呆けている間に会場を出て行ってしまった和也は、しかし廊下ですぐに見つかった。不安そうに壁にもたれ、俯いていた彼に近づくと、接近に気が付いた彼がゆっくり顔を向ける。
「和也!」
「陽輝……追いかけてきてくれたの?」
「そうだよ。俺の彼氏は、お前だけだから」
「本当にまだ両想い? 信じていい?」
「当たり前だろ」
抱きしめると、「ずっと会いたかった」と和也も手を伸ばしてきた。しかし少しすると離れようとする。どうやら野次馬が見ているのが気になるらしい。
「待って。場所変えよ……はずかしい」
確かに一理ある。浮足立っていて思い至らなかったが、社会人としては褒められた振る舞いではない。それは彼も同じだろう。
「ごめん……とりあえず名刺渡す」
「うん」
すると、俺達にまっすぐ向かってきた人物に声を掛けられる。
「陽輝」
後ろに撫でつけたロマンスグレーの髪に、オーダーメイドのスーツ。会社の社長であり俺の父親だ。
「そろそろパーティーが終わるぞ。この方は」
「さ、先ほど知り合って。今名刺交換を」
「お前に、知り合ったばかりの男性と抱き合う習慣はないはずだが」
「それは……」
父さんはため息を吐く。俺は彼の、この相手を威圧するような行動が苦手だ。このまま黙っていることもできずに、ついに和也との関係を話してしまう。それを聞くと父さんは少し唸り「帰るぞ」と一言言い放つ。
「パーティが終わると言っただろう。主催者に挨拶をするから、付いてきなさい」
「待ってください、父さん」
「外では社長と呼びなさい。今日はお前を紹介しようと思って連れてきたが、どうやら間違いだったようだな」
「社長。お願いします、彼ともう少しだけ話をさせてください。五年ぶりにやっと会えたんです」
「陽輝」
父さんが少し距離を詰める。決して大きな声を出されている訳ではないのに。俺より背も体格も小さいこの大きな存在に、昔から俺はどうしても逆らうことが出来ない。
「来るんだ」
「……はい」
俺の返事を確認すると、先に歩き出す父さん。後ろを見ると和也が、俺の背中の陰で不安そうに縮こまっていた。
「陽輝……」
また泣きそうな顔をさせてしまった。己の無力さが本当に嫌になる。
「迎えに行くから。絶対」
そう声をかけ、後ろ髪引かれる思いで彼に背を向けた。
家に帰るとママはまだ仕事から帰っていないようだった。
玄関で靴を脱ぎながら、俺を見てそわそわしているジャム(ダックスフント。俺がいない間に飼い始めたらしい)に「ただいま」と声をかける。帰り道のコンビニで買ったサンドイッチを食べようとキッチンの椅子に腰かけると、先ほどの陽輝の背中が頭をよぎった。
「陽輝に、また会えた」
そう口にすると、現実味が増してきて、ふふと笑みがこぼれる。俺が気になるのか、ジャムがしっぽを振りながら見上げてくる。
「ねえ。陽輝、かっこよくなってたよ。元気そうだった」
首をかしげるジャムに、独り言のように話し続けた「お父さんの会社手伝ってるんだってさ」「俺のことまだ好きだって」「落ち着いたら、連絡してみようかなあ」ジャムは「フン」と鼻を鳴らして踵を返す。
「あーあ。行っちゃった」
机にずるずるともたれ、突っ伏す。
「……会いたいな」
カチリと明かりのスイッチを入れる音と明かりで目が覚める。玄関には、ママが立っていた。
「うわ、びっくり。ただいまあ」
「おかえり。今何時?」
時計を見れば夜の十時。しまった四時間も、うたた寝してしまった。ジャムがママの周りをぐるぐる回っていた。
「和也、帰ってからジャムにご飯あげたあ?」
「あーそっか、ごめんねジャム」
「キュウン……」
ジャムがそわそわしていた理由に合点がいった。ご飯が欲しかったのか。アイランドキッチンの向こうから現れたママが、ウエットフードの缶を開けて皿にあける。みるみる消えていくドッグフードを、ただ何となく見つめていた。
「で、何か元気ない? 大丈夫?」
ママが机を挟んだ向かいの椅子に座りぷしゅっと缶を開ける、気が付けば、俺の前にも発泡酒の缶が置かれていた。
「え、何でそう思うの?」
ママは、黙って俺の顔を指さした。
「泣いてるよ」
ハッとして顔を触ると、確かに濡れていた。
「誰かにいじめられたなら、ママがぶん殴ってあげる」
冗談っぽい話し方ではあるが、前があるために心配そうに見えた。
「実は、陽輝に……高校生の時の彼氏にまた会えたんだ」
それから今日あったことを全て話した。ママは、俺の話を途中で遮ることなく、真面目な顔で聞いてくれていた。
「でも、陽輝のお父さんは、俺達の関係を認めてくれないみたい……」
「そっか。で? 和也はどうしたいの」
「どうって……また彼と一緒にいたいよ。でも、周りのみんなに認めてもらえないと一緒にはいられない」
「そうか、そうか。そうお考えか」
含みのある言い方をしてそれからママは、発泡酒をぐびりと飲んで続けた。
「でも好きなんだよね。陽輝くんのこと」
迷わずうなずく。離れていた期間を考えても、いや、会えなかった分余計に彼が恋しかった。正直、今すぐにでも電話したい気持ちだ。
「じゃあ、頑張らないとね。ママ応援してる。」