「おはようございます!」
俺、和也はいつぞやの定食屋に来ていた。相変わらず開いているのか開いていないのか分からない様子だったが、毎日店を開けていることを俺は知っている。
「来やがったな」
この人は店主の新嶋さん。口は悪いけれどいい人。
「あんたも暇人だよなあ」
「新嶋さんほどじゃないです」
「まあいい。ほら、チラシ。配ってこい」
「はあい」
何で俺がこの
「こんにちは」
俺は、前に行ったこの店が気になって、一人で訪れていた。陽輝がいると店主のおじさんとケンカになりそうだから、今回は置いてきた。相変わらず、いらっしゃいとも何とも声は帰って来ない。
「チャーハンください!」
無言のまま、着火の音。続いて中華鍋を振るう音。間もなく完成した。
「千二百円ですよね?」
チャーハンを持ってきた店主にそう聞くと、戸惑いながらもこくりと頷いた。相変わらずおいしいチャーハンだ。ついでにおいしさの秘密を探ろうともぐもぐしてみたが分からなかった。
「おいしかったです。また来ます」
それを三日続けた。そうしたら、店主から話しかけてきた。
「どういうつもりだ」
「何がですか?」
笑顔で答えると、店主は、大きくため息を吐いた。
「味の秘密を探りに来ているなら、無駄だよ」
「いや、そうじゃないです」
「じゃあ……」
彼は目に見えて困っているようだった。それはそうだ。固定客ではなかった得体のしれない若者が、毎日通ってきているのだから。
「俺、月島和也です。ここ、アルバイト募集してますか?」
「いや、見ての通り閑古鳥が鳴いてるから」
「じゃあ、お金はいらないので、お手伝いさせて下さい。トイレ掃除から店番まで何でもしますよ!」
……と、言うわけで強引に関係を結んだ。
「まず履歴書持ってきて。店の金盗まれちゃ堪んないから」
そう言われれば、その日のうちに書き上げた。
「ドイツ留学を五年?? 何でそんなんがうちに来るんだ」
「この店のチャーハンに惚れました、なんて」
「ふうん……」
「あ、お客さんだ。いらっしゃいませ!」
「こら勝手に……!」
「あら、若い方雇ったのね。新嶋さん」
お客さんは、
「半年前に奥さんが亡くなってから、あなたふさぎ込んで……心配だったのよ。良かった。また商売する気になったのね」
聞けば、彼女は常連さんらしく、彼の様子を心配して見に来たのだそうだ。
「私、ずっとこの店のファンでね? 料理の味は良いんだけど、立地が悪いし。あと、店主もこの通り不愛想でしょう……お兄さん、この人をよろしくね」
そう話して、彼女は去っていき、後には、俺と新嶋さんが残された。
「……もういいから帰ってくれよ。賃金も出せないし」
「お金はいらないって言ってるじゃないですか」
「あんたも分からない奴だな。何なんだよ。俺にもう構うな」
そして、ぎーと丸椅子を引き、俺に背を向けてしまう。
「俺、この店が好きです。思い出したんです。小さい頃、ママに連れてきてもらった事……」
昭和の色を残した飾りガラスがはまったドア。それを開けると、元気な中年女性の声で『いらっしゃいませ!』とあいさつが飛んでくる。
『和也。何でも、好きなもの食べていいからねえ!』
ママが、そう言い笑う。昼休みの作業服の男性も、一息つく為に来た主婦グループも、みんな店内の客は食事を楽しんでいて、俺も何だか分からないなりに楽しくなった。
「ここのお客さんは、みんなこの場所が好きだったと思います。おいしい料理に、元気な接客。それはここにしかない魅力があったんです」
新嶋さんは背を向けたまま、何も言わない。ああ、こういう時、陽輝みたいに頭が良くて良い言葉がスラスラ出てきたら良いのにと、思った。
「俺、恋人がいるんです。かっこよくて、背が高くて、すごく優しい。ずっと俺の味方でいてくれる。そんな人です」
「なんだ。急に惚気て。馬鹿にしてるのか」
「いや、違くて……もし、もしも、その人が急にいなくなってしまったらって。考えただけで胸が苦しくなって。一度、離れ離れになったんです、俺達。その時は、俺の知らない所で元気に生きているって考えたら、救われた……でも死んでしまったらもう、会えないし……その……」
ああ。言葉に詰まってしまう。頑張れ。俺。
「つまり、何が言いたいかっていうと、新嶋さんの気持ち、分かるから。力になりたいって思ったんです。勝手だけど……」
本当に勝手だよな。と今更ながらに思った。でも、本当のことだった。
俺が黙ると、新嶋さんは考え込むように少し唸り、呟いた。
「分からないよ。お前には」
「え?」
「お前、いくつだ」
「えと……二十二歳です」
はあ、と彼はため息を吐くと、続けた。
「俺は、女房と三十八年連れ添った。お前が産まれるよりずっと前に見合い結婚して、それからずっとだ」
「はい」
「お前は、その女と付き合って数年だろう。こっちは何十年なんだ。身体が半分持っていかれたようなもんなんだ。簡単に、気持ちが分かるなんて言ってくれるな」
「ああ……」
そうか。俺、この人の傷に塩を塗ってしまったんだ。
「本当に、すみません。無神経なことを言ってしまって」
「分かったら、帰ってくれ。悪気がないのは分かってるから」
謝ることしか出来ず、その日はやらかしたどんよりとした気持ちを抱えながら、そのまま家に向かった。
「なあ、今日も行くのか?」
次の日、陽輝にそう聞かれた。一日空けたけれど、やっぱり新嶋さんのことが気になってしまって、顔を出すことにした。
「うん。何か気になっちゃって」
「こう言っちゃなんだけど、もう良いんじゃないか? 所詮他人なんだし。あんまり踏み込み過ぎても……」
「うーん。お節介なのがたまにきずって感じ?」
「それが和也の良いところなんだけどさ」
そして、陽輝は、「俺も行っていい?」と聞いてきた。
「和也がそれだけ気になるなら、俺も気になってきた」
「良いけど……ケンカしないでよ?」
「俺を何だと思ってるんだよ」