皆がひそひそと囁き合う。
凍星は聞こえないふりをして凝と目を閉じていた。
平伏する凍星に榠樝は優しく声を掛ける。
「月白大納言、六花の様子はどうだ」
「畏れ多いことにございます。未だ熱は下がりませぬ」
「心配であろうな。
びくりと震えたかと思うと、凍星は涙を零し平伏した。
「勿体なき、お言葉を賜り……」
榠樝が慌てた。御簾から転がり出て来そうな様子だった。
「泣くな泣くな。家族は大切にせねば。幼子なら猶更だ。早く持って行ってやるといい。回復を祈って居るぞ」
このように心優しい少女に、自分は何を言おうとしたのだろう。
凍星は酷く自分を恥じた。
ほんの少し前まで、心など凍らせたつもりでいたのに。
感情など無いものとして、榠樝に五雲国へ嫁すよう話を持って行くつもりだったのに。
天恵人参を大事に抱え、凍星は邸へと戻った。
あらましを伝え天恵人参を渡すと、棕晨星は即座に薬を煎じ始めた。
「暫くはこれで安心でございます」
福徳延寿丸のおかげで六花の呼吸も落ち着き、やがて熱も下がるだろうことが見て取れる。
棕晨星はほっと丸く息を吐いた。
「女東宮の説得は、できぬ」
凍星は酷く消耗した表情で棕晨星を見た。
棕晨星も静かに凍星の視線を受ける。
「徳の高い方でございますね。下の者に大切な薬種を、しかも自分の分を分け与えるなど……」
凍星は頷いた。
「あの方は、前王と同じだ。己の身を削っても、他者を助けようとなさる。私はもう、これ以上あの方を裏切れぬ」
凍星を見、己の手を見、棕晨星は深く長く、息を吐く。
「そろそろ観念のし時かもしれませぬな」
凍星は驚きはしたがどこか納得もしていた。棕晨星ならばそうするだろうと、心のどこかで思っていた。いや、願っていたのかもしれない。
その夜から、月白凍星は書を
それは何日も続き、とても長いものになった。
薬湯の種類を変え、榠樝は今日もまた眉を顰めてそれを飲み干す。
「
涙目の榠樝に杜鵑花が苦笑して頭を下げた。
「申し訳ございません。薬種としては甘いものに入るのですが、女東宮がお感じになる味は苦いかもしれませんね」
「なにそれ。酷い」
「やはり蜂蜜か
不満そうに首を振る榠樝に、堅香子が苦笑する。
「意地をお張りになると、後でお辛い思いをしても知りませんよ」
「だって私は童ではないもの」
「はいはい。そうでございますね。榠樝さまは甘いものが好きなだけでございました」
む、と榠樝は唇を尖らせる。
「ところで杜鵑花、六花の薬なんだけど、天恵人参も無限にあるわけじゃないし、何か他の、ほら、この前話した
杜鵑花は少し首を傾げた。
「月白の若君の体質によりますので、私は何とも。ただ、もしも代替品として効果があるなら、棕先生が当に気付いておられるとおもうのです」
「それもそうか。でも意外と抜けてることってあるじゃない。大事なことに一点集中しすぎて、当たり前のことを忘れちゃうような」
「何か忘れていらっしゃいました?」
堅香子の台詞に榠樝は思い出さなくてもいいことを思い出し、頬を染めた。
「……思い出した。うん。もう少し、忘れておくことにする」
「なんですのそれ」
堅香子と杜鵑花の軽やかな笑い声に少しだけほっとして、榠樝は一つ伸びをする。
「じゃあ、寝るとするわ。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
「おやすみなさいませ」
次の日。霊芝延命湯に必要な薬種を手に、杜鵑花は月白邸を訪れた。
「という訳で、福徳延寿丸の代わりに霊芝延命湯を処方しては如何でしょうか。天恵人参の代わりに黄精を使用すれば、可能かと思うのです。棕先生ならもう思い付いておられるかもしれぬと、出過ぎた真似とは思ったのですが、
棕晨星は目を
「女東宮に」
「渦中の者は己が足元さえ見えぬ程焦っているかもしれぬから、外からの助言は有難いものだと」
杜鵑花は頭を掻いて少し眉を下げた。
「天恵人参の代わりになるものを、女東宮は探しておいででした。いざという時に代わりになるものが無いと、命取りになるとの仰せで。勿論、天恵人参の栽培方法も継続して模索なさるそうです。土壌開発からですから、何年かかるかもわかりませんが。私たち薬師や医官がその折々に代替品を提示できたなら、きっと道は開けると思うのです。例えば今回の天恵人参と
棕晨星は暫く黙考し、深く頷いた。
「全く以て仰せの通りですな。霊芝延命湯、良い考えと存じます。使ってみましょう。そうか、天恵人参の代わりに黄精を。確かに。確かに」
杜鵑花はほっとしたように微笑み、頷いて。
二人手を取って固く握り合った。
「ありがとうございます、杜鵑花どの。福徳延寿丸にのみ目が行っておりました。霊芝延命湯という選択肢があったことにすら気付かぬ有り様で。本当に何とお礼申し上げたらよいか」
「いえ、まだ若君のお身体に適応するかわかりません。その後にございますよ」
棕晨星は六花の体質を知り尽くしている。
幾らかの配分を変えれば、霊芝延命湯はきっと良い効果を生むだろう。
六花の体調は程無く安定したという。
そして。
凍星は数日を掛けて書き上げた長い長い文を読み直し、折り畳み、立て文にした。
そして、そっと文箱に仕舞い紐を掛ける。
月明かりが、細く白く文箱を照らしていた。
「月白凍星さまより文が参りました」
どんよりと重い雲が空を覆っている。今日は雪が降りそうな天気だ。
文箱を開け、榠樝は少し眉を寄せた。
封を切る前から緊張感のようなものが漂っている。
「暫し、一人にしてくれ」
人払いをし、榠樝は文を広げ、読み始めた。