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 月日は巡り再びの春。


 静けさの中に命の芽吹く季節がやって来た。

 風の中に冬の寒さの名残はあるが、淡い陽光は柔らかく降り注ぐ。

 雪解け水が密やかに走る音が耳に心地よい。


 ふきのとうが、もったりと土を持ち上げて顔を出す。

 梅はひと足先にと馨しく咲き誇る。白に、紅に。

 山々にはまだ雪が残り、吹き下ろす風は冷たいが、小鳥たちは賑やかに囀って。


「お目覚めあれ」

「お目覚めあれ」


 女房らがかたかたと格子を上げていく音と、ぱたぱたという足音、衣擦れの音が響いていく。

 榠樝かりんは伸びをして御帳台みちょうだいから這い出した。


「朝か」


 昨日も遅くまで書き物をしていた所為せいで、まだ少し眠い。

 堅香子かたかご山桜桃ゆすら角盥つのだらいと手布を持って控える。

 顔ごと突っ込みたい気分だ、と榠樝は思った。


「お止めくださいませ」

「まだ何も言っておらぬ」


「お顔に書いてございます」

「そうか。見られたか。ならば仕方ない」


 欠伸を堪えつつ顔を拭き、髪を梳かされ、身形を整えていく。

 鏡の前、ゆっくりと目を開ければ、完璧な虹霓国こうげいこく女東宮にょとうぐうがそこに居た。


「完璧でございますわ」

「本日もご使者どのとの対面がございます」


 五雲国へ同盟を求める旨の親書を送ってすぐ、返書があった。


 曰く、前向きに対処する。



 それからは何度文書の遣り取りをしただろうか。

 とにかく話し合わねばならないことは山と有って。

 五雲国からの使節も頻繁に訪れることとなった。


 それにより黒鳶夕菅くろとびのゆうすげが案を出した外交施設の建設も始まっている。

 名は遣外館けんがいかんに決まりそうだ。わかり易くて良いとのこと。


 朝餉あさげもそこそこに榠樝は清涼殿せいりょうでん昼御座ひのおましへと向かった。

 摂政せっしょう蘇芳深雪すおうのみゆきは既に控えていて。

 榠樝はゆっくりと座についた。深雪が深くこうべを垂れる。


「女東宮、本日は紫宸殿ししんでんまでお出まし頂きます」

「うむ」


 榠樝は既に二度ほど紫宸殿の南庭にて、五雲国ごうんこくの使者と対面している。

 無論御簾越し、声を聞かせないなど様々な制約はあるものの、女東宮との対面という破格の扱いをしている訳で。


 虹霓国側としては、実に前向きに五雲国との同盟を検討している。


 次はこちらからの使者を五雲国へ遣わすことになっている。

 誰を立てるかも問題だが。


「摂政、五雲国への使者の長官かみの件だがどうなっておる?」


 深雪が頭の痛い顔をした。


「難航しておりますな」

「誰でもよいという訳にはいかぬからな」

「と、申しますより、」


 深雪は甥の表情を思い出し、眉間を押さえる。


「どうした?」

「実に頭の痛い問題でございまして。以前、恋に狂った男は何をしでかすかわからぬと申し上げましたことを、覚えておいででしょうか」


「うん。珍しいことだったのでな」

「まことに……まことに何をしでかすかわかりませぬな」


 盛大な溜め息。

 榠樝は少し黙った。


「……もしかして、紅雨こううか?」


 恐る恐る口に出した榠樝に、深雪は静かに首を振った。


「だけではございませぬ」




 女東宮に恋する男の顔を見てやろうという気概でか、相次いで使者に名を上げる婿がねたち。


「そも、王に謁見できるとも限らぬのだぞ」

「しかし父上、ここは私が行かねばなりますまい!」


 父、躑躅つつじに噛み付く勢いで紅雨は手を挙げるし、紫雲英げんげは紫雲英でやる気である。


「やはり女東宮に相応しいかを判断するには、会わぬことには始まりませぬ。私が見定めなくては」


 などと言って父、菖蒲紫苑あやめのしおんを嘆かせているし。


「バカか、お前が行って何ができる。身の程わきまえろ。国の使者だぞ!喧嘩売りに行くんじゃないんだぞ!」

「でもさたちばな兄上、やっぱ恋敵のツラくらい拝んでおきたいじゃん!」

「その意気だ茅花。行ってこい」

南天なんてんは黙ってろ。ややこしくなる」


 藤黄とうおう兄弟は相変わらずだし。

 珍しいことに縹笹百合はなだのささゆりも乗り気だ。


「私ならば、年齢も立場も申し分ないと思うのです。六家の一角をなす縹の次代の当主として、また女東宮の婿がねとして、私が行かねばと」


 普段のらりくらりとかわしている息子の変貌に、父の苧環おだまきはにこにこと楽しそうだ。

 何事にも積極的にならなかった我が子が、遂に本気になったか、と月白つきしろ家にわざわざ足を運んで嬉しそうに凍星いてぼしに語っていったという。


 凍星は凍星で己が使者に立つのもやぶさかではないらしい。


 仮にも六家の当主が使者に立つなど有り得ないだろうが、本人は乗り気である。もしも選ばれたとしたなら、早々に虎杖いたどりに家督を譲るつもりでいるようだ。

 黒鳶くろとび家は当主夕菅ゆうすげに尻を叩かれ、息子たちが右往左往しているらしいが。




「……そうか、六家の当主、或いは次期当主であるなら、王族でなくとも重要な地位にある者を差し向けたとして、五雲国への圧力に成り得るか」


 ふむ、と頷く榠樝に深雪は嫌そうな顔を向けた。


「次期当主の場合、ご自身の婿がねであることをお忘れなく。つまりは恋敵を差し向けることになりますぞ」


 榠樝は暫し沈黙した。


「……まずいな」

「ええ、とても。血の雨が降るやもしれませぬ。同盟どころではなくなりますな」


「まずいぞ、それはまずい。止めよ」

「それぞれの当主が全力で止めに掛っております。一部を除いて」


「他に丁度良い者は居らぬのか」


 深雪が眉を寄せた。


「縹笹百合が女東宮に想いを寄せていなければ、確かに適任だったのですが、先日、遂に名乗りを上げました故」


 榠樝は袖で顔を覆った。


「恋に狂った若者は、時に何をしでかすか、本っ当にわかりませぬからな」


 深雪は深く深く溜息を吐いた。

 どいつもこいつも恋にうつつを抜かしおって。


「月白虎杖では手に余る。同様に黒鳶花時はなどきもだ。冷静であってくれれば紫雲英辺りが妥当だと思うのだが、あれもあれで私の保護者のような顔をしておるから」


 深雪が感心したように頷く。


然様さよう。よく見ておられますな」

「婿がねだからな!私の!」


 半ば自棄ヤケになって榠樝は声を張る。


「そなたが二人居てくれたら、一人を五雲国へ差し向けるのだが、生憎一人だけだからな。私の側から離す訳にはいかぬ」


 深雪が静かに頭を垂れる。


「熱烈なお言葉、痛み入ります」

「全くだ」


 榠樝は檜扇ひおうぎし折りたい気持ちになった。


「そなたがあと二十若かったら、迷わず婿に迎えていたぞ」


「それはそれは」

「鼻で笑うな」


 昔、誰もが婿にと望み、誰も成し得なかった。

 虹霓国一の傑物けつぶつ、蘇芳深雪。


「私がもしあと二十若ければ、名乗りを上げていたやもしれませぬな」

「ふん、そなたこそ有り得ぬわ。このような小娘の婿になど冗談では無かろう」


 深雪は少しばかり感慨深い眼をして見せた。


「一年前なら間違いなくそう申し上げましたが」


 僅かに、僅かに唇の端が上がる。


「今や立派な女東宮であらせられます」


 榠樝は一瞬目をみはり、次いで花が綻ぶように笑った。


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