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 こっそりと。榠樝かりんは内裏を抜け出した。

 供に付くのは左右近衛大将さうのこのえのたいしょうの二人。蘇芳銀河すおうのぎんが藤黄南天とうおうのなんてん

 三人ともが身をやつして、少々おかしなことになっている。


 榠樝は殿上童てんじょうわらわ姿の男装。角髪みずらに結って誤魔化しているが、長さが長さだけに頭が大きく見えてしまっている。

 それが却って子供っぽいと言えるかもしれないが。

 銀河は束帯だが五位の武官の服装だし、南天は褐衣姿かちえすがたの下級武官だ。


「変な一行で却って目立つんじゃ?」


 南天の台詞に榠樝はむ、と唇を尖らせた。

「女房装束では目立ち過ぎるし、壺装束つぼしょうぞくは動き難いと言ったのはそなただぞ」

「そもそも女東宮がお忍びで出掛けるなど、あってはならぬことなのですが」

 銀河の冷静な突っ込みがぐさりと突き刺さる。

「その割に、よく協力してくれたな。感謝する」

 銀河はちらと榠樝を見、吐息した。

「目の届かぬ所で無茶をされるより数段マシですな」

「相済まぬ」

「心が籠っておられませぬな」

「いや、心から申しておる」


 ちぐはぐな二人の会話に南天が笑うのを必死で堪えている。

 銀河はにこりともせず宣言する。

「そろそろです。お覚悟を」

 南天は腰の太刀を確かめ、榠樝は顔を引き締めた。


 いよいよ対面である。




 榠樝がその部屋に入った時、ソナムは板敷の床に円座わろうだを敷き、こうべを垂れて控えていた。その傍に控えるのは男が一人だけ。

「ソナムにございます。今は亡きナルニティタム、光環国こうかんこく最後の王の、従姉妹にあたります」

 用意された兀子ごっしに腰掛け、榠樝の左右に銀河と南天が控えた。

「虹霓国女東宮、榠樝である。おもてを上げよ」


 ぴり、と痛いくらいの緊張が走った。

 ソナムの隣に控えている男が放った殺気のような空気に、榠樝の頬がぴくりと引き攣る。


 南天が一歩前に出、それを榠樝が制した。

 ソナムが顔を上げ、少し驚いたような表情を見せる。

 榠樝が男装だからだろうか。それとも想像よりも幼かったのだろうか。

 問いたいことはたくさんある。

 だが、まず第一に聞かねばならないことは。


「何故、我が国を襲った?」


 途端にソナムの顔が歪む。隣に控えていた男が勢いよく顔を上げた。

「畏れながら申し上げます。虹霓国を襲う計画を立てたのはこの私、スゲンにございます」

「スゲン、控えよ」

「ソナムさまは最後まで反対しておられました。そのことをどうか、お心にお留め置きくださいますよう、お願い申し上げます」

 南天は目を細めた。まるで凍てつく矢のようで、スゲンに深く突き刺さる。

 銀河がちらと南天を窺い、けれどこちらも刃のように冷たい視線だった。

 視線だけで切り刻めそうだ。

 榠樝はす、と息を吸う。


「留め置こう。その上でもう一度問う。何故、我が国を襲った」


 ソナムは苦し気に眉を寄せ、けれど静かに語り始めた。

「ナルニティタムは五雲国に滅ぼされ、今は我が叔父が領主として支配しております」

 長い話になりそうだった。榠樝は居住まいを正す。

 真剣に聞こうとしている様子にだろうか、少しソナムの表情が緩んだ。


「ナルニティタムを取り戻すべく、我らは海賊をしながら諸島を放浪しておりました。同志を集め、散らばった民を拾い、五年掛かりましたが、船団と呼べるほどの規模になったのでございます」

 そして、とソナムは続ける。

「我らには拠点が必要でした。五雲国よりナルニティタムを取り戻すための拠点が」


「それで我が国の北方、斑鳩いかる島に目を付けた。丁度王が亡くなり、不安定と見える虹霓国の端ならば落とすにやすいと」

 ソナムは肯いた。

「はい。当初、虹霓国本土を脅かすつもりはありませんでしたが、勢いに乗る者たちを止められなかったのは私の咎です。多くの者を犠牲に致しました。貴国の民も、我らの民も、多くが失われました。どうぞ、お望みのままに処断して頂きたく思います」


 榠樝は止めていた息をゆるゆると吐き出した。

 息を詰めて聞いていたのだ。

「ソナムどの」

 榠樝は穏やかに問い掛けた。


「貴方はまだ、祖国を取り戻すために戦いたいか?」


 ソナムの瞳が揺れる。

