「父さん。お話があります」
自宅の父さんの書斎。戸を叩き、開口一番そう切り出したのだが。
「駄目だ」
「まだ要件を言っていないじゃないですか」
「今日会った彼との交際を認めてほしいという話以外なら聞くが?」
返す言葉が思いつかずに、黙ってしまう。沈黙を破ったのは父さんの方だった。
「……これまでお前に会社を継がせるために育ててきた。その彼との交際を認めれば、お前はこの家を出ていくと言いかねない。お前は社員全員を路頭に迷わせる気か」
「俺はまだ継ぐなんて一言も言っていない」
「いつまでも子供みたいな事を言うな。頼むからこれ以上父さんを困らせないでくれ」
父さんは頭を振り、椅子を回転させて俺に背を向けた。
「……昔からそうだ。父さんは勝手すぎる。どうしてそうやって一人で全て決めてしまうんですか。旅行先も、そこでの食事も……高校生のときの見合いの話だってそうだ。父さんも母さんも勝手すぎる」
書斎のドアを乱暴に開き、話を打ち切る。
「交際の件、諦める気はありませんから」
書斎を出て自室に戻るも、腹の中に重いもやもやが鎮座していてどうにも落ち着かない。枕を手に取り、顔を埋めて思い切り叫んだ。少し気持ちが治まったが、根本が解決していない為に、もやもやがまた湧いてきた。
この日が来るまでに、家を出るという選択肢を考えたことがない訳ではない。ただ、会社の一員になった今、次期社長候補の俺が会社の人たちを見捨て、自分だけ出ていくことが、悪に思えてならなかったのだ。結局父さんの思うように動いている自分に苛立ちを覚えた。
「俺は、どうしたら……」
すると、スマホが震えだす。そういえばマナーモードにしたままだった。表示されている番号は知らないものだ。今日のパーティの知り合いなら時間が遅すぎる。少し警戒しながらも受話器のマークをタップした。
「……はい」
「あ、陽輝……ですか?」
警戒して損した。電話の声の主は、今一番聞きたい人のものだった。
「和也! 何で俺の番号知って……」
「だって、あれから変えてないでしょ? よかったあ、かかって」
和也は、安心したように笑った。しかし少し沈黙し、声のトーンを落とした。
「ごめんね。陽輝。あの時、急に連絡ブロックして……」
「あ、いや。全然問題ない……いや、うん。俺こそごめん。その……」
しばらく二人でごにょごにょとした後、同時にふきだした。そして二人で笑いあった。まるで高校生の時に戻ったようで、それが嬉しかった。いつだって彼の存在は、人間関係が苦手で独りよがりになってしまう俺の人生を明るく照らしてくれる。
「……やっぱり、負けてられないよな」
「なんの話?」
「俺は和也を絶対に諦めないって話。必ず父さんを説得するから、今度こそ一緒になろう」
俺の決意表明に、彼は照れくさそうに笑って「うん」と答えてくれた。
「その話なんだけど、俺も決めたんだ。起業を成功させて、陽輝に見合うかっこいい男になって、お父さんに絶対認めてもらう!」
肯定を返し話を聞きながらも、正直驚いていた。
俺の知っている彼は、確かに感情が豊かだが、こんなにはっきりとものを言うタイプではなかったからだ。思えば会社を起こそうとしていることも、あの時の彼からは考えらえない自発的な行動だった。
「和也」
「なに?陽輝」
「本当に、今まで一人にしてごめん。強くなったな」
きっと彼は俺の知らない所でたくさん努力したのだろう。言葉も通じない知らない国で、一体どんな気持ちで暮らしていたのだろうか。いや、それ以前に俺に裏切られて、どんなに苦しかっただろうか。もしも逆の立場だったら、俺は耐えられただろうか。
「陽輝……泣いてるの?」
「いや、何でもない……なあ、今度会わないか? できれば今すぐにでも抱きしめたいくらいだ」
「もーなにそれ! かっこよすぎ」
その後。少し話をした後、会う約束を取り付けてその日の通話を終えた。一人になると、急に寂しさを覚えるものの、不思議と空虚な気持ちにはならず、腹の中のもやもやも消えていた。
(あいつも頑張っているんだ。俺は俺の為すべきことをする。父さんを説得する材料を探さなくては)
陽輝と通話をした次の日から、俺、和也は飲食店を出すために、また陽輝と一緒にいるために精力的に動いた。起業仲間との飲み会などでたまに帰る時間が遅くなってしまい、ママには心配されたけれど、一から会社を起こすんだから、多少無理をしなくてはやっていられない。
