「和也あ!お帰りなさい」
空港に俺を迎えに来ていたママが、手作りの小さな旗を振っている。留学先のドイツに結局五年もいてしまった俺は選別した荷物を引きながら、久方ぶりの家族との再会を喜んだ。
「ママ、ただいま!」
「もう、全然帰ってこないんだもん! よっぽどドイツが気に入ったのね」
気に入ったというのは少し違うけれど、そこは曖昧にした。
彼との思い出がたくさんのこの街が俺には毒で、どうして彼がお見合いをしたのかはわからないまま、十年間、あんまり考えないように蓋をしていた。
「エアメールでも言ったけど、俺こっちで起業するんだ。明日からもう準備しないと」
「あらあら忙しいのねえ。少し休めばいいのに」
「何かしてないと落ち着かなくてさ」
慣れないスーツに着られ、ビジネスパーティーに挑んでいる。正直こういった堅苦しい所は苦手で、しかし人脈を作るには慣れておかないとなあとも考えていた。ドイツで勉強した酪農の知識を生かしてチーズの会社を立ち上げたいのだ。そのために人脈人脈と……
とりあえず主催者に挨拶を済ませたのだが、あとは何をしたらいいかわからず今はとりあえず、軽食を食べている所だ。
「あ、これうんま……」
と、すぐ後ろに背の高い男性がいることに気が付いた。まずい、独り言を聞かれてしまったようだ。
「ふふ、こっちの料理もおいしいですよ」
料理を指すために伸びた腕。ふわりと香水が香る。
(いい匂い。でも何だろう……それだけじゃない。何か、懐かしい……)
そこまで考えて、急に思いが巡り、ゆっくりと振り向く。見上げるほど大きな男性。髪型や纏う雰囲気は変わっていたが、見間違う訳がない。このひとは……
「は、陽輝……?」
あれから。
父親の会社に入り、毎日の仕事に追われるなかでも、置いてきた和也のことを忘れた日はなかった。五年ぶりに偶然出会った彼は起業するらしく、異国での生活や食べ物について楽しそうに話をしてくれた。
(良かった。やりたいことも見つかって、幸せそうだ。俺がいなくても平気なようだ……)
もやりとしながらも、それと同時に安心している自分もいた。幸せになってくれていて良かった。
「えっと……陽輝は、今は何してるの?」
「俺は父親の経営する会社に入った。まあ、なんとかやってる」
「そっか……俺もう行くよ。元気そうでよかった」
名残惜しい気持ちを殺し、和也を見送ることにした。彼はもう俺を必要としていない。十年も前の関係を気にしているのは俺だけで、今更友達にも戻れるとも思わないからだ。世間体を気にする親に反抗する事にも疲れたし、そろそろ潮時だろうか。
「あ、それと……奥さんと幸せになってね」
その言葉に、思わず彼を呼び止めていた。
「待って。俺、独身だよ」
「え? だってあの時お見合いしたんじゃ……」
「あんなの断った。俺とお前が付き合ってるの知られたみたいで、親が無理に……だって俺が好きなのはお前だけだったから」
口が滑った。流石に気持ち悪がられただろうか。
「……もちろん、今和也を追ったりしない。これだけ時間が経ったんだ。相手がいるだろうし」
「……いない」
「え?」
改めて彼を見やると、何故か泣きそうな顔をしていた。
「いないよお。だって、俺の彼氏は陽輝だけだから……」
あっけに取られる俺に涙交じりの笑顔を残し、彼は去っていった。
(何だよ。ということはまだ俺たち両想いってことか?)
追わなくては。そう思った。きっとまだ間に合う。和也を取り戻さなくては。