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第9話 和也のママ

当初の予定では店で食事をした後に街を観光する予定だったのだが、疲れているだろう和也の事を考えて地元に直帰することになった。

和也の家に着いた。高校生の時にあれだけ探しても見つからなかった和也の家はとあるマンションの三階だった。

(何かあった時のために、場所を覚えておこう)

 そう考えていたら、予想に反して家の中に招かれた。

「今の時間だと、まだ母さん帰って来ないから。上がって」

「ん、じゃあ、お邪魔します」

まあ、このまま帰っても今日は休日だし、これと言ってすることもない。玄関を抜けると、リビングキッチンがありそこの机の前の椅子に座るように言われた。

「麦茶しかないけど、どうぞ」

 しかし改めて、拳を怪我していると生活に支障が出ることが多すぎる。ここまで帰ってくる道すがらの電車移動車を俺が運転すると言ったのだが、和也に、悪いよと断られたは、まあよかったのだが、その後、物を鞄から取り出すだけでもひいひい言いながら帰ってきた。名誉の勲章だが、さて家族や会社の人間にどう説明しようか。

「陽輝。傷を見せて」

「え? ああ」

両の手の甲を上に向けて和也に差し出す。無言でするすると、手のひらで包むように撫でられて、何だか気まずいと恥ずかしいがないまぜになった感情を抱えることになった。

「……痛そう」

彼がポツリとそうつぶやいた。

「後でちゃんと病院に行ってね。絶対だよ」

「いや、このくらい問題ないよ」

「ダメ。行くの。ばい菌入ったら怖いんだよ?」

和也はそう言ってわずかに顔を歪めた。

「ありがとう。陽輝。もう一度それだけ言いたかったんだ。」

 こんなに近くにいるのに、何だか彼が遠くに感じて。俺の手から離れて引っ込んでいく手を、少しだけ力を込めて握り返した。

「あ、ダメだよ、手痛いでしょ?」

「うん痛い。でも、和也が気に病むことじゃない。あの男を殴ったのも、俺が勝手にやった事だから。お前は何も気にしなくていいんだ」

 そして了解を得て、身体を寄せた。

「よしよし。怖かったな」

「うん……もうちょっとだけ、くっついてたいな」

「いくらでも。俺は和也の彼氏だからな」

「えへへ、かっこいいー!」

そんなことを話していると、突然ガチャリと玄関の方から開錠の音がする。二人とも反射的に身体が跳ねた。

「わっ!」「いっで!」




「和也あ、ただいまー! 新商品の梨のチューハイ買ってきたよお!」

 現れたのは、ママだった。

「……あれ? お客さん来てたんだ。ごめんねえ」

「ま、ママ、何か帰ってくるの早くない?」

「たまには愛息子と晩酌したくてさあ。超特急で帰ってきちゃった」

 その割にはやけに陽気だ。そのことを指摘すると、「一杯だけ流し込んできた!」と笑っていた。

「あ、二杯だ。隣の席のおっちゃんに一杯奢ってもらったんだあ」くるくると回り、何か歌を歌いながら、アイランドキッチンの闇に消えていった。

「ごめんねなんか、こんなんで。普段はもう少し落ち着いてるんだけど、酒が入るとこうなっちゃって……」

「ああ、いや……ちょっと驚いただけ」

ママが帰ってきたからか、ダックスフントのジャムが奥の部屋からやってきた。この前ご飯を与えなかったせいで俺が帰ってきても、全く迎えてくれなくなってしまった。

「うわ、びっくりした! 犬いたんだ」

「うん、実はいる。そういえば大丈夫だった? アレルギーとか」

「多分大丈夫」

会話の内容を理解しているのか、していないのか、ジャムは陽輝に興味を示すように足先のにおいを嗅ぎに来た。

「ジャム、陽輝だよ。俺の彼氏!」

前々から思っていたが、ジャムは俺のことを微妙に下に見ていると思う。その証拠に「フウン」と曖昧な返事とも取れる声を出し、ママのいるキッチンへと歩いて行ってしまった。

「もう、ジャムー……めっちゃどうでもよさそうじゃん」

「まあ、犬だしな」

「あらあら、ジャムちゃーん! 一緒にお酒飲む? 飲もうか!」

 飲まないと思う。

 陽輝がふっと吹き出した。

「ごめん……何か、カオス空間過ぎて……」

どうやらツボに入ったらしく、しばらく堪えてはまた笑いを繰り返していた。

「マジでごめんね……これが今の我が家です」

「いや、違う。何ていうか、ちょっと羨ましい。親と友達みたいに話して、それで一緒に酒を飲むんだろ? 俺の家ではそんなのありえないからさ」

 そう彼は口にしてから、少し気にしたようで「いや、うちではそうってだけ。気に障ったらごめん」と付け加えた。

「いや、ぜんぜん気にしてない。陽輝のお母さんは、どんな人なの?」

「そうだな……俺のことを一番に考えている、と本人は思っているらしい」

 目線を下げて、言葉を紡ぐ陽輝。

「実際は自分の事ばかりで、全然俺の事なんて考えちゃいない。それは父さんだって同じだ」

「そっか。何か、辛い事聞いちゃったかな」

「いや。いつかは話さなきゃいけないと思っていたから」

 そう言って、彼は急に真剣な顔で、俺を見据えた。

「和也はさ、俺の家族との繋がりも大事にしたいんだよな」

あまりに真剣な顔でいうものだから、少し気圧されてしまった。

「陽輝……どういうこと? 何が言いたいの?」

 彼の真意を問おうとした時だった。キッチンから、ジャムを連れたママが現れたのだ。

「和也、新作飲むでしょ? お友達も。お酒飲める?」

 陽輝は「すみません。お邪魔してます」と、ママから缶チューハイを受け取った。

「ごめんなさいねえ。この種類二本しか買ってなかったから、別のしかなくて」

「いえ、こちらが勝手にお邪魔しているだけなので。すみません、頂いてしまって」

彼は一体何を言おうとしたのか。気になったけど話が切れてしまった、仕方がないからまた後で聞こう。

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