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第15話 定食屋のおじさん

 陽輝が彼の両親と仲たがいしてから、俺はずっと、それが自分のせいなのではないかと、気になって仕方なかった。もちろん、優しい陽輝は気に病むなと言うだろうし、陽輝が決めた事だから俺のせいではないと言ってもいい。でも、そう簡単に割り切れないんだ。

 彼にとって両親との関係はそんなに良いものではなく、でもだからこそ俺はその関係を修復したかった。だってこの世に数人の家族だから。それなのに、ああ……。

 彼は俺と生きるために、他の全てを捨てた。立派な家柄も、約束された未来も。

(俺がちゃんとしないと……陽輝を見ていないと)




「和也。とりあえずは部屋を借りようと思うんだ」

 俺の家に来た陽輝は、そう話した。

「いつまでもホテル生活するわけにも行かないし、まずは住むところがいる」

結局あの後、陽輝は正式に両親と絶縁した。正式にというのは、家や会社関係の電話番号を着信拒否して住む場所も明かさないといった形に落ち着いたから。多分、これから彼が住む場所も、秘密なのだろう。

「ねえ、それもいいけどさ……しばらくこの家にいない?」

「いや、和也のお母さんにも悪いし……」

「もちろんママにも聞いてみる。でも部屋がない訳じゃないし、多分オッケーしてくれると思う。前向きに考えない?」

 陽輝が彼の両親と絶縁した時から、勝手ではあるがその方向で考えていた。彼は俺の起業を手伝ってくれると言っているし、一緒にいた方が何かと良いだろう。

「店を出すエリアはもう決めてるんだ。ねえ、陽輝」

「何?」

「俺とずっと一緒にいてね」

陽輝はぽかんとした後にあの時……高校生のとき駄菓子屋の前でやったときと同じように少し笑った。

「当たり前。俺はお前の彼氏だからな。ずっと一緒だ」




次の日、和也が出かけるというので、俺はそれについて行くことにした。電車に揺られ、20分程。街の中心から少し外れた駅で、俺達二人は降りた。

「ここ、俺のパパとママが出会った場所なんだ。小さい頃からなんとなく遊びに来てたから、この街が好きで。出来れば店もここに出したいなあと思ってる」

「そうだったのか」

 ずっと一緒にいたが知らなかった。まだまだ、俺の知らない和也がいるのかもしれない。そんなことを考えながら、駅を出る長い階段を降りる和也の背中を見ていた。

「この辺、小さいカフェはちらちらあるんだけど、がっつりした飲食店はあんまりなくて……今日はこの辺歩いて、今実際にどんな感じか見て回りたいんだ。」

「意外とちゃんと考えてるんだな」

「当たり前だよお。俺本気なんだからね!」

 街の雰囲気は閑静な住宅街と言った感じで、少し路地に入ると小さなアパートや一軒家がある印象だ。和也の言う通り小さなカフェはあるが、本格的な飲食となるとラーメン屋くらいしかないようだ。

「何ていうか、本当に住宅街って感じだな」

「そうなんだよね。人はいっぱいいるから、うまくいけば集客見込めると思うんだけど……あ、ここにあった店のパンケーキ美味しかったなあ。違う店になっちゃったんだ……そうだ! この辺に定食屋あったよ。まだやってるのかな」

 たたた、と何かに導かれるように和也が走り、「確かここを曲がるんだった気が……」と細い路地を入っていった。正直、そこに店がある事を知らなければ、通り過ぎてしまうような道だった。少しして和也が止まり「ここ! ここ!」と俺を呼んでいる。

「まだあった! ちょうどお昼だし、ここで食べていかない?」

「うん」

 店の前に移動して外装を見てみると、だいぶ古い建物のように見える。というか、肯定の音を返しておいてなんだが、この店本当にやっているのだろうか。中のカーテンは閉まっているし、人の気配もない。

 和也も、少なからず疑問を持ったようではあるが、恐る恐ると言った様子で、レトロなガラスのはまったドアに手をかける。鍵は掛かっていなかったようで、カラカラと音を立てて入口が開いた。

「こんにちはー……」

 店内を覗くと、いやに暗い。厨房付近のみ明かりが付いているようで、そこに視線が誘導される。誰かいるようには見えない。

「あの、お店やってますか……?」

和也の不安そうな声に、答える者はない。

「やってないんじゃないか?」

俺がそう答えた時だった。

「入るなら、とっとと入ってくれる? 冷房逃げるから」

 唐突に、厨房の方向から男性の声が飛んできた。

「うわ! びっ……」

 びっくりした、を抑え込んだ様子の和也。

「で、入るの? 入らないの?」

 イライラした様子を隠しもしない声の主が、奥の厨房から現れる。老齢の男性だ。厨房着に油で汚れた前掛け。典型的な料理人といった感じだ。

「えと、入ります!」

「二人?」

「はい!」

 入口近くの四人掛けの席を顎で指し、男性はまた厨房に消えていった。

「……とりあえず座るか」

そう、俺が口にしたとき、まだ何も頼んでいないのにも関わらず、着火の音がした。二人で顔を見合わせていると、中華鍋を振るう音がしだす。

「あの、メニュー表とかは……」

 和也の声が彼に届いている様子はない。仕方なく着席して待つとしばらくして、チャーハンが出てきた。無言で置かれたそれをあっけに取られ見ていると、ようやく男性が口を開く。

「二千四百円。食ったら帰って。早く店閉めたいから」

二千四百円。単品で千二百円。安い……しかしとにかく態度が悪い。

(何なんだこの人……とても客商売をしているとは思えない)

 一瞬和也と目が合った。彼も困惑しているようだが、食べ物を粗末にするのも嫌なために、レンゲを手に取り、それを口に運んだ。

「うん……ん?!」

 同じくチャーハンを咀嚼していた和也と顔を見合わせた。美味い。何だろう、この味。改めて確認すると、玉子にチャーシューにネギ……普通だ。見た目にこのうまさの秘密があるようには見えない。

「おいしい……俺食べた事無かったけど、この店のチャーハンこんななんだ……あの! すみません!」

 店主に果敢に話しかける和也。

「これ、すっごくおいしいですね! 何が入ってるんですか?」

案の定声が返ってくることはない。それでも気になるのか、近づいていく。

「俺、この辺で飲食店やりたくて、今日はこの辺見て回ってて……」

おいおい。それは言わない方が良いんじゃないか。そう思いながらうまいチャーハンを食べ進めた。もしかしたら、チャーシューが良いのだろうか。食べ物には詳しくないから、全く見当もつかない。

「さっさと食べて帰れって怒られちゃった」

目に見えてしゅんとして、帰ってきた和也は、それでも味の秘密が気になるのか、味わうようにそれを食べていた。

(口いっぱいに……何か、ハムスターみたい。かわいいな)




 結構量が多くて、陽輝も俺もお腹いっぱいになった。俺は結局、このチャーハンの味の秘密を解明できなかった。

「まあ、こういうのって門外不出っていうか、そんな簡単に教えてもらえるものじゃないんじゃないか?」

 陽輝はそう言った。まあ、確かにそうだ。

「それにしても、あの店の旦那さん、学生の時に来たときは、あんなじゃなかったんだけどな」

 もっとハツラツとしていて、店にも活気があった。席も埋まっていて、そして……ああそうだ。

「多分奥さんだと思うんだけど、ホールにすっごく元気なおばさんがいてね。今日はいなかったけどどうしたんだろう」

「ふうん」

陽輝は、何か少し考える様子を見せたけれど、どうしたのか問うと、「何でもない」と答えた。

「何でもないよ。ただ……」

「ただ?」

「俺が見た限り、夫婦間がうまくいくとは思えないな、と。出ていかれた、とか」

「うーん」

「でも、まあ正直そんなに興味ないかな。もう行くこともないだろうし」

 陽輝はたまに、びっくりする程冷たい事を言う。何だか悲しくなってしまうけど、人と比べて、俺がお節介すぎるのかもしれない。

 その後二人で、何軒かカフェを見て回ったり、この辺りの住宅の雰囲気を見たりしたのだが、あの定食屋の事が何となく気になってしまい、俺の頭の中を圧迫していた。

(また今度、時間を見つけて行こうかな。もしかしたら、奥さんは今日だけ休みだったのかもしれないし)

 思い出の中のあの店の様子をまた見たいと思った。なんだかあのおじさん、一人で寂しそうだったから。


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