テーブルに並んだ三つのホットコーヒーと一つの紅茶。紅茶は舞さんのものだ。さっきまで泣いていた彼女にコーヒーは飲ませられないと、陽輝が半ば強引に注文したのだ。
注文のものが揃ったところで、気まずい沈黙を陽輝が破る。
「舞さん。さっき俺達に話してくれた事、ゆっくりでいいからもう一度話してもらっていいかな?」
舞さんは、戸惑いながらも話始めた。
「梓ちゃん。あのね、私、梓ちゃんとずっと一緒にいたい。でも、梓ちゃんはどうなんだろうって不安になるときがあって」
そして彼女は、彼女のトラウマについて話し始めた。
「覚えてるかな。恋人になるきっかけのこと。その、初めてえっちしたときのこと……」
梓さんは、困ったような、変な表情をしていた。
「覚えてるよ。もちろん。あの時は本当に悪かったと思ってる」
「うん。たまにね、あの時のこと、夢に見るの。今日も見た。大好きな梓ちゃんが、まるで知らない怖い人みたいに見えて……怖かった。もう何年も前のことなのに、まるで昨日のことみたいにはっきりしていて……私が変なこと言ったのが悪かったのに。なんで……」
舞さんは、そこで少し考える様子を見せた。落ち着くためか紅茶をぐいっと飲み、彼女は続けた。
「梓ちゃんにとって、私は恋人で合ってるのかな。いつまで私と一緒にいてくれるんだろう。私、なんにもできないから、迷惑かけてるんじゃないかって。そんなこと考えていたら、具合が悪くなっちゃって……」
そう言った彼女はポロリとまた涙を零した。
「困らせたい訳じゃないの。ただ、いつまで一緒にいてくれるのか教えてほしくて。その、心の準備が、いるから……」
彼女は答えを求めるように沈黙した。彼女の様子を見て次に話始めたのは陽輝だった。
「さっき話を聞いて、俺が想定していた質問と違うけど舞さん。聞きたい事はこれで全部?」
少し考える様子を見せ、頷く舞さん。「なるほど」と陽輝。
「じゃあ、次は梓さん。これを聞いて梓さんは話したい事ある?」
梓さんは、「はい」と返事をして、向かい合った舞さんの方をまっすぐ見る。俯いていた舞さんが、恐々と言った具合に梓さんの方を見る。
「舞……不安にさせてごめん。それから、不安の理由も多分、わかる……」
梓さんは、舞さんの隣に座った陽輝に目線を移した。
「私達の関係は、元々身体の関係から始まったんです。この子が私のことを特別大切に思ってくれている事を利用して、私は一方的に舞に手を出しました。今はこの子がとても大切ですが、舞が当時の事をどう思っているのか、怖くてずっと聞けずにいました」
眉間にしわを寄せ、唇を薄く噛むような苦い表情をした後、梓さんはまた舞さんの方を向いた。
「舞。あの時は本当にごめんなさい。自分の店がなくなって、当たりやすい舞に全部のイライラを押し付けて……後悔した。酷い事して、私こそいつ捨てられてもおかしくないはずなのに…つらい時、いつも一緒にいてくれた」
舞さんを見れば、身を縮こませ悲しそうな表情でいた。
(違う、舞さんが欲しい言葉は、きっとそれじゃない……)
「あの……!」
堪らず、発した声。三人の目線が俺に向く。しかしどう伝えたらいいのかわからなくて、思わず陽輝に目線で助けを求めた。
「和也。もう少し話を聞いていよう。この件に関して俺達は部外者だ。梓さん、他に伝えたい事はありますか?」
「はい。ええと……」
「あのね。梓ちゃん」
梓さんの発言を遮り、舞さんが鋭く言葉を発した。
「私ね……謝って欲しい訳じゃなくて、かといって困らせたい訳でもなくて」
彼女はそのまましばらく沈黙した後に「やっぱりダメだ。今言ったら、私あなたを……」と俯く。
そして彼女は急に椅子から立ち上がりふらふら歩き出した。
「舞さん……? 大丈夫ですか」
「和也さん大丈夫。ちょっとお手洗いで、落ち着いてきます」
目元のメイクが崩れている顔で無理やり作ったような笑顔を浮かべ、彼女はお手洗いのある方向に消えていった。
「私は、何を間違えたんでしょう」
永遠とも思える重い沈黙の後、梓さんが、ポツリと呟く。
「またあの子を傷つけて、あんなに苦しそうな顔をさせてしまって……」
深く長いため息を吐き、彼女は頭を抱える。
「ほんとパートナー失格です」
陽輝の方を見ると、彼もまた俺を見ていた。目線で、どうしようと困った様子を見せると「和也はどう思う?」となぜか俺に話を振ってきた。
「和也は、パートナー失格だと思うか?」
「お、俺? 俺は……」
梓さんも俺の方に目を向けてくる。しかたないと俺は覚悟を決めて自分の考えを話す事にした。
「俺は、違うと思う。と言うか、そもそも大事なのはそこじゃないんじゃないかな」
少し不安で陽輝をチラリと見ると、わずかに頷いてくれた。
「どういう事ですか?」
「舞さんは、梓さんにただ『私もずっと一緒にいたい』って言って欲しかったんだと思う。でもそれを彼女から話すと、梓さんを縛ってしまうことになるから……負い目があるあなたのことを考えて言えなかったんだと思う」
彼女の目がみるみる見開かれ、そして悲しそうに歪む。
「ああ……そうか。私、自分が許されたいからって自分のことばかりで……」
「まだ間に合うんじゃないですか? 追いかけなくていいんですか」
陽輝に促されると、梓さんは立ち上がり「ありがとうございます」と手洗いの方向に向かって速足で向かっていった。
「あー良かったあ。何とかなりそうじゃない? 陽輝ナイスアシスト!」
「いや、俺は何も。というか、修復したとしても、このまま長時間車内で拘束されるのちょっとしんどいな」
「まあまあ、そう言わず。本当に、仲直りできそうで良かったよ」
こうは言っても、何やかんやで面倒がりながらも世話を焼くことを俺は知っている。陽輝は巻き込まれタイプなのだ。
「ねえねえ、俺達ってさあ。一回離れたりまあ色々あったけど、ケンカだけはしたことなくない?」
「そう言われればそうだな」
「俺も陽輝も、思ったことは何でも話してるからねえ」
それに口に出さなくても、陽輝は分かりやすい。本人は出さないようにしているようだが、ずばり陽輝は感情が目に出る。面倒くさがっている時は目の下がピクピクしているし、作り笑っている時は目が笑ってないし、ついでにえっちなことを考えている時はどこを見ているのか分からず怖いし。
「そうだな。和也とケンカにはならない。好きだし」
「ちょっとまっすぐに言い過ぎ! ありがとう」
そんな風に話していると、ふと、梓さん達の帰りが遅いことに気が付いた。その事を目に前の彼に話すと「確かに」と同意してくれた。
「どうしたんだろう。何かあったのかな」
「入口近くまで見に行ってみるか」
「そうだね」