「うん」
それを使った罰として、碧はこの世界を一時的に追われ、数え切れない程の人生を繰り返した。
「あの術により、間違いなく翠は生き返ったんじゃが、それ以外を失ってしまったらしくてのお」
「それ以外? 魂も修復できたはずだよ!」
「しかしのう、碧は仙術を使うのが苦手じゃろう?」
仙術は、仙人や仙女が使用する術だ。それはとても繊細なもので、欲の無い、感情の起伏がほとんど無いからこそ使いこなすことができる。
しかし碧は、仙女らしからぬ感情を持ち、喜怒哀楽をハッキリと表現できる。そのため、仙術のような繊細な術を使いこなすことができないのだ。
「うぅ……私のせい……」
「それは違うの。まあ禁術を使ったのじゃから罰を受けて当然じゃ。じゃが、それを使わなければ、翠はもうこの世にはおらんのじゃ」
「でも! この状態じゃ、翠は死んでいるのと変わらないじゃない‼」
今こそ泣き出しそうな顔の碧を手で制して仙人は語りだす。
「落ち着いてワシの話を聞いてくれ。翠が失ったのは感情、そして魂の一部なんじゃ。それを戻すことができれば、翠は完全に蘇らせることができる」
「蘇らせることができるの⁉」
落ち着きを取り戻しかけた碧が今度は息巻く。
「詳しく教えて! 翠のためだったら、私はなんでもする!」
「分かったから離してくれ、そう掴まれると話しにくいんじゃよ」
「あ、ごめん」
素直に手を離した碧は、その強い感情が燃えているかのような真っ赤な瞳を輝かせている。
言葉にこそ出さないが、さっさと話せと思っていることだろう。素直に感情が動く碧を羨ましく思いながら、仙人は碧に向かって手のひらを突き出す。
「感情と魂の欠片、合わせて五つじゃ」
「喜怒哀楽と……魂の欠片ってこと?」
「そうじゃ。碧にはこれから、翠の喜怒哀楽と魂の欠片を集めて来てもらうために、五つの世界に向かうこととなる」
「五つの世界……」
顎に指をあてる碧。五つの世界で翠の喜怒哀楽と魂の欠片を集める。単純だが、どうやって? 世界を渡る仙術などあるのだろうか。それに、どういった形であるのかなど、見当もつかない。
「そうじゃ。喜怒哀楽、それらは全て、それぞれ世界を創っておるはずじゃ。まずはその四つを集めるのじゃ」
それぞれ世界を創っている。その言葉に疑問符を浮かべながら、碧は違うことを質問する。
「魂の欠片は?」
「それはまだじゃ。まずは翠の喜怒哀楽を集めてからじゃ。そうしなければ翠は救えん」
「分かった」
翠が救えないのなら、言われた通りにするまでだ。
そして、先程の疑問をぶつける。
「翠の喜怒哀楽が、それぞれ世界を創っているって言っていたけど、どういうこと?」
各世界に散らばっているというのなら、なんとなく想像はできる。しかし、世界を創るというのはどういうことなのだろうか。
「言葉の通り、感情が世界を創っておるんじゃよ。翠の喜怒哀楽が創った世界がのう。例えば、喜が創った世界、当然その世界を生きる人々がその世界にいる。そしてその中には翠もいる。その翠は、その世界で生まれ、生きている。」
「その世界には、その世界の翠がいるってこと?」
「そうじゃ。そこで碧がすることは、その世界へ向かい、翠の喜を解放することじゃ」
「喜の開放?」
「そうじゃ、その世界ですることは、翠に喜びを与えることなんじゃ」
喜の世界というから、てっきり喜びの世界的なものだと思っていた碧だったが、どうやら違うらしい。
「喜びを与える? 私が行けば、翠は喜ぶと思うんだけど」
単なる事実だ。碧が翠のことを心から大切に想い、心から愛しているのと同じように、翠もまた、碧を心から大切に想い、そして愛しているのだ。
「それ程単純じゃあ無いからのお。それに、失敗すれば消えてしまうんじゃぞ」
「消える? なにが?」
「翠の感情がじゃ。喜の世界で失敗すれば喜の感情が消滅してしまうんじゃよ。そして、消滅した感情はなにをしても絶対に戻ることは無いのじゃ」
まさかの言葉に碧は固まる。
仙人は噓をついていない。今言ったことは事実なのだろう。
ここでふと、碧の中で疑問が生じる。今までなにも考えずに質問をしていたが、なぜ仙人が知っているのか。翠の感情云々は調べたら分かるだろう。碧自身、この世界では何年いなくなっていたのか分からないが、蘇らせても目を覚まさない翠を見ればなにかがおかしいことに気付くのだから。
しかし、おかしいのはそこではない。
「ねえ、今更だけどさ、なんで詳しいの? 感情が世界を創るとか、失敗すれば感情が消えてしまうとか。まるで経験したことがあるみたいじゃない」
「経験したことあるからじゃ」
「――っ⁉」
ということは、仙人は誰かの感情を集めていて、そこで失敗してしまった経験があるということだ。
「その人は――」
「それは言えん。今は翠の感情を集めることだけに集中するんじゃ」
碧の言葉を遮った仙人の言葉は、なにかの感情を、必死に押さえつけているかのように感じられた。
「……分かった」
慎重に頷く。碧も、失敗して、翠の感情が失われてしまうのは絶対に避けたかった。
「だから代わりに教えて、どうすれば感情を消滅させないのかを」
「分かった。ワシもできる限りのことはするつもりじゃからの」
そう言って仙人は言う。
「喜の世界で説明するが、喜の世界では、翠に喜の感情を無くさせてはならん」
「感情を無くさせる……?」
「例えば……そうじゃのう……」
仙人はどう説明しようかと考え込む。そして、眠っている翠を見て言う。
「碧は、翠に愛されて嬉しいかの?」
「当たり前でしょう!」
いきなりなにを言っているんだこの仙人は、そう思いながら反射で言葉を返した碧。
「では、翠に愛されなくなってしまうと、どうじゃ?」
「そんなことある訳――」
今はそんな質問をしているのではないのだ。ある訳ない、反射でそう答えようとしたが、ぐっとこらえて想像する。もし、翠が自分を愛してくれなくなったら――と。
「……嫌」
涙が溢れてくる。ただ想像しただけなのに、恐ろしい喪失感と恐怖が襲ってくる。
「喜びなど無いじゃろう?」
「うん……」
「そういうことじゃ、喜だけじゃない、その他の感情でも、それらを喪失させることをしてはならないのじゃ」
身をもって味わった。
「分かった」
これは単純な作業では無い。だからといって止めるという選択肢は無い。
碧は覚悟を決める。失敗すればどうなるか、という恐怖はある。だけどそれ以上に、世界を超えてでも翠を救いたいのだ。
「絶対に失敗しない」
「覚悟は決まったようじゃな。ワシもできる限り助けたいが、世界によってはワシが干渉できなくなる場合もある。じゃから今のうちに思ったことは聞いておくんじゃぞ」
なにをしてはいけないのかは、今しがた理解した。次はどうすれば感情を手に入れることができるのかだ。感情を開放すると言っていたがそれはなんとなく分かる。ただ、解放した後はどうすればいいのか、それを知りたかった。
「じゃあ最後に。魂を解放した後ってどうなるの?」
「その世界が消える。失敗しても消える。消えればこの世界へ戻ってくるじゃろう」
「うん分かった」
これでもう聞きたいことは無い。終わる度に戻ってこられるのなら、新たな疑問ができたとしても聞けばいいのだ。
「では――」
頷いた仙人は、杖の先で地面を二回叩く。
すると壁が広がり、大きな水瓶が一つ出てきた。
「その水瓶に入れば、感情の世界へ行くことができる。」
遠目からでも、水瓶は碧が飛び込める程大きいことが分かる。
躊躇いは無い。今すぐにでも飛び込みたい。ただその前に――。
「行ってきます」
碧はやはり目を覚まさない翠の唇に、自分の唇をそっと重ねる。
そして駆け出し、振り返らず、水瓶の中へ飛び込むのだった。