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 棕晨星しゅしんせいは手を尽くしたが、天恵人参てんけいにんじんが無いことには福徳延寿丸ふくとくえんじゅがんは作成できない。

 月白六花つきしろのりっかの容体は悪くなる一方で。

 月白凍星いてぼしは出仕を止めて六花の側についていた。




 榠樝は清涼殿せいりょうでん昼御座ひのおましで難しい顔をして考え込んでいた。

「天恵人参の不作までは虹霓国こうげいこくではどうにもできぬからな」

 しかも輸入先は五雲国。現在一触即発の危うい関係でもある。

 摂政蘇芳深雪すおうのみゆきはやはり難しい顔をして頷く。

「ですが天恵人参は我が国にとっても重要な薬草でございます。やはり栽培の方法を模索するべきかと存じます」

 右大臣菖蒲紫苑あやめのしおんが首を振る。

「それは前王さきのおう陛下の時に失敗に終わったではありませんか。虹霓国に天恵人参は根付かぬのです。土地の相ばかりは如何ともし難く」


 天恵人参は五雲国の特産品であるとても貴重な薬種だ。

 それこそ喉から手が出るほど欲している者は数多い。

 そして、虹霓国では何度試しても根付かなかったものでもある。


「あの時は失敗したが、此度は成功するかもしれぬ」

「費用も時間も掛かり過ぎるのです」

「では右大臣はどうしたらよいと思われるのだ」

「それは……」

 榠樝はぱしんと檜扇ひおうぎで手を打った。

「争っても埒が明かぬ。誰ぞ良い手段は思い付かぬか」

 ざわめく場、すっと手を挙げた者が居る。

はなだ中納言苧環おだまき。何か良い手段が?」

 苧環は穏やかに微笑む。


「天恵人参が駄目なら、他の物を使えば宜しゅうございます。幾らかの薬では天恵人参の代替品が使われると耳に致しました。変えられるもので、我が国でも栽培可能なものを典薬寮に命じ、育てさせては如何でしょう」


 場はまた騒めいた。

「そのように簡単に行くのか?」

「無茶を申される」

「いや、良いかもしれぬ」

 榠樝は頷く。

「前に天恵人参の代わりに黄精を使うという薬の話を聞いた。霊芝延命湯れいしえんめいとうというそうだが、そういう風に代わりになるものを育てさせよう」

 深雪が不審な表情をして紫苑と顔を見合わせる。

「女東宮は何故そのようなことをご存じなのですか?黄精というものは寡聞かぶんにして存じあげませぬが」

「うん。前に少々気になることがあって医官に聞いたのだ。黄精は地黄じおうともいい、我が国でも栽培されているという。補血、強壮の薬として、貧血や虚弱体質の改善に使ったり、血が薄くて体力がない者、血が濃厚でいて打撲時に内出血しやすい者にも処方するそうだ」

 深雪が感心半分、呆れ半分の微妙な表情で榠樝を見る。まるで薬師見習いかのようだ。

「よくもまあそこまでご存じでいらっしゃる」

「少々興味があってな」

 榠樝は少しだけ得意げに顎を反らせた。が、すぐに真面目な表情に戻って続けた。


「渡来の物は貴重で珍重せねばならんが、我が国で代用できるものを作っておらぬと、入って来ない時に酷く困るな。自給自足が肝要だ。特に生命に直結する食べ物や薬や、そういったものをだ」


「御意」

「同時に天恵人参の栽培も進めてくれ。摂政の言った通り、此度は前回から学んだことが生かされ、上手く行く可能性が皆無であるとは言えぬだろう。土地の改造は酷く手間だが、試してみる価値はあると思う」

 多大な財を投資したとしても、成し遂げられればそれ以上の益が出よう。






 凍星は苦し気な六花の額の汗を拭いてやる。

 熱に浮かされ意識は無い。

 凍星は祈るように呟く。


「……知左ちさ。四郎を守ってやってくれ」


 そっと棕晨星が入出する。手にした盆には薬湯と吸い飲み。

「福徳延寿丸では無いのだろう。効くのか」

 黒く隈が浮き、酷くやつれた表情の凍星に棕晨星は薬湯を差し出した。

「こちらは殿にでございます。お飲みくださいませ。お倒れになられます」

「六花は」

「こちらを」

 吸い飲みを見れば琥珀色の液体が揺れていた。

「気休めにしかなりませぬが、咳が抑えられまする。さすれば体力の消耗を少し遅らせることができます故」

 凍星が頷くと、棕晨星は六花をそっと抱き起し、吸い飲みを咥えさせた。

「さ、若君。少しずつ、お飲みなされ。少ぅし息が楽になりまする」

 六花は薄く目を開いて困ったように微笑む。

「苦いの、いやだあ」

「大丈夫。甘みを加えてございます」

 恐る恐る一口含んで、六花は眉を下げた。

「あんまり、苦くない」

「はい。さ、慌てず」

 凍星は凝と二人を見詰めていた。睨み付けるような強い眼差しだった。

「ちちうえ」

 六花がなんとか微笑む。

「ぼく、だいじょうぶよ。だからおしごと、いってください」

 女東宮をお助けして。と言い残して、六花はすとんと眠りに落ちた。

 棕晨星は上掛けをそっと直し、凍星に向き直る。

「お話がございます。ここでは若君に障りましょう」

 凍星は頷くとそっと御簾を上げ、廊下に出た。

 静々と棕晨星が従う。




 二人は寂寥せきりょうとした庭に降りた。

 赤や黄色に染まった葉は散り始めていた。

 冷たい風が頬を刺すように通り過ぎる。かさかさと音を立てて枯れ葉が転がっていく。


 重い口を開き、棕晨星が述べた。

「五雲国よりの使者を追い返した件にございまするが」

 凍星は頷きもせず視線だけで先を促す。

「やはり彼の王は女東宮をお望みです。何とかせよとの仰せでございました」

「何とかせよも何も、どうにもできぬ」

「説得に成功すれば天恵人参に困ることも無くなると」

 凍星が深く溜息を吐いた。

「どうしろというのだ」

「女東宮が五雲国へ嫁ぐ方向へ議論を導くようにとのことです」

「無理難題だな」

 棕晨星は深く深く溜息を吐く。


「説得できなければ天恵人参を今後一切輸出せぬとまで仰せでした」


 ぎり、と凍星が唇を噛んだ。

「六花と女東宮を天秤に掛けよということか」

 棕晨星は頷いた。

「こちらの立場はわかっているのだろう。六家の一当主に過ぎない私が、女東宮をどうにか出来るはずなど無いのも、わかった上での言だろう。私の息子の命が惜しければ何としてでも女東宮を動かせと……!」

 榠樝をどうにかしたとして、その後に摂政の蘇芳深雪が立ちはだかる。

 どうあっても女東宮が五雲国へ輿入れすることはあるまい。

 だが、天恵人参が手に入らない今、六花の命は風前の灯火。

「上手く運べば、虹霓国内に確保してあるものをすぐにでもお渡しできるそうです」

 棕晨星の台詞に、凍星は崩れ落ちるように膝をついた。

「知左……」

 苦し気に、血を吐くように凍星が呼ぶ。

 今、傍に居てくれたら、と。


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