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第1話

 小屋は鼠避けのため、地面から人の腰の高さほど浮かせてあった。


 入り口は屋根付きのテラスで、時間待ちをする客ができるだけ気を静め、ゆったりとくつろげるように椅子や小さな机を配しており、けっこうゆとりのある広さだ。

 そこを歩いて渡り、正面、肘の高さまである手擦りに手がけて見た青年は、ちょうど右側にある階段の手擦りに設置してある呼び鈴の紐に手をかけたところだった。


 引いて鳴らす寸前に現れたわたしの気配に青年の方も気付き、顔を上げてわたしを見る。瞬間、わずかだが帽子の下で目を瞠ったのがわかった。

 当然の反応だろう。通り道ですれ違ったはずの女が、装いまで変えて再び目の前に現れたのだから。


「なにか御用ですか」


 わたしは素知らぬふりをして訊く。

 いい歳をした娘が髪も結わずに木の枝で泥の水たまりをガリガリ引っ掻いていましたなどと……しかも声をかけられるまで人の接近に気付かないほど熱中していたのです、なんておまけまでついては笑い話にしかならない。ましてやそれが独り立ちした占い師とあっては、もはや笑う口元も凍りつくというものだ。


 しかし血の巡りの悪い馬鹿も存外世の中には多い。問われた場合の返答ももちろん用意してあったが、青年は機転のきく、頭の回転の早い男のようだった。

 驚きが去るや、すぐにこの状況を楽しむゆとりを得たようで、


「このような早朝にお訪ねして、申しわけありません」


 意図を理解したとの目で、帽子をとって軽く会釈をしながら応える。


「わたしはリオン=クライザーといいます。マリア=フォルストさんはご在宅でしょうか?」

「マリア=フォルストはわたしです」


 返答に、青年は面食らったように見えた。完全に予想を外したという様子だ。


 この反応も十年経た今となってはめずらしいことだ。聞いていたが信じ難かったと言ってくる者が大半で、誰もがどこかしらで耳にしているというのに。しかもこの青年は二十代半ば。どう上に見つもっても三十は越えていないだろう。母を知りながらその死を知らずに訪ねてくる者で、こんな若い客というのもめずらしい。

 わたしは、そのような者たちのために何度となく口にした言葉をくり返した。


「先代のマリア=フォルストは十年前、他界しました。わたしは彼女の死後マリア=フォルストの名を継いだ、彼女の娘です」


 この説明に、青年は納得がいったらしい。神妙な表情で頷いている。

 驚いたことに、他の者たちと違ってとり乱す様子は全くなかった。己の窮地に母を必要としたからこそ、わざわざこのような地まで訪ねてきたのだろうに。その母がもういないことを知って、こんなにも冷静でいられた者ははじめてだ。誰一人例外なく蒼白し、絶句してその場に力なくへたりこみ、ひどいときは泣き出す者まで現れたというのに、彼は、自然にそれを受け入れている。

 なぜなのか、理由を訊いてみたいとの好奇心がちらとよぎったが、深入りは避けるべきとの思いが歯止めをかけた。


「そうでしたか……それは大変失礼を申しました。知らなかったものですから、非礼をどうかお許しください。

 しかし、弱りました」


 最後、何やら思案しているようなそぶりで呟く。

 これであてがはずれたと落胆して帰ってくれればしめたもの、と内心思っていたりもしたのだが、彼との縁はなかなかそう簡単に断ち切れるものではなかったらしい。

 踏ん切りをつけるように息を吐くとやおら面を上げ、こう提案してきた。


「先ほどあなたはマリアの名を継いだとおっしゃいました。ではあなたは相応の能力を持つ占い師であると、そう解釈してよろしいのですね? ならば、あなたに占ってもらうことにしましょう」


 思った通りだ。

 今までの例にもれない言葉で、予想していたとはいえ、くいさがってくる青年に胸の中で舌打ちをしつつ、わたしは誘いの笑顔をつくった。


「その前にひとつお訊きしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、どうぞ。なんでもおっしゃってください」


 わたしの笑みを了承と解釈した青年は、とりたてて注意も払わず笑顔でこの申し出を快諾する。


「あなたはこの森の入り口にある町からいらしたのでしょう?」

「……ええ」


 小首を傾げ、質問の意味を掴みかねるといった様子でとりあえず答えてきた青年に、わたしはできる限りの効果を狙って一呼吸分の間をおき、笑みを消すとともに声の調子を一変させた。


「それで占えとは、また随分と礼儀に欠ける申し出ですね」

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