次に見えた景色は、俺の部屋の天井だった。明るい。朝?
「あれ? 俺……」
確か、陽輝を見送って……寝ちゃったんだ。てか、頭痛い。起き上がろうとしても、身体が重くて言うことを聞かない。やっとのことで身体を起こすと自室のベッドに移動していることに気が付いた。
「ママー? いる?」
ベッドの上から呼んでみる。静寂。どうやら家には誰もいないようだ。声を出したら頭痛が増した。
「スマホ……」
のろのろと身体を捻り、発見したスマホで時間を確認する。
「十四時……? マジか」
SNSにはいくつか連絡が入っていた。近くのコンビニのクーポン、実さんの謝罪……これは無視して……陽輝からのメッセージも入っている。
『具合はどうですか。俺も仕事終わったら見舞いに行くから、ゆっくり寝ていてください』
何で陽輝、俺が倒れたことを知っているんだろう。わからないことばかりだ。
『追伸、今回は良かったけどスマホのロックは誕生日以外の方がいいかも』
「なんの話?」
と、玄関から開錠の音がする。ビニール袋のガサガサという音と共に、足音がこちらに向かってくる。
「あ、和也! 良かった起きた」
「ママ」
「あんた急に意識無くして、もおびっくりした! 心配した!」
持っているビニール袋の中身は、二リットルのスポーツドリンクと、缶詰だろうか。そんなものがいっぱいに入っていた。
「ごめん。何か疲れてたのかな。起きる起きる」
「いや、まだ寝てなさいな。どうせまだ熱下がってないでしょ」
そう言われて、半ば無理やり寝かしつけられてしまった。
「でも、俺、図書館行きたい」
「ダーメ! しばらくは起業準備禁止!」
「ええ……」
ママは困ったように眉を下げて、「昨日大変だったんだから」と続けた。
「和也のスマホから、陽輝くんに連絡して来てもらったの。あの子飛んできたわよ。しっかり寝る! 食べる! 出す! が今のあんたの仕事。ほら、さっさと目エ閉じる!」
どうも迷惑をかけてしまったようだ。言われた通りに目を瞑る。
「ママ。ありがとう……ごめんね」
「いいの。誰も怒ってない。ママ、今日は一日家にいるから、何かあったら呼んでちょうだい」
和也の家から出た後。丁度オートロックの出入り口から出ようとしたときに、電話がかかってきた。和也のスマホからで、声の主はお母さんで。
「ちょっと戻って来れる? 和也具合悪くなっちゃって……」
急いで戻ると、和也はぐったりしていて、酷く狼狽してしまった。
「そんな……和也!」
「熱もあるし、働きすぎね。だから言ったのに……とりあえずベッドに運ぶの手伝ってくれる?」
「き、救急車とか呼ばなくて大丈夫なんですか?」
「とりあえず様子見かな。この子微妙に身体弱いから、頑張りすぎるとすぐ熱出ちゃうの」
お母さんの話では、次の日には良くなることが多いらしい。熱を出しやすいなんて、知らなかった。確かに思い返せば、和也はたまに学校を休んでいたような気もする。彼をベッドに運び終わると、お母さんが麦茶を出してくれた。
「ありがとうね。陽輝くん」
「いえ……お茶、頂きます」
「今日は、一緒に遠出したんだよね。和也疲れちゃったのかなあ」
違う。やっぱり無理していたんだ。あんなことがあって……俺に気を遣わないでよかったのに。
「……陽輝くん。言いたくなかったら大丈夫なんだけど、今日何かあった?」
俺の様子から察したのか、お母さんは探るような様子でそう問うた。
「どうして、そう思うんですか」
「だって、陽輝くん手怪我してるし、和也は倒れるし。まあ、もう大人だから干渉しない方が良いかなって思ったんだけど、やっぱり気になるよ。母親だもん」
迷ったが、今日起こった事をお母さんに伝えた。もちろん表現を選んで。
「だから、和也さんには怖い思いをさせてしまって。俺がついていながら、大切な息子さんを危険な目に合わせてしまいました。本当に、申し訳ありません」
お母さんは俺の話が終わるまでそれを黙って聞いていた。そして、俺が話し終わると「そっか」と一言呟いた。
「陽輝くんが、守ってくれたんだね。良かった」
「でも、結果的に和也は倒れてしまったし、俺はやっぱり、頼りないのかもしれないです」
「いや違うよ。あの子は、陽輝くんに迷惑をかけたくなかったんだと思う。それも多分無意識に。片親がいないことで、辛いこと沢山あったハズなのに、一回も言葉にして辛いって言わなかった。ねえ、陽輝くん……」
お母さんは、真剣な顔をして、こちらを見据えた。
「和也のこと、ずっと見ててあげて? 陽輝くんになら、私あの子を任せられる気がする」
俺は迷わずにうなずき、そして同時に、覚悟を決めた。
(和也には悪いけれど、俺も、覚悟を決めなければ……)
その後、深夜の一時過ぎにタクシーで俺の家の前に到着した。
玄関を開錠しそっとドアを開けると、リビングの方からわずかに、女性のすすり泣く声が聞こえた。
「こんな時間まで帰って来ないなんて……ねえ、あなた。やっぱり警察に連絡すべきよ! きっと、凶悪な事件に巻き込まれているんだわ!」
「少し落ち着きなさい。陽輝ももう大人なんだ。じきに連絡が来るさ」
そういえば突然のことで慌てていて、家に連絡をするのを忘れていた。今更そのことに思い至り、リビングへと歩を進めた。
「父さん。母さん」
「陽輝! ああ良かった無事で!」
「ごめんなさい、母さん。連絡もせず帰りが遅くなってしまって。」
「いいのよ。さあ、シャワーを浴びていらっしゃい。ああ、お腹空いてない?」
「夕飯は食べてきたから平気」
母さんは、俺の姿を見て心底安心したようで、笑顔を浮かべていた。反対に父さんは険しい顔を崩さなかった。
「陽輝。何があったか、説明しなさい。お前はわが社の跡取りになると言っただろう。あまり勝手な行動を取られると困る」
「その件ですが、大事な話があります」
そうして、俺は、父さんに向き直り、思い切り頭を下げた。
「会社を、辞めさせていただきます」
頭を下げている為に父さんの顔は見えない。さあ、どう来るかと身構えていると、しばらくして、父さんは「それで」と呟いた。
「それで。会社を辞めてどうするんだ。まさか、例の彼と共に会社を立ち上げようだなんて、甘いことを考えているわけではないだろうな」
「その通りです」
頭を上げると、父さんは難しい顔をしていた。大きくため息を吐く。
「拒否すればどうせまた、『死ぬ』とかなんとか言って父さんたちを困らせるのだろう。いい年なんだ。そういう子供じみた真似はもうやめなさい。大体、起業の何割がうまくいくと思っているんだ。既にある地盤を引き継ぐだけでも大変なのに、ゼロから立ち上げる苦しみがお前にわかるのか。お前にその覚悟はあるのかと聞いているんだ。わかったら、支度をしてもう寝なさい」
言いたいことを言い終わったのか、父さんが、俺に背を向ける。今までの俺だったら、謝罪をして、また親の敷いたレールの上に戻っただろう。でも……
和也の笑顔を思い浮かべた。大丈夫だ。まだ折れない。
「俺の意思は変わりませんよ。この家も出ていきます。和也と一緒になる邪魔になるなら、二人とは縁を切ります」
「陽輝、何の話をしているの? まさか、あの男の子とまだ会っているの? ねえ、陽輝?」
「母さん、少し静かにしていてくれ……陽輝。お願いだからあまり困らせないでくれ。大した覚悟もないのに、縁を切るなんて簡単に言うもんじゃない」
「覚悟はあります。父さんが了承しなくても、勝手に出ていくまでです」
ぐっと拳を握り、父さんをまっすぐに見た。今までずっとこの人が怖かった。でも、でももっと怖いことがあるのを知ってしまったから。和也と共に生きて、彼を守ると決めたから。
「明日、退職届を上司に提出します。この家も荷物をまとめたら早いうちに出ていきます」
踵をかえし、自室に向かおうとすると、「陽輝」と父さんに呼び止められる。
「では、今日、今すぐにこの家を出ていきなさい。もうお前の顔を見たくない」
確かに、荷物を持っていこうとするのは自分勝手すぎるかと、承諾して出ていこうとしたら、「鍵を渡しなさい」と言われた。
「他人に家に入られたらたまったもんじゃないからな」
「ちょっと! 陽輝がかわいそうです」
「母さん。黙っていなさい」
「はは……」
他人、か。ついさっきまで親子だったのに。案外簡単に切れるんだな。人の縁て。
「それなら、仕事の資料が自室にありますから明日から会社にも行きません。いいですよね。それと、今日まで育ててくれた事本当に感謝しています」
鍵を渡して、今度こそ玄関に向かい、外に出た。カチャと鍵が閉まる音を確認する。大きく家に一礼し、歩き出した。これからどうするかは、全く考えてなかったが、とりあえず今日はビジネスホテルにでも泊まろう。