水分を摂り夕方まで横になっていたら、だんだん起き上がるのが苦でなくなってきた。ママが、体温計を確認すると熱もだいぶ引いていたようだ。
「良かったあ。まったく、頑張りすぎて倒れちゃうのは子供のころから全然変わってないのね。一体ドイツでどうやって暮らしていたのかしら」
「まあ、それなりに。何回か倒れて、その度に助けてもらっていたよ。みんな優しくて本当に助かった。もう一つの家族って感じ」
「ねえ。こんな機会だから、あっちでの話をもっと聞かせて? あなたがどんなことを学んで、どうやって暮らしていたのかきになるわ」
「ふふ、いいよお」
すると、連絡SNSの通知が鳴る。確認すると、陽輝からだった(ちなみに、実さんからたくさん連絡が入っていたから今ブロックした)
「陽輝が、今から来ていいかって」
「あらあら、いいじゃない。改めて昨日のお礼も言いたいし!」
「『ありがとう、いつでもどうぞ』と……」
寝ながら返信を打つ。すると間もなくオートロック前のチャイムが鳴る。
「え?」
「はいはーい……あら陽輝くん! 早いのね。どうぞー」
ずいぶん早い。もしかしてマンションの前で連絡したのかな。
少しすると、今度は玄関チャイムが鳴る。開錠の音を遠くに聞く。陽輝が俺の部屋までやって来た。
「和也。具合はどうだ?」
「陽輝……もうだいぶいいよ。昨日は運んでくれたみたいでありがとう。びっくりさせてごめんね」
「大丈夫」と、彼がベッドの前に座る。母さんが麦茶と何かお菓子を持ってきた。
「身体起こせる? 陽輝君がね、クッキー持ってきてくれたの。他にもおかゆとかたくさんくれたのよ」
「わあ、そんないいのに。何かごめんね」
「いや、具合悪いときはお互い様だし。クッキー俺も食べたかったから」
「陽輝くん、昨日は本当にありがとうね。お仕事に支障は無かった? 急に遅くなっちゃって、おうちの人心配したんじゃない?」
母さんのその言葉に、どうも陽輝は顔を曇らせた気がした。
「その事なんですが」
居住まいを正して、彼は言葉を一度切って、続けた。
「親とは昨日、縁を切ってきました。近々会社も辞めることになります」
その言葉にはさすがに度肝を抜かれた。
「え? 会社って、陽輝のお父さんの会社? え、家出たの? 何で……」
「もちろん、和也と一緒になるためだよ。前々から、説得は難しいかもしれないと思っていて。昨日話の流れで」
「何で急に……俺に相談もなしに!」
「いや、良いんだ。お前と一緒になるためなら、全部捨てる覚悟を決めたから」
「そんな……」
正直、俺のせいで、陽輝の家族がバラバラになってしまったと感じた。罪悪感に言葉を紡げないでいると、ママが話し始めた。
「ごめんね。二人は大人だから、本当は口を出すべきじゃないんだけど、もう一度だけ、親御さんと話をしない? 必要なら私も間に入るから……縁を切るのはそれからじゃダメ?」
「……どうせ結果は変わりませんよ。父さんは一度決めたら考えを覆さない。もういいんです。もう、他人ですから」
「そうか……わかった! ごめんね、口出しして」
「ママ……!」
「陽輝くんが強い意志で決めた事なら、私はこれ以上言えない。ただ、ちょっと会ってみたかったかなあ。二人の前に立ちふさがるラスボスがどんな人だったのか」
「父さんは、俺にとって大きな存在でした。俺より背も小さくて体格も細くて、でも、とても大きなものを背負っていて……ああ、結局、俺は面倒なことから逃げたんですね」
「陽輝……」
思わず、俺は彼の手をとっていた。
「俺と一緒になるために、やってくれたんでしょ? いいよ、俺が許す!」
「和也」
「それに、何年か経ったら、仲直りできるかもしれないじゃん。たまには逃げていいんだよ。俺も一回陽輝から逃げたし……」
「そう、人の縁て案外簡単に切れないの。さ、クッキー食べよ!」
涙ぐんでクッキーを手に取る陽輝。「泣いてるー」とからかうと、「粉が目に入ったんだよ」と小突かれた。
クッキーをあらかた食べ終わり、俺のドイツでの暮らしぶりや、これからの事など他愛ない話をして過ごしていたとき。通知音が鳴った。
「多分俺だ」
陽輝がスマホを取り出す。画面を確認すると、その顔がさっと緊張した面持ちに変わる。
「父さん……」
「え、お父さんから? なんて」
少しためらうような様子を見せると陽輝は、メールの文面を読み上げた。
「話がしたいから、家に来てくれないか。って。和也も一緒に……」
「俺も?」
「……和也は、どうしたい?」
「それは、俺のセリフ。どうする? 行くの?」
彼は迷っているようだった。メールを無視して、遠い町に二人で行くこともできるだろう。でも、このまま家族とケンカ別れしたままでいて気にならないほど、彼の性格が悪くないことも俺は知っている。
「陽輝。行こう? もしかしたら、𠮟りつけられて勘当されるかもしれないし、俺も嫌な思いをするかもしれない。でも、でもさ……家族なんだよ。俺のパパみたいに、会いたくても会えないわけじゃない。会えるうちに会わないと、きっと後悔する」
俺の言葉を聞いて、少し考える様子を見せた陽輝は、僅かにうなずいた。
「行こう。でも、話の流れによっては、決裂することも覚悟してくれ」
「うん。陽輝と一緒なら、俺はどこでも行くよ」