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第12話

 少しして、荒れた息も落ち着いて、翠が落ち着いたことを確認する。


「明日、私があの女と会う、嫌?」

「嫌よ」


 そう言われると思っていた。


「そっか、そうだよね。なに当たり前のこと聞いてるんだろうね」


 だけど、碧は菫と話さなければ、聞かなければならない。


「でも、私は行かなくちゃだめなの。だから、翠も一緒にきてくれる?」

「……え?」


 翠は、碧の言葉に固まる。


 菫に会うことを秘密にしていのだ。それは自分がいたら不都合なことがあるからだと思っていた。


 だけど碧は、一緒に行こうと言ってくれる。


「どうして?」


 翠の子供のような「どうして」に、碧は困ったように答える。


「翠のため、だよ」


 翌日、時間通りに菫の指定した店へやってきた二人。翠にとっては、昨日来たばかりだが、いい記憶が無い。


 時刻は十一時、丁度菫もやってきた。


「こんにちは碧さん、それに翠さん」


 翠の姿を見た時、驚いたようなそぶりを見せたが、それもすぐに分からなくなった。


「入りましょうか?」


 この場ではなにも話す気は無いらしい。それは、碧と菫にとっても同じこと。


 素直に後を付いて行く。


 部屋に通されるが、碧と翠は食事をする気は無い。無いというか、それどころでは無いのだ。


「お話の前に、なにか食べましょうか」


 だけど菫はあくまでもマイペースに。


「ここはご飯を食べる場所です。それに、空腹状態では落ち着いてお話できませんよ」


 その直後、碧と翠のお腹が仲良く音を立てる。


 朝から緊張のため、まともに食べていなかったのだ。


 素直にご飯を食べてから、話を始めることにする。



 昼食も一段落し、遂にこの時がやってきた。


「それで、碧さんの相談というのは?」


 お茶を飲んだ菫が碧を見る目を細める。


 獲物を狙う蛇のような視線に、碧は僅かに鈍る口元をゆっくりと動かす。


「なんで……なんで、あんたは私が欲しいの?」


 碧の言葉に、菫はきょとんとした表情をする。


「相談ではなくて質問ですか?」

「翠がいるのなら、こうしたほうがよかったと思って」


 碧だけならできる相談も、翠がいるのならやりにくい。それに、翠が自分を欲しがる理由は知っている。だが、それに間違えは無いのかの確認と、菫本人しか知るはずの無い理由を聞いておきたかった。


「なるほど、分かりました。そうですねえ、わたくしが碧さんを欲しい理由……」


 そう言った菫は翠を見て、再び碧へと視線を戻す。


 これを言うと翠は当然怒るだろうと考えたのだが、その表情を見て大丈夫そうだと判断する。


「それは自分の会社のためですね。波風立てず、わたくしの会社を大きくするには、碧さんの実家と強い繋がりを持つのが一番でしたから」

「やっぱり、碧の言う通りだったわね」


 この話を先に碧から聞いていなければ、今頃翠は菫に殴りかかっていただろう。


「まあ、知っていたのですか?」


 菫はわざとらしく驚く。


 碧もこれは分かっていた、ただ分からないことがあるのはその先だ。


「うん。ただ、分からないことがあるの。どうしてあんたはそこまで自分の会社を大きくすることに拘るの?」

「それは当たり前のことではないですか? わたくし達経営者は常々考えていますよ。自分の会社を大きくすることを。ねえ、翠さん?」


 確かに菫の言う通り、経営者とはそういう者だろう。


「私は……違うわ」

「それではなんのために、あなたは経営者をやっているのですか?」

「それは……」


 俯く翠に、菫は容赦無く冷たい視線をぶつける。


 翠の理由はただ一つ。碧と吊りあうためだけだ。そのために勉強をして、頑張って、頑張って頑張って、この地位を手に入れた。


 だけど、今それをここで言ってもいいのだろうか。


「私のため。翠が今の地位にいるのは私のため」

「碧⁉」


 言えずに口を閉ざした翠の代わりに碧が答える。


「へえ、碧さんのため、ですか。碧さんはお金に困るような方では無いと思うのですが? まさか、実家との繋がりを断ったという訳ではありませんよね?」


 それは無い。菫は、碧が実家との繋がりを断ったわけではないということぐらい知っている。


「断っていない」

「そうですよね。全く分かりません、困りました」


 心の底から困ったような顔をする菫。


 本気で困っているのか、ただ演技なのか。だとすればどうしてこの場で演技をする必要があるのか。


 そんなことはどうでもいい。


「菫、どうして会社を大きくするのか。あんたの言葉で教えて」

「困る暇さえ与えてくれないのですね」

「いいから答えて」


 強めた口調で言う碧に、菫は観念したのか、大きく息を吐くと同時に答える。


「単純ではないですか? お金が欲しいんです」


 お金が欲しい。碧にはよく理解できない気持ちだ。


「どういうこと?」

「やはり碧さんには分かりませんか」


 悲しむような素振りを見せた後、その目は翠を捉える。


「翠さんなら、分かるのではないですか?」


 翠には分かる。それは、一般家庭出身の翠には分かるということなのか、碧に吊り合うため、今の地位を手に入れた翠には分かるなのか。


 金が欲しい。まだ十代の頃の記憶、翠がそれなりに同級生と同じ空間にいた時のこと。


 半ば冗談のように、されど切実に、誰もが口にする言葉――お金が欲しい。


 服を買いたい、あのコスメが、ゲームが欲しい、働きたくない、旅行へ行きたい。そんな言葉を聞いてきた。


 これは、望めばなんでも手に入る碧には分からない。どれもこれも金がかかる。


 翠は首肯する。


「翠さんに分かっていただけててよかったです」

「なにが欲しいの……?」

「これといった物はありません。ただ、俗ですが、お金があれば心に余裕ができますし、余裕があればいろんなものを助けることができる」


 そう語る菫の表情は初めて見るもので、なにかを思うような優しい顔つきだった。なにを思い浮かべているのかは全く分からない。ただ、碧も翠も、今この時は菫がただ一人の人間なんだなと感じる。

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