧さんは、本当にそう思っているのですか?」

「え?」

「碧さんは大手老舗企業の令嬢。確かに、吊り合うために地位が必要だということは理解できます。でも、そこには碧さんの気持ちは含まれているのですか?」


 確かにそうだ。碧は会社を継ぐわけではない。実家からも、かなり自由にさせてもらえている。それぐらい碧の実家は話が通じるのだ。もし、翠が会社を失い、地位を無くしたとしても、別に二人を引き離すようなことはしないのではないか。


「確かに……」

「それに、もし実家から引き離されても、それで素直に離れるのでしょうか? 今までのわたくしへの態度から察するに、なにがあっても離れるようなことは無いような気もしますが」


 そうだ、いくら碧の実家が駄目だと言っても、碧はそれに従う必要なんてないのだ、それは他人である翠も当然のこと。


 立場など関係なくても、二人の関係は変わらないのだ。


「ということで、翠さんの会社をいただけませんか?」

「……⁉」


 なにが、ということで、だ。そう思ったが、菫の目的はただ一つだ。話の主導権がいつの間にか菫に握られてしまっていたことを自覚する。


「ちょっと待って! そんなこと急に言われても……」

「そうよ! 今日はそんな話をしに来たんじゃないの!」

「そんなに怒らないでください。お二人がなにか思いつめた表情をしていたもので、つい」


 本気で言っているようなその表情、仕草に、碧と翠は毒気を抜かれる。


「それは……」


 今日会おうと言い出した碧は顔を背ける。もし今日、一人で菫と合ったのなら、どうなっていたのだろうか。それを考えると少し身震いをしてしまう。


「他になにか質問はありませんか?」


 今までの捕食者のような目ではなく、ただ純粋な目で聞く。菫自身が変わったのか、それとも碧と翠の心境に変化があったから、菫の見え方が変わったのか。


 今なら緊張せずに言い出すことができる。


「最後に一つ」


 碧が人差し指を立てる。


「まあ、もう最後なのですか? それは悲しいですね」


 本気でかなしそうな仕草をする菫。


「いいでしょ?」

「仕方ありません。あっ。ですがその前に、わたくしから一つ質問させてください」

「いいけど……」


 すると菫は翠に向かって質問する。


「今日、会社はどうされたのですか?」

「休んだわよ」


 翠の即答に、菫はまた笑う。


「なによ」


 少しムッとしたような翠に、笑い終えた菫が言う。


「いえ、やっぱり面白くて。ふふっ」


 なにが菫のツボに入ったか分からないがこうも笑われると、碧もムッとしてしまう。


「なによさっきから」

「いえ……ふふっ、本当にごめんなさい。本当に、お二人の悩みが馬鹿馬鹿しく思えてきましてね。ああごめんなさい、そういうつもりではないのですが」

「早く笑い終えて私の質問に答えてほしいんだけど?」


 二人分の早く笑い終われの視線を受けて、ようやく笑い終えた。


 居住まいを正し、質問をしても大丈夫だと意思表示をする。


 ようやくだ、と碧は最後の質問をする。


「あんたにとって、一番嬉しい、心の底から嬉しいと思えることってなに?」

「本当にただの質問ですね」


 菫は人差し指を唇に当てて考える。なにかを考えてか、愛おしいものが目の前にあるような微笑みを浮かべて答える。


「わたくし、動物が大好きなんです」


 突然語り出した菫、碧と翠はそれを遮ることはせずに黙って聞く。


「その動物たちが、平和に生きられる、それがわたくしにとって心から嬉しいことですね」

「……あんたのお金が欲しい理由って」

「はい。言いましたよ、助けることができる、と。まあなんの動物かは秘密ですが」

「そういうことなの」


 翠の喜の感情を解放するうえでとても重要なことを聴けた。翠を心の底から喜ばせるために必要なもの、今日、今この場で、答えに限りなく近いものは出た。


 後はそれをどう正解に当てはめていくべきか。


「これでいいですか?」

「うん……ありがとう。助かったわ、今日は」

「私も、ありがとう」

「いえ、お二人の助けになることができて安心しました」


 三人は荷物を纏める。


「お会計は済ましていますので、どうぞお先に」

「返すわ」


 すると翠が碧と自分の分のお金を菫に出す。


 本当なら、誘った側の碧が出すのだが、翠にとめられてしまった。


「それなら翠さんの会社をいただければいいのですが」


 冗談ではなく、本気でそう言っていることが分かる。


「それはそれ! いいから受け取りなさい」


 それに関しては、今この場で決めることでは無い。いくら社長だからといって、独断で決められることでは無いのだ。


「全く、仕方ないですね」


 そう言って受け取る菫。


 それを確認して、二人は菫より先に店を出る。店から出ると、既にタクシーが来ており、すぐ後ろから出てきた菫が先に乗り込む。


「今日は楽しかったです。それでは」


 本当に楽しそうな顔で別れの挨拶をした菫を乗せたタクシーが走り去っていく。


 碧と翠も、待ってくれているタクシーの乗り込み、行き先を伝える。日はまだまだ高い。


 これから人々の活動は更に活発になっていく中、それに逆らうよう、碧と翠は家へと帰るのであった。

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