あれから俺達二人は、定食屋の経営という日常に戻った。
陽輝は被害届を出さなかった。彼曰く「面倒だし、時間もないし、そもそも何もされてないし」との事。俺的には少しモヤモヤしたけれど、被害者本人が良いって言ってるんだからいい事にした。
それでも気になって、あの部屋で何があったのか聞いてみたけれど、「別に。話すような事はないよ」とはぐらかされてしまった。
「教えてよお。俺すっごく心配したんだからね!」
「本当に何もされてないんだ。あの男……北谷って呼ばれてた男。そもそも俺に反応しなかったみたいで、見るからに困ってたし。あいつが飯沼さんに何で従ってるのかは分からなかったけれど、無茶ぶりされて大変だなって思った。本当にそれだけ」
「……萌香ちゃん唇ケガしてたけど、もしかしてキスしたの?」
陽輝がぎくっとしたのが背中越しに分かった。
「あー浮気だあ(笑)」
「違う! いや……確かにキスされた。それは事実なんだけど……縛られてて抵抗出来なかった。ごめん、俺が好きなのは和也だけなのに」
こういう時に変に言い訳しないでまっすぐな謝罪をくれる、誠実な陽輝が俺は好きだ。
「いいよお。許す! だから後でもっといい事しようね。負けないくらいサービスするから」
手を掴んで甘えると、彼は赤くなって目を逸らした後に、頭を撫でてくれた。
「えへへ、おかえり陽輝!」
今日は新しい従業員の面接がある。約束の時間まであと三十分。俺と陽輝は早めに、定休日の札をかけたドアを開錠して店内に待機していた。
「どんな人だろうね。何か緊張する」
前の事件があるから、必要以上に身構えてしまう。最初は身構え過ぎて男性募集にしようかと思ったけど、従業員全員男は華がないよね、と話し合って女性にした。
「和也。二度目は無いと信じたいけど……もし異変を感じたら、俺だけに分かるように合図を送って。『ドカえもん』とか」
「それ、えっちのときの止めてって合図じゃん!」
「それが一番わかりやすいかと思って」
「何か恥ずかしいなあ。良いけど」
すると、ガラガラと入り口のドアを誰かが開けた。もしかしたら、早めに面接予定の人が来たのだろうか。そう思って音の方を見に行くと。
「こんにちは、和也さん! 来ちゃった!」
くるくる巻かれた長い茶髪。ふわふわしたおそらく流行りの服。飯沼萌香ちゃんその人だった。後ろには北谷さんもいる。
突然の事にあわあわしている俺の後ろからひょいと陽輝が覗く。
「陽輝。ドカえもん……来ちゃった」
萌香ちゃんは、止める間もなく店の中にずんずん入ってきて「なつかしー」と言いながらくるくる回った。
その後は、もちろん追い返そうとしたのだが、彼女はニコニコするばかりで帰る様子はなかった。あと単純に後ろの北谷さんがムキムキしていて怖かった。
(あの時は怒りでどうかしていたから立ち向かえたけど、やっぱり怖い……あと萌香ちゃんは何で来たんだろう……いろんな意味で怖いよ……)
面接の時間まであと二十分。早く追い返さないと、面接の人が来てしまう。見かねた陽輝が、口火を切った。
「あのさ、飯沼さん。今日は何の用事? 俺も和也も、君たちに好意を持ってないのは分かるよね? あと、この後来客があるから、申し訳ないけど相手してる暇ないんだ」
最低限の礼儀を含んだ話し方。彼女がした事を考えると、まあ仕方ないのだろうけれど、何だか複雑だ。すると、彼女は頬を膨らませ、陽輝を軽く睨んだ。
「陽輝さんうるさい! 私は和也さんに会いに来たんです!」
「え、俺?」
「はい!」と笑う萌香ちゃん。
「私、男の人に反抗されて殴られたの初めてなんです。いつもみんな私にメロメロだから。私考えたんです! 和也さんみたいにワイルドな人すっごくいいなって!」
「お、俺が……ワイルド??」
ワイルドという言葉とは無縁の人生を送ってきたつもりだった。というか、そうと言うならどちらかと言えば陽輝の方だと思う。
「もちろん、陽輝さんもまだちょっと好きですよ。安心してください! でも、今は二人とも好きで、どっちかというと和也さんで、なんだろう……もはや二人の組み合わせが尊い? みたいな」
「尊い」
話を無理やりまとめると、今彼女は俺達の関係性に魅力を感じているらしい。何だそれ。どう転んだらそうなるんだ。
「あの、一人で盛り上がってるところ悪いんだけど、結局何をしに来たのかな?」
陽輝が引きつった笑顔を浮かべ、そう問う。
「好きな二人を見に来るのに理由はないですよ! そうでしょ?」
「うーん……」
全く話が通じない。
「お嬢。そろそろ次の予定の時間が……」
北谷さんが、こそっと彼女に耳打ちする。萌香ちゃんは立ち上がり、「また来ますね!」と店を後にした。残された俺達。隣を見ると、口をあんぐりと開けた陽輝。
「何だあれ。嵐みたいに去っていったな」
「うん……」
「疲れた……移転しようかな」