「ああいう騒々しいものはきらいです」
何やらキナ臭くなってきたいやな予感を、奥歯に力を入れて我慢する。
「郵便夫も訪れないようですし、町から遠く離れた一軒家では、もしものときなど心配ではありませんか? 生活にも咄嗟の入り用ができたときなど不都合が出ると思いますが」
「週に一、二度ハンスが通ってくれますので特に不都合はありません。また、あなたがお考えになっています多少の不自由など、この森で暮らすわたしにとって我慢というほどのものでもありませんし、どうしても必要を迫られた出来事など、この数年間一度もありませんでしたわ」
「ああ、それでですか」
合点がいったような口ぶりで言う。
「ああいえ、主人に相談した際、ハンス=フレーゼにことづてを頼めばいいとも勧められたんですよ。今日にもこちらへ出向くと言っていたそうで。ですが、こういったことはやはりわたし自身の口でお願いしなくては失礼でしょう。
とにかく手紙や電話で連絡がとれない以上、直接お伺いするしかないと、そう考えたのです。ここまで車では入れないし、昨日の雨で道が川になったり木が前をふさいでいる可能性もあるから今日はやめた方が無難だとひきとめられましたが、わたしも向こうに家族と仕事を置いてきている身ですから、そうそうこの地に長居はできないのです。
片道五~六日の行程ですから、せいぜいがクリスマスまで。二十五日には発たないと、会社の新年の催しに間にあいません」
長い 『事情』 説明も、ここで終わりのようだ。わたしの同情を促すように肩を竦めて見せ、だからと話をしめにかかる。
「だから、しかたなし、こういう非礼に及んだわけです、フォルストさん。くる途中、あなたのおっしゃった掲示板の貼り紙の文字はたしかに目にしていましたが、片道二時間以上の道程では、どうしても今の頃でないとお話をきいていただくどころか、午後に間にあうように戻れませんから」
たしかに、とは思う。けれど、青年の語ったこと全てが真実であると信じるのは不可能だった。特に体調を崩した父親など、わたしの同情心を引きつけるために創作したのではないかとの疑いが残る。
いかにもいいところの出である青年が、一人の供も連れず父親と二人だけで国の反対側までやってくるというのも胡散臭い。しかも、いくら切羽詰まったとはいえ下働きの部屋に泊まれるのか?
こういった輩にはへたな同情は禁物だと、今一度気持ちの手綱を引きしぼるつもりで手擦りに触れていた指にきゅっと力をこめる。
「それだけですか?」
わたしは、話を聞く前と変わらない声で訊いた。
「そうです」
青年は率直に肯定し、頷く。そして前言の撤回を望む視線でわたしを見てくる。私は答えた。
「ではなおさらあなたは早く戻られるべきでしょう。きっとおとうさまは見知らぬ地で体を壊しながらあなたがそばにおられないことにさぞ心細い思いをなさっているでしょうから。
今、あなたはわたしなどの占いに気をとられるよりも、おとうさまの身こそ案じられるべきです」
あくまで拒絶を示すわたしの態度に、青年は眉をひそめ、奥歯を噛みしめたようだった。
ここにいたり、はじめて青年の面に苛立ちの色が差す。鋭さを増した眼光に見つめられて、一瞬、たしかに全身の膚が強張った。ほんの瞬間的なものでなければ、わたしは体裁を繕おうとしていることも忘れて瞬時に目をそらしていただろう。そこにこもっていたのはそれほどに強く、相対する者の胸の奥底をこじ開ける感情だった。まるで、わたしの卑怯さを見抜き、糾弾するかのような。
目線をそらし、後ろめたさを暴露せずにすんだのは、それが瞬間的なものですんだがためである。
これ以上関わるのは危険だと、ざわめきだした胸に急ぎ踵を返して戸をくぐりかける。その刹那だった。耳に、青年の独り言のような非難がとびこんできたのは。
「どうやらあなたにははじめから占う気はなかったらしい」
反応を見せてはいけないとは思ったが、思ったときにはもう遅い。足が凍りつき、肩が、それとはっきりわかるほど震えた。
青年の視線が熱く熱した針のように肩に突き刺さってくる。
だめだ、振り返ってはいけない。あと二歩だ。戸は開けている。把手から手を放し、あと二歩、足を動かして閉じればすむ。そうすればわたしはこの出会いに幕を引くことができるのだ。
いつまでも動こうとしない体にじれて、理性が大声でわめきたてる。心臓の鼓動が口から飛び出しそうなほど、胸が熱く脈打って喉を押し上げている。
彼は危険だ。そうくり返す警告に従って強引に石と化したような右足を持ち上げ、一歩前に進める。けれど、続けられた青年の言葉が、いともたやすくわたしの足をその場に釘づけた。
「考えてみれば、それも当然ですね。わたしは先に名乗っているんですから。
その髪も目も、記憶の中の彼女とは似ても似つかないが、やはりあなたはあのマリアの娘だ。クライザーを占うなどとんでもないと、早く追い返したくてたまらないのでしょう!」