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第2話

「おいしい。やっぱりおばさんのアップフェルはこの国一番だわ」

「おや、国かい?」


 ハンスが目配せをしてくる。


「ううん、世界一よ。絶対。保証する」

「ははは。ケーテがそう言ってたと言っとくよ。わたしとしてはあまり伝えたくない言葉だがね。なにせ、その言葉を誰かが口にするたびにあれはやる気を充電するからな。

 次は何を仕入れて何を作り出すか気が気じゃないんだ。果物屋のジャンまでが調子にのってその日一番の果実だといろいろ勧めるし。中には黄色と緑のヘチマみたいなやつだの、赤とだいだい色の合いの子みたいなブツブツ肌のあやしげな異国のものまである。

 それらを使ってそいつが出来上がったとき、必ずしも子供たちがうちの周辺でとび回っているとは限らないからね。なのにわたしは店なんか開いてるばっかりに、逃げられないんだから。いつもはらはらのし通しだよ」

「そうね。でもいくらハンスのためでも、嘘はつけないわ。ごめんなさい」


 くすくすくすと笑って、フォークの背で切りとった大きめのやつを一口でほおばる。


「やれやれ。これだとおまえの誕生日のケーキは三段重ね間違いなしだな。二十歳ということに加えてその言葉だ。例年以上の力作になることは、あれを毎日見てるわたしが保証するよ。

 今朝もそれを焼いてる間中、昨年のように二段にしてケーテの好きな花の砂糖づけと果物で飾ろうか、それとも三段に挑戦するか悩んでいたからな。

 まあ、イブよりクリスマスの方が盛り上がるのは、うちぐらいのもんだろうよ」


 ずずずと音をたててハーブティーをすすって、ハンスはいかにもといった顔で首を振った。


「それがアップフェルならわたしはおばさんに賛成だわ。町にいる間にぜぇんぶわたしがたいらげてあげる。そうする自信あるもの。ちょっとふとっちゃいそうだけど。

 でも、トルテの三段って、ちょっと見た目に問題ありね」

「そうかい?」

「そうよ。まさか生クリームでデコレーションできないでしょう? 考えてみて。このトルテの上に大きな蝋燭が二本突き刺さるの。中心にはデコレートペンで 『二十歳のお誕生日おめでとう、愛するケーテ』。飾りはモミの葉とミモザの砂糖漬けに――そうね、ジョシュアのトナカイとハンス・サンタの砂糖菓子かしら?」


 わたしの手振りつきのふざけ言葉に、ハンスは一応腕組みをして考えこんでくれた。うーんと唸る声がとまっても、眉がしかめられたまま元に戻らないのに笑いがこぼれる。


「まあ一日二日、家が甘ったるい匂いに占領されるくらい我慢するさ。せっかくおまえが帰ってくるんだからな。

 何をそんなに遠慮してるか知らんが、たまの用事で町にきてもそそくさと小屋へとって帰って泊まってくれないおまえが、この時期ばかりは十日も我家にいてくれるんだ。あれや町の者たちだけじゃない、わたしだってその日が待ち遠しくて、店頭の飾りやプラカードマン、プレゼント用品の売り出しなんかからイブが近付くのを考えるたびに、子供にまじって小躍りしたくなるよ」


 このハンスの言葉に、わたしは食べるのをやめてフォークを皿の上に戻した。告げるには今がいい機会だと思いつつも、彼を失望させることになると思うとなかなか勇気が出ない。

 ためらい、机上に視線を落としたわたしを不審に思ってか、ハンスが下から覗きこむように小首をかしげた。


「そのことだけど……イブには予定が入ってしまったの。これは予想外のことよ、もちろん」


 後ろで、ついつい言い訳をしてしまう。彼やおばさんがわたしの訪問をいつも心から楽しみにしてくれているのを知っているだけに、罰の悪い思いがして俯いた。


「いつも通り、ちゃんとお世話になるつもりで、お客は一切とっていなかったの。でも……」

 話している間も、この事にハンスがどう思うか気になって、ちらちらと下から彼を盗み見てしまう。まるで小さな子供のようだと自分でも思った。悪気はないの、ただ他にどうしようもなくなっただけなの、だからどうか怒らないでと無言の言葉をぶつけている。

「でも、お昼からがだめになっただけなの。イブの夜には必ずお邪魔するわ。早く済めば、もちろん夕方からだって行けると思う。たとえどんなに遅くなっても、必ず行かせてもらうから、だから、あのっ」


 彼が無言でいることにわたしがあわてているのだと気付いたハンスは少し間をおいて、それから手を広げた。


「いやいや、年頃の女の子がイブの日に家にこもってわたしらのような老人の相手をしているよりずっといいさ。あれもそう言うに決まってる。

 ただ、少し驚いただけだよ。そうあわてなくていい。わしらに気遣いは無用だよ。優しい子だ、ケーテは」


 椅子から腰を浮かせてわたしの頭をなでるハンスの大きくて厚い手から伝わるぬくもりが胸をきゅうっとしめつけて、わたしは奥歯を噛みしめるしかなかった。


「やはり先の青年に関係があるのかね?」


 ハンスが思い出したようにそう訊いてきたのは、布と糸でぐるぐる巻きにしたワインやら何やらの瓶を箱の中からとり出して、二人して棚の奥へ片している最中だった。

 もう終わった話と思っていたわたしは一瞬何について言われているかわからず、そしてハンスがまだこだわっていたことに内心驚きながらも答える。


「ええ。病床のおとうさまを占ってほしいと言われたの。お仕事の都合でクリスマスまでしか町に滞在できないんですって。遠い所からわざわざ訪ねて来られたと思うと断るのも気がひけて……でも、どうして?」

「うん? いや、あの青年の顔をな、どこかで見たことがあるような気がしてな」


 知っている? ハンスはこの町から一度も出たことがないのに?

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