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第2話

 少し休憩した碧は翠に話をしようとお風呂場へ向かう。


 碧の実家ほどではないが広い家だ。家というかマンションなのだが、ただの一軒家より広いはずだ。


 この世界では、碧は大手老舗企業の令嬢らしい。全くもって謎の立場だ。身に着けるもの、食べる物は高級なものが多い。


 仙女だし、食事は霞でも食べればいいのだが、この世界の碧は仙女ではないのだから仕方が無い。


 ちなみに翠は新興企業の社長らしい。そしてこの家は社長である翠の家だ。


 この家で同棲を始めてから三年程経っている、もう知らない場所は無い。迷うことなくお風呂場へやって来た碧。


 浴室ドアまでやって来た碧。中は見えないが、翠のシルエットが見える。


「ねえ翠」


 ドアに手を当てながら、碧は声をかける。


 中にいた翠がピクリと動いたのが見えた。まさか話しかけてくるとは思わなかったようだ。


「……なに?」


 戸惑いがちに、警戒するような翠の声が帰ってくる。


 言葉を返してくれたことにひとまず安堵する。これで無視でもされたのなら、碧は泣いてしまう自信があった。


「えっと……ごめん」

「なにが?」


 明らかに声質が変わった翠の声に碧は息を呑む。今この話をするのはまずかったか。それに、こんなに感情が動いている翠を碧は知らない。


 翠の棘のような声が碧に突き刺さり、出かけていた言葉を止める。


「あの……えっと……」


 下手なことを言ってしまうと、翠の感情が消えて失敗してしまう。それに対する恐れと、いままで向けられたことの無い感情の棘が碧の思考力を削いでいく。


 なにも言わない碧にしびれを切らせたのか、翠が突き放すような声で言う。


「ごめんなさい。今は冷静に碧と話ができそうではないの。だから――」

「ごめんね!」


 その先は言われたくないと、翠の言葉を遮った碧が言葉を続ける。


「でもこれだけは聞いて。私は翠のこと、心の底から愛してるから」


 それだけを伝えると、碧はその場を離れていく。


 この言葉は翠に届いているはず。嘘偽りの無い言葉。


 今日はもう休もう。大丈夫だ、世界はまだ無くならない。今は自分の心を落ち着かせよう。


 昨日はあれから、翠とは顔を合わさず日を跨いだ。


 なにか連絡があっても、それはメッセージで送られてくる。少し寂しかったが仕方ない。


 今の翠は少しの間、一人にするべきだ。


 そんな中、碧は今の自分にできることをしようと決める。


 まず、第一にすることは、菫との関係を断つことだ。菫との仲を疑ってしまう出来事があったのだ。翠を安心させるため、関係を断つのが一番早いと碧は判断した。


 そもそも、なぜ自分は菫と会う約束をしていたのか。あの時メッセージを消してしまったため、やり取りを確認することはできないが、予想はできる。


 翠と菫は競合他社の社長同士、企業としての基盤も、碧の実家の老舗大企業には遠く及ばない。


 だからこそ、菫はその令嬢である自分と婚姻を結ぼうとしているはず。碧はそう考える。


 しかし、なぜそこまでして、会社を大きくしようとしているのか分からない。


 菫に対して、翠がこうして地位を築いた理由は単純。碧に相応しくなるためだ。翠にとっては、碧の実家との繋がりよりも、碧自身と一緒にいたかったからだ。それを少し前に聞いたのだ。


 碧自身、家から付き合う相手を選ばれていたため、社長になった翠と再会できたことがなによりも嬉しかった。


 互いに思い合っているのに、なぜ碧は菫と会おうとしたのか。それは考えたらすぐに分かった。


 翠自身は会社のことよりも碧を優先したい、だけど社長をしているため、無責任なことはできない。


 碧はそんな翠のことを助けたいと悩んでいたところ、翠の競合他社の社長である菫と接触、翠のサポートをしたいと相談した末、連絡先を交換した。


 今思えばなんて不用心なことをしたのだろうと思う。あの時は、翠は碧に会社の話をしなかったため、情報は洩れなかったから大丈夫だろうと思っていたに違いない。


 間違いなく菫は碧を狙って接触してきたはずなのに。


 この世界の自分はなんて鈍いんだと呆れる碧。


 メッセージは返さず、そして消去してしまったため、今更どうにもすることができないが、間違いなく再び菫から連絡が来るだろう。


 その時はどうするべきか。


 翠に相談することも考えたがそれはできない。


「私一人でどうにかしないと……!」


 碧と婚姻を結ぶことができない分かった菫は、今度はどのようにして翠の邪魔をしてくるのか。一番波風を立たない方法が碧との婚姻だ、その手札が無くなってしまうと、直接的な妨害をしてくるのではないか。


 今の時代にそんなことは無いと信じたいが、用心しておくに越したことは無い。


 気を引き締めた碧は、とりあえずいつも通りの日常を送ろうと、部屋を出る。



 忙しい翠の代わりに家事をする。それぐらいは当たり前のことだ。


 今日は帰ってくるのは遅いだろう。昨日が例外的に早かっただけで普段は遅い。だから、夕食は外で食べてくるのかもしれないが、昨日のことがあったのだ。一度翠と顔を合わせて話がしたい。


 ――今日は夕飯どうする?


 それだけ送っておく。当たり前だが、すぐに返信はこない。


 まだ午前だ、とりあえず部屋の掃除と洗濯でもしよう。ポケットにスマホをしまった碧はいつも通りの日常を始める。

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