それから二日後の夕方。陽輝と俺の二人は、彼の家に招かれた。ブザーを鳴らすとお手伝いさんに対応された。廊下を歩きながら、ちらちらと目に入る室内は外装に劣らずおしゃれで、少し見とれてしまう。さすが、会社社長の家。一介の大学教授の家とは違うな(マンションとはいえうちは賃貸だ)
コンコンコンとお手伝いさんがノックをし、中の人物に声をかける。
「旦那様。お二人がいらっしゃいましたよ」
通された部屋は、他の部屋と家具の雰囲気が少し違って、何というか生活感が削がれているように感じた。
(ここは応接間か。当たり前だけどちゃんとしてる。
「お久しぶりです」
中で待ち受けていた人物……陽輝のお父さんに、俺も会釈をする。
「まあ、座りなさい。月島さんも」
初老の男性は、ゆっくりとした動きで向かい合った椅子を手で指した。
こんな時の日本での作法がわからない。とりあえず失礼が無いように、陽輝に従うことにした。座るときに失礼しますと言った方が良いのかと思っていたが、陽輝は無言で座った。俺も曖昧に会釈してそれに続いた。
しばらく、互いに無言が続く。気まずいそれを破ったのは陽輝だった。
「それで。本日は、どのような用件でしょう」
冷たい声。怖い。
俺の不安をぬぐうように、彼は俺の手を握った。良かった。いつもの優しい陽輝だ。その様子に、『安心しろ』と言われているような気がした。
「これと言った要件がなければ、失礼させて頂きますが」
「まあ、待ちなさい。そう性急になるな」
またノックがあり、お手伝いさんがお茶を運んでくる。彼女が退室すると、ようやくお父さんは話を切り出した。
「陽輝。この二日間、どうだった。元気にやっていたか」
「どうといわれましても、特に何も変わりはありません。そんなつまらない事を話させに来たんですか」
「変わらず……か。成程な」
要領を得ないやり取りに、陽輝は少し苛立っているように感じた。お父さんの感情は、よく分からなかった。
「月島さん」
「は、はいっ」
相手を観察していたら、急に話を振られてどきっとした。
「君は、陽輝のどこに惚れたんですか」
「えと、優しくて、かっこよくて、俺のために……何でもしてくれて」
「具体的には?」
「えっと……」
「ちょっと、和也を困らせないでください!」
「お前に聞いていない。私は、彼と話しているんだ」
圧力をかけられて緊張してしまい、言葉が出なくなってしまった
(どうしよう……ちゃんと、答えないと……)
頭が真っ白になり、沈黙してしまった俺を見て、お父さんは小さくため息を吐いた。
「申し訳ないが、惚れた者のことも語れないようじゃ、息子は渡せません。お帰り下さい」
「あっ、そんな……」
「何なんですか、圧力かけて試すような聞き方して……!」
「お前に聞いていないと言っているだろう。陽輝。お前も意地を張っていないでもう帰ってきなさい。お前が勝手に休んだせいで、部署の皆に迷惑がかかっているのが分からないのか」
「辞めるって言ってるじゃないですか! 何で分からないんだ! この頑固おやじ!」
「何とでも言いなさい」
(あわわ、修羅場だ……俺がちゃんと答えられなかったせいでこんなことに……)
何とかしなければと思い、見切り発車に声を出した。
「あ、あの!!」
二人の視線が、こちらに向く。
「……お手洗い、借りてもいいですか」
陽輝の家はトイレもキレイだった。よく掃除されていている。きっとあのお手伝いのおばさんがピカピカにしているんだろう。
(最悪だ……このタイミングでトイレに行く奴いないよ。絶対変な奴だと思われた)
この個室から出たら、帰らなくてはいけなくなるだろう。かといって、ずっとここにいるわけにもいかない。仕方なしに手を洗い、トイレを出る。二人の様子が心配だし早く応接間に戻ろうと思ったのだが。
「あれ、どっちだっけ……」
最悪も最悪。どうも迷ったようだ。
「……まずいな」
適当な道を進んだつもりなのだが、確実に見たことない景色になってしまった。意を決して「あのー」と声を出してみた。結構響いて自分の声の大きさに驚いた。
「すみません! どなたか……」
「あら、貴方は……」
「え」
声のした方向を見れば、俺達を応接間まで案内してくれたお手伝いさんが、部屋から顔を覗かせているではないか。
「どうされました? お部屋はあちらですよ」
そう言い俺の歩いてきた方向を指さした。
「すみません。お手洗いから帰る途中で迷ってしまって……本当にありがとうございます!」
大きく頭を下げ、道を戻り始めた俺を、思いがけずお手伝いさんは呼び止めた。
「貴方が、坊ちゃんの彼氏さんですか?」
「え、はい。そうですけど」
俺の回答を聞くや否や、お手伝いさんはきゃーっと若者のようにはしゃぎ、続けた。
「私、坊ちゃんがこーーんな小さな頃からここで通いで働いているんですけどね。高校生の時に何だか揉めていて……私心配で……旦那様は厳しくていらっしゃるんだけど、あれでも本当に陽輝坊ちゃんを大事にしていて、奥様は……」
「あの!……もう行ってもいいですか?」
お手伝いさんは「あら」と気が付いたようで、やっとマシンガントークが止まった。
「ごめんなさいね。私、とにかくおしゃべりが好きで……こほん。とにかく、坊ちゃんの事、よろしくお願いします。今、お土産に頂いたケーキを持っていこうと思っていたところでして」
「ああ、そうなんですね……あの、ちょっと、今空気悪いかもしれないです。俺のせいなんですけど……」
先ほどの事をかいつまんで話すと、「あらあら」と彼女は困った様子を見せた。
「何とかしたいけど……もう認めてもらうのは難しいのかもしれないです。家族なのにこんなに気持ちが通じないなんて……」
思わず心の声が転がり出る。
「そうね……でも、家族だからこそ、期待して甘えてしまうのかもしれないわね」
「え?」
彼女は少し考える様子を見せ、続けた。
「奥様……陽輝坊ちゃんのお母様が、どんな方なのかご存じです?」
「いえ、お父さんのことは何となくわかるんですけど」
「奥様は病弱でいらして、あまり外に出られないんです。その分陽輝坊ちゃまを大層かわいがってらしてね。それこそ、依存と言っても良いくらいに……」
依存、という言葉に、俺の心臓が、つきんと痛んだ
「だから、旦那様がお二人の交際にそこまで反対なさるのは、きっと……」
「田辺さん」
お手伝いさんの身体が反応する。近くの部屋の中から現れたのは、知らない女性。ウエーブした長い黒髪がキレイだ。
「楽しそうね。一体何の話をしてらっしゃるのかしら」
「お、奥様」
奥様……ということは、このひとが陽輝のお母さんか。
「田辺さん。キッチンのケーキを早くお客様にお出しして」
「は、はい」
お手伝いの田辺さんが俺の方をチラリと見て、先ほど出てきた部屋に戻っていく。俺とお母さんの二人が残された。
「貴方が、『和也』さん?」