陽輝の様子が何だか変だ。さっきから実さんにやたら食ってかかるような態度を取っている。お手洗いを借りた後、手を洗いながらも頭にはハテナマークが浮かんでいた。
(気分転換になればと思ったんだけど、やっぱり人見知りしちゃったのかなあ。悪い事したかも)
思えば、小中高校と陽輝はグループでの行動よりは、一人で行動する方が多かったように思う。俺には優しくてかっこいい姿を見せてくれるけれど、他の友達もそんなにいなかった。というか全くいなかった。
(内向的というか、シャイなんだよなあ。もう少し話を聞きたかったけど、早めに帰った方がいいかなあ)
手をぬぐいながら、そんな事をぼんやり考えていた時だった。ガシャンと個室の外から大きな音がした。まるで陶器が割れるような音。次に男性の怒鳴る声。陽輝の声だ。すぐに彼の声だと分からなかったのは、こんなに声を荒らげたのを聞いたことがないから。
ただ事ではない雰囲気を感じて、急いで手洗いを出ると、陽輝がバーカウンターを乗り出して実さんの胸倉を掴んでいる所だった。
「なに……?」
机から落下して割れた皿。大きな音の正体はこれか。いや、そうじゃなくて。
歯をむき出しにし、怒りの感情を隠しもしない陽輝の様子は見たことのないもので、怖くて気圧されたが、とにかく仲裁しなくてはと言葉を発する。
「ど、どうしたの! 何があったの」
陽輝がこちらに目を向ける。その獣のような双眸にひやっと心臓が冷える。
「とにかく離して! 暴力はダメ!」
俺の言葉が届いたのか、彼は乱暴に投げるように手を離した。
「大丈夫ですか、ごめんなさい!」
恐怖から解放され、ようやく動いた脚。実さんは「あー、大丈夫大丈夫」と薄く笑っていたが、割れた皿で切ったのか、手のひらから血が出ているではないか。
「ああケガしてる! 陽輝、はやく謝って!」
とっさに厨房に入り、実さんに駆け寄る。陽輝はうつむいて不貞腐れているように見えた。
「もう謝ってよ!!……実さん大丈夫ですか? 本当にどうしよう……救急箱どこ……」
「……そんなに心配なら、そいつと一緒になればいいじゃないか」
陽輝がそう小さくつぶやいた。
「え?」
「どうせ俺は……」
そう口にして、言葉に詰まったようで、陽輝は悲しそうに眉を下げる。
「……ちょっと頭冷やしてくる」
そう言って出口へと歩き出す陽輝を止める言葉も見つからず、結局彼は店を出て行ってしまった。
その後、実さんの手に包帯を巻き、割れた食器を片付けてから、事情を聞くことにした。話によると二人で話をしていると、陽輝は急に実さんの胸倉を掴んできたらしい。
「驚いたけどさ。俺は気にしてないよ。多分、お前の前で良いカッコできなくてイライラさせちゃったんだと思う」
「そんな……でも、ケガさせていい理由にはならないですよ。本当にすみません。陽輝には俺からきつく言っておきます」
それにしても、あんなに怒るなんて。いくらちょっと嫌だったとしてもどうかしている。
(五年も経っているし、もしかしたら俺の知らない陽輝になっちゃったのかな……)
「ま、気にしない気にしない! そうだ。もっとビール飲む? 売るほどあるから」
「ふふ……売ってるじゃないですか」
「何か雰囲気悪くなっちゃったから、倍もらわなきゃ……なーんてね。彼もそのうち戻ってくるでしょ。一言あったらチャラにするよ」
「本当に、ありがとうございます」
心の広い人で助かった。お言葉に甘えて、ビールをもらうことにした。
カウンターにもたれて眠りこけた和也を、テーブル席へとお姫様抱っこで運ぶ。ゆっくり降ろすが、酒に混ぜた睡眠薬が効いているようで、簡単には起きなさそうだ。
「あーあ。簡単に人の出した飲み物飲んじゃダメだよ……ってね」
まあ店員が出した飲み物を疑う者はなかなかいないか。でも、こいつは人を信じすぎだ。たいしてしてリアルで話したことない人間の言う話を真に受けて、彼氏の言い分を聞いてやらなければ、それはこうなるだろう。予定通り彼氏くんは出ていったし、こいつが男もいけるならば話は早い。途中で起きて抵抗されても面倒だし、さっさと済ませてしまおう。
「まあ悪いようにはしないさ。和也、一緒に楽しもうな」
ムカついて思わず店を出てしまった。酒を飲んでいたとはいえ、あんな事で暴力沙汰にしてしまった。きっと和也が止めてくれなかったら、あの男を殴っていた。そうなれば一緒に暮らすどころの話では無くなってしまう。また助けられてしまった。
「クソ……」
しかし一人で帰るわけにも行かないし、それにあいつと二人きりにしたら変なこと吹き込むかもしれない。少し頭を冷やしたら店に戻らなければ。アイツは危険だ。
先ほどの、和也が手洗いに行っている間に行われた会話が、頭をかすめる。
「和也かわいいよね。何ていうかウブっていうか」
「は?」
「あっちで、和也連れてそういう店行ったことあるんだけどさ。あいつ、好きな人がいるからそういうサービスは受けないって……連れて行ったこっちの身にもなれってんだよ。空気読めないよな」
「ちょっと、何ですか急に……」
「しかしあいつ、色気出たよな。なあ、もうしたの? どんな具合だった?」
気が付いたら下卑た笑いを浮かべる奴の胸倉を掴んでいた。
(ああ、落ち着かない……胸糞悪……)
もう少し海岸を歩いてから帰ろう。
何だか意識がふわふわする。
(あれ、俺寝ちゃったんだ。やば……実さんにまた迷惑かけちゃう)
そうぼやつく頭で考えながら、目を開いた。
「ん……あたま痛……」
目の前に誰かいる。起き上がろうとして、違和感に気が付いた。何で俺横になってるんだ? 実さんが寝かせてくれたのかな。
「あ、やべ。起きちゃったか」
目の前の人物にピントが合う。実さんだ。やっぱり俺飲みすぎて寝落ちちゃったんだ。
「すみません……起きます……」
「いやいや、まだ起きなくていいよ。ってか、起きられないと思うし」
「え?」
おぼろだった意識が徐々にはっきりしてくる。手首を紐で拘束されていて、頭の上から動かせない。上着が脱がされていて、胸が露出している。
「え、え?何して……」
「わからない? そっか、もしかしてまだ彼氏としたこと無かったかな」
「なんで、冗談キツイ、すよ……」
「冗談だと思う? 安心してよ。お前もちゃんとよくするから」
「……待ってやだ……はるき……」
「来ないよ。シャッター閉めたし、鍵も掛けちゃった」
俺の目の前にわざと鍵束をぶら下げる実さんの顔は、俺の知らない顔だった。拘束を解こうと暴れる俺を背に悠々と鍵束をカウンターに置きに行く。
「俺、人のもの盗るの結構好きなんだよね。背徳感ていうか、ゾクゾクしない? 期待していいよ。俺結構うまいから」
「やだ、やだ! 陽輝……はるき!」
「うるさ。口も塞いじゃおうかな」
実さんが顔を寄せて来る。ああ、いやだ。怖い……!
(陽輝! 助けて!)
もはや目を閉じて震えるしか出来なかった。しかし、いつまで経っても何もされない。恐る恐る目を開いてみると、実さんが入口の方を見て驚愕の表情を浮かべている。
「な……なんでお前……! どうやって」