机に隠れてよくは見えないが、誰が何をされようとしているのか一瞬で理解した。今度こそ、完全にキレた。もう感情を抑えることが出来なかったし、その必要もないと感じた。
ハーフ丈パンツを下した間抜けな格好の男に走り寄り、鼻っ面目掛けて思い切り右の拳を繰り出す。クリティカルヒット。床に倒れ伏した男に馬乗りになって、左右の拳を順に当てていく。
「はるき? 陽輝! ちょっと待って!」
待たない。こいつだけは許さない。どんな犠牲を払ってでも、地獄へおくるんだ。
「俺の、和也に! 何を、して、るんだ!!」
「陽輝! 何もされてない! まだ何もされてない! 実さん死んじゃうよ!」
「こんな奴の名前呼ぶな!」
「だって……陽輝が、犯罪者になっちゃう……うわ!」
「和也?!」
声に振り向くと、どうやら動いているうちに椅子からずり落ちたようで、柵に拘束された腕のみで支えられた変な体勢になっていた。
「陽輝助けてえ」
とりあえず支えようと伸ばした手が視界に入り、ぎょっとして我に返った。殴った際のケガなのか、男のものなのか鮮血で真っ赤に濡れている。
「うあ……血が……」
「陽輝、大丈夫? もしかして血見られないタイプ?」
「……うん。倒れそうだ」
「絶対倒れないで! 状況説明する人がいなくなっちゃう! とりあえず俺の紐切って!」
「わ、わあ……手がペタペタする……切れない……」
最後は厨房の包丁を拝借した。血まみれの状態で刃物を握っている姿を誰かに見られたら、やばいなと思いながらも何とかビニール紐を切ることに成功した。
本日二回目の傷の手当てを終えると、陽輝がおもむろに床に正座し、土下座の体勢をとった。
「え! な、何してるの?!」
「ごめん! 怖い思いさせて。危ないって分かってたのに、二人きりにした……」
「そんな……俺がちゃんと話聞かないで、一方的に陽輝が悪いって決めつけたから。俺こそごめん!」
陽輝が何か言いかけて口をつぐむ。見下ろす形で顔が見えないが、鼻をすするような音がした。泣いているのか?
「……俺も、怖かった。和也が、ひどい事されそうになって……俺のせいで……守りたいって、もう辛い思い、絶対にさせないって決めてたのに……」
「陽輝……」
彼は何にも悪いことをしていない。悪いのは陽輝を信じられなかった俺なのに。
「頭上げて? 確かに怖かったけど、俺は大丈夫だよ。この通り、ケガもしてないし。それに『俺の和也』って言ってくれたの、嬉しかったよ! だから、本当に大丈夫……」
「和也……ごめん……」
「もお、号泣じゃん。よしよし……」
抱きついてきた陽輝の頭を撫でると、子供のように声を上げてまた泣き出した。何だかこっちの涙は引っ込んでしまった。自分より慌てている存在を見ると、恐怖が無くなるのと同じ理論だこれ。
「あの、出来たらこっちも手当お願いしたんですケド……」
顔を腫らし、ビニール紐で縛り上げられた実さんが、居心地悪そうに声をかけて来る。
「えと、待って下さいね。今はちょっと忙しいかも」
「和也。こいつはこのままでいい……おい!自分でできるだろう?」
陽輝が歯をむいてガルルと唸る。
「手当だけはしてあげようよ。ばい菌入ったら大変だし……」
「仕方ない。じゃあ俺がやる」
陽輝が救急箱を手に取り、見るからに怯えている実さんへと向かっていく。
遠くてよく聞こえないが何か話しているようだ。
「あ! いたい! 分かったから、乱暴にしないで!」
しばらく見ていると手当が終わったようで、陽輝が立ち上がり、振り替える。こちらへ歩き出そうとしてから「あ、そうだ」とまた、実さんへと向き直り、彼に何か囁いた。みるみる実さんの顔がこわばっていく。こちらに戻ってきた陽輝は、何だかスッキリした顔をしていた。
「何話してたの?」
「いや、和也にしたこと黙ってる代わりに、お前も傷は階段かなんかで転んだことにしろって。足りなかったらサービスするぞって話」
ニコニコしながら指を鳴らす陽輝。そういえば、彼は空手を習っていたな。
「う、うん……あとは? 最後に何か言ってなかった?」
「それは秘密」
俺は知りたがりな方だが、世の中には聞かない方がいいこともありそうだ。乾いた笑いを浮かべながらも、恋人がこんなに怒ってくれたことが嬉しかった。
「じゃ、帰ろうか。和也」
「うん。陽輝」
「待って、流石に縄は解いていってよ!」
実さんの悲痛な叫び。陽輝が「拘束プレイが大好きみたいだからサービスしときますよ。さようなら、良い一日を」と言って先に歩き出す。それに続いて俺も歩いて行った。
(……後で連絡先ブロックしとこっと)