わたし、ケーテ=フォルストは町から少し離れた森の奥に住んでいる。
背高い樹木が密生して生えており、そのどれもが黒ずんだ濃緑の葉を鬱蒼としげらせているせいか『黒い森』という、聞くからに陰鬱気な名がついていたが、土地の者は誰もその名で呼ぼうとせず、いつ・誰がつけたかもわからない『ささやきの森』との呼び名で通っている。
森の動物たち以外で住んでいるのはわたしだけだ。
一番近い町まで片道二時間という場所にわざわざ住もうとする物好きはおらず、また、果物や食用キノコなどがとれるわけでもないので、わたしと母が居着くまでは薪の蓄えを必要とする秋以外は誰一人として足を運ぼうとしなかったらしい。母と二人で暮らしていた頃は日に二十人から三十人はこの森へおしかけ、人の出入りが激しく活気に満ちていたようだが、その母が十年前に死んでからはそこそこの入りとなり、昔を思い出す静けさが森をつつんでいる。
この森に小屋をかまえておちつく前は、気ままに各地を渡り歩くロマニの一員であった母は、その道では有名な占い師だった。
肩をおおう豊かな黒い巻毛とアーモンド型の大きな目。ふっくらとした唇、蜂蜜色の肌。小枝のような指。とても子どもを産んだとは思えない、すらりとした肢体。
まだ物心つくかつかないかの幼い子供だったわたしの目すらひきつけた神秘的な美貌もさることながら、噂に違わない実力の持ち主であったため、訪れる先々で手厚い歓待を受けたのをうすぼんやりと覚えている。
希代の女占い師・マリア=フォルスト。
母が語る言葉には、誰もが神妙に耳を傾けた。その言葉は『予言』であり、『未来からの忠告』としてうやうやしく扱われ、たとえその地でどれほどの影響力を持つ権力者であったとしても、母の口から生まれ出る言葉を鼻で笑ったりなどしなかった。
占いのあと、どうぞここにとどまってくださいと、決まって彼等は口にした。
求婚する者はあとを絶たず、それが叶わないとなると競い合うように次々と好条件を提案し、ついには公衆の面前で足元に跪いて自分のそばに留まることを懇願する者や、母がいなくては生きていけないと己の喉を突こうとする者まで現れた。
誰もが必死に母を自分のもとへつなぎとめようとしたけれど、母はそのどれもを断固として断り続け、けして心を惑わせたりはしなかったのだった。
束縛を嫌い、季節を追うように放浪することを好んだ母。一緒に旅をする仲間たちの誰もが彼女を魚にたとえた。すなわち、泳ぐことをやめるのは死ぬときだと。
その母を定置へとつなぎとめたのがこの森。
今から十四年前のことだ。
もっとつきつめれば、精霊が住んでいるという言い伝えである。
なんでも身近に危険の迫った者がこの森に入ったとき、精霊は鳥の鳴き声にまぎれ、その者にだけ聞こえる声でそうっと耳元に注意を囁いてくれるのだそうだ。できる限りの用心をしなさい、あなたには危険が迫っていると。
母は、当時世話になっていた町長の館で自分の世話役頭をつとめていたハンスが話してくれたこの言い伝えをとても気に入り、以来占い師はそうあるべきだと口癖のようによく言っていた。
母の最後の姿が今もって記憶に新しいのは、だからかもしれない。
母は自殺したのだ。
真冬の、吐く息も凍るような冷たい雨の中へふらりと裸足で出て行き、翌朝泣いているわたしから事情を聞いて血相を変えたハンスが森の奥で凍死体となっているのを発見した。
その母が小屋を出る間際、眠っていたわたしの肩を強くゆさぶって起こし、言い残した言葉が、
『ケーテ、よくお聞き。
おまえはここにいちゃいけない。ここは精霊の住まう森。
わたしたちはしょせんわたしたちでしかないんだから』
である。
なぜ突然そんなことを口にしたのかは今もって不明のままだ。ただ母はあのとき身も心もくたくたに憔悴しきっていた。その榛の瞳はいつになく暗く陰り、青冷めた膚には子供の目にもあきらかなほど死の闇が濃くまとわりついていた。大きく息を飲み、何かされたわけでもないのに泣き出してしまうほどに。
だからわたしの眠っているうちに何かとんでもないことが母の身に起きて、絶望から出た言葉でないかと思うのだが、悲しいことにあくまでそれはわたしの推測の域を出ない。わたしはまだ思春期に入りたてのうぶな子どもで、母のただならぬ雰囲気に気押されるばかりで、なぜなのか、問うことも止めることもできず、突然の出来事にただ恐怖し、震えているばかりだった。今もって、そのことを悔やんでならない。わたしがもう少ししっかりしていたなら、もしかすると母を支え、思いとどまらせることができたかもしれないのに。
ともかく母はそう告げ、家を出て行き。そして二度と帰らぬ人となった。