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しまやに着いた私(梓)と舞は、住居用のドアの鍵を開けて、中に入った。店内の椅子には陽輝さんが座っていたのだが、この短時間で何だか少し老けたように見えた。
(和也さんに出ていかれたのが、よっぽどショックだったんだろうな……)
あまりの憔悴具合に、思わず笑いそうになるが、ここは顔を背けてぐっと堪えた。
「ああ、梓さん、舞さん……」
声元気ないな! もう我慢できない、笑うって! 顔を覆って笑みを隠すもバレてしまったようだ。平時ならむっとした顔をされるのだろうが、そんな元気もないのか、逆に自虐的に薄い笑みを返してきた。
「隠さなくていいです。俺、面白いんで……」
「す、すみません……!」
「いや、本当に気にしないで下さい」
そして彼は立ち上がり、私の後ろに隠れていた舞に頭を下げた。
「俺、和也とケーキの事ばかり考えていて。だいぶ言い過ぎました。すみません」
「いえ、私も……自分の事ばかり考えちゃって。そんなに楽しみに待っててくれたのに」
そこで舞が、「あれ?」と呟いた。
「陽輝さん、ケーキのこと知ってたんですか? 秘密の作戦だったのに」
確かにそうだ。訳を聞いてみると、最初から私達の話を聞いてしまっていたらしい。今日まで全く気が付かなかったが、思えばここ最近上機嫌だった気もする。
「そうだったんですね。ますます申し訳ないです」
「いや、もういいんです。考えてみれば、年下の女の子にケーキがないって怒るって、何というか大人としてどうなんだろうって考えちゃって。和也が出ていくのも分かるし」
そしてまた彼は溜め息を吐いて、落ち込む様子を見せた。
「えっと……」
さすがの舞も、掛ける言葉に困っている様で言い淀んでいる。
「あ、そうだ! 別のお店のなんですけど、ケーキ買ってきたんで……食べませんか?」
恐る恐るといった具合に、舞はケーキの手提げ箱を彼に差し出した。
「うん。ありがとう。頂きます」
そして、いつもならお客さんが座っているボックス席に三人で座り、ケーキの箱を囲む。彼がどれを好きか分からなかったので、全部違う種類を買ったのだ。
「陽輝さんは、どれが好きですか? ちなみに、私はモンブランが好きです」
「舞、そんなこと言ったら、陽輝さんがモンブラン選びにくいでしょ」
「ああ、そうか! 全然! 気にしないで選んでも良いですよ?」
「いや、選びずらいって。全く舞ったら……」
そんなやり取りをしていたら、急に陽輝さんが吹きだすようにして笑い出した。まだ関係が浅いからなのかは分からないが、見ない表情だった。と言うか、彼が笑っているのはあまり、見たことがなかった。
「ははっ……いや、すみません。何だか漫才みたいだなって、思って……」
舞が私に「陽輝さんちょっと元気出たみたい。良かった!」と耳打ちしてきた。実際元気が出たのかは分からないけれど、彼の新たな一面が見られた。
その後は、陽輝さんがチョコケーキ、舞はモンブラン、そして私は余ったイチゴのショートケーキを選んだ。
「じゃあ、いただきまーす」
「舞、陽輝さんと一緒にね」
そうやって、各自選んだものを食べようとした時だった。
『あれ? 閉まってる! 何で??』
ガタガタと店舗用玄関の戸を揺らす音と共に、そんな声がした。
『定休日は明日のはずなのにな』
お客さんだろうか。気まずくて、しばらく皆で静かにしていたがなかなか去る様子がない。臨時休業なことを伝えるため腰を浮かせると、無言で陽輝さんに手で制された。
「え、陽輝さん……?」
彼の方を見ると、表情が固い。まるで扉の向こうの人物に心当たりがあるような……
相変わらず、昭和ガラスの向こうの人影は去る様子がない。いや、もう一人いるようだ。一人は若い女性で、もう一人はあまり声がしないが影からして男性らしい。男女の声が会話をする様子を見せた後、二つの影は隣の住宅用玄関に移った。カチャリと、ドアの鍵が開く音がした。
「え? 鍵……」
私は目を見開き、玄関を指さしながら陽輝さんの方を見る。一瞬、和也さんが戻ってきたのかとも思ったが、どうもそんな感じじゃない。彼は険しい表情を浮かべしかし「多分知り合い」と私達に声をかけた。舞は、怖がって私にしがみ付いていた。
廊下を複数人が歩く音がした後、それは現れた。
「和也さん! 萌香でーす!」
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「あれ? 和也さんいないんですかあ? 陽輝さんと……誰と誰?」
侵入者(飯沼萌香)が、背後に北谷を従えてやってきた。
「飯沼さん……どうやって玄関の鍵を開けたんですか」
「んー分かんない」
飯沼さんが、なぜか持っているうちの玄関の鍵を掲げて見せた。
「これ、くれたんじゃないんですか? 何か、北谷が『お嬢、これを』って渡してきたんですけど」
「渡すわけがない……」
勝手に鍵を作ったのか? 何てことをするんだ。後で鍵を変えなければいけない。
「で、何で開いてないんですかあ? もしかしてお店つぶれたんですか?」
「いや、臨時休業なだけ。そう言う訳だから、帰ってくれないかな。和也も今いないし」
「出て行かれたんですか?」
「なッ……」
直球な追及に、思わず言葉を失う俺。俺の反応でそれが真実だと感づいた飯沼さんは口元を手で覆い、「ウケる」と一言。
「あーあ。最近の推しカップルだったのに! 儚いなあ。もう女の子連れ込んでるし」
「違うこの人たちは従業員! あと、和也は必ず戻ってくるから。ちょっと出てるだけで……」
「本当ですかあ? そう思ってるのは陽輝さんだけじゃ」
「違うし! 違う……と思う」
何だか急に不安になってきて、急いで頭を振って悪い考えを振り払う。
「と、とにかく! 帰ってくれ、お願いだから。今日は特に!」
飯沼さんの背中を押して、半ば無理やり外に出そうと試みる。北谷の目が怖い。彼女に触れている事が不満なのだろう。そんな俺の手をすり抜けて、飯沼さんが警戒している様子の女性陣の所へと行ってしまう。
「こんにちは!あなたのネイルめっちゃ素敵!」
「え、あ……ありがとうございます」
梓さんの後ろに隠れていた舞さんが答える。
「手もキレイだし……でも、ちょっと爪の先が汚れてる。草むしりでもしてたの?」
「いえ、ちょっと探し物を……」
「何を探してたの?」
「えっと、ぬいぐるみ……」
「この人声小さい! 飽きた。行こう北谷!」
自分から話しかけておいて、飽きるとは本当に自分勝手な人だ。この子に比べれば、舞さんの件なんてちっぽけなものだな。
「じゃあ、陽輝さんバイバイ! 和也さん帰ってくるといいですね」
そんな調子で、飯沼萌香は堂々と玄関の方へと消えていく。北谷もそれについていく。と思いきや、大男は梓さんと舞さんの方へとのそのそ向かっていく。
「な、何ですか?」
梓さんが警戒し、男をけん制するように声を発する。北谷は少しの間、女性陣の方を見ていたが、スーツのポケットから何かを取り出し、差し出した。
「え。これって……」
梓さんが、驚いた様子でそれを見て、後ろに隠れていた舞さんにもそれを見るように声をかける。
「えっ……大佐?」
舞さんは恐る恐るといった様子で手を伸ばし、北谷からそれを受け取った。手のひらサイズのそれは、確かにこの前彼女のスマホの画面で見たぬいぐるみに似ていた。
「あの……どこでこれを?」
舞さんがそう尋ねると男は「落ちてた」と答える。
「まいまいさん……困ってたから」
「どうして、私のものだって分かったんですか? どうして私のハンドルネームを?」
北谷は口を開き何か言いかけたようだが、飯沼さんに「北谷! 早く来て!」と呼ばれ、足早に去っていった。