「大丈夫だよ。ありがとうママ」
ドイツで勉強したことを生かしておいしいチーズを使った店を出すことは、いつしか俺の夢になっていたからだ。彼と一緒にいられないと思ったあの日の感情は今でも忘れられない。新しい土地に縋るように移り住んだ俺を、ホストファミリーはあたたかく迎え入れてくれた。あの地で学んだ事を生かした店を出すことは、いつしか陽輝と一緒にいることと同じくらい俺の人生に深く根差した夢になっていた。彼らに恩返しをするためにも、努力は惜しまない。
そんなある日。調べ物で図書館に行く前に、公園でおにぎりを食べていた時のこと。コンビニで適当に選んだ具はシーチキンと塩シャケだ。
(あれなんか、どっちも魚になっちゃった。まあいいか)
喉に少し詰まった米を、緑茶で流し込む。平日の昼間だからか、公園には小さな子供とママさん達しかいない。眺めていたらふいに、自分が小さい頃……陽輝と初めて出会ったときのことを思い出した。
小学校の入学式でクラスが同じだったのが彼との出会いだった。当時、美容院が苦手で髪が長かった俺を、陽輝は女の子と間違えて声をかけてきたのだ。
「女の子はあっちの列だよ」
当時人見知りだった俺は、急に知らない子に話しかけられて怖いし、しかもどうやら女の子に間違われていて。それをうまく説明できずに泣いてしまった。
(でもそれから、なんやかんやで仲良くなって、高校までずっと一緒にいたんだよなあ)
しかし、俺が泣いたときの陽輝の慌てっぷりはおもしろかった。泣き出した俺を見て慌てたように周りを気にして、それから俺をぎゅっと抱きしめたんだ。後で聞いたら、うるさかったから口を押さえて音を消そうとしたらしい。
「ふふ、かわいいな」
「失礼。隣に座ってもよろしいでしょうか」
物思いに更けていた俺の意識を現実に戻した人物は、気が付けば腕を伸ばせば届くような距離にいてその近さに仰天した。
「わっ、えと……どうぞ?」
心臓が天高く跳ねたまま帰ってこないような感覚で、まだどきどきしている。他にもベンチはあるのに、わざわざ声をかけて隣に座ってきた人物を少しだけ不審に思い、恐る恐る観察する。初老の男性だ。高そうなスーツで、髪はロマンスグレーっていうのかな、きれいな銀を後ろに撫でつけた髪型で、最近俺は、こんな感じの人をどこかで見かけた気がして……
「あ」
思い出した。彼は陽輝のお父さんだ。
観察されているのに気が付いている様子の彼が、こちらの顔を見やる。切れ長のどことなく陽輝に似ているしかし冷たい目にまっすぐ見つめられ、居心地が悪くてこちらから目を逸らしてしまった。逸らしてから『しまった負けた』と感じて、もう一度彼の顔を見据える。
俺のそんな様子に、陽輝のお父さんはふっと笑った。
「そんなに構えないで結構ですよ」
よっぽど変な顔をしていたのか(多分実際そう)笑われてしまった。
「気が付いていると思いますが、陽輝の父です。せがれがお世話になっています」
「あ、いえ!そんなご丁寧に……」
頭を下げられ、慌ててこちらもお辞儀を返す。何だか、あのパーティ会場でのイメージよりずっと話しやすい。優しいおじいちゃんと言った印象だ。
(この様子ならもしかしたら、認めてもらえる?)
そう考え、口を開こうとした瞬間、彼の口から出た言葉に心臓が冷えた。
「貴方からも、なんとか陽輝を説得してくれないでしょうか。交際を辞めて、会社を継ぐ覚悟を決めてくれないかと」
「え……」
「もちろん、ただでとは言いません。出来うる限り貴方の望みを聞きましょう。例えば……起業資金の出資とか」
「いや、ちょっと待ってください!」
「決して悪い話ではないはずです。よく考えてみてください。今日はそれを伝えに来たんです。では」
一方的に投げかけられた言葉。半ば無理やり名刺を握らされた。お父さんは立ち上がり、停車している車へと向かっていく。声をかけることもできず呆けている間に車は出発してしまった。
周りを見れば、砂場で遊んでいた子供が、心配そうに呼ぶお母さんの元へとかけていく。無理もない。平日の昼間に成人男性が二人言い争っていたのだ。
(……今日はとりあえず、帰ろう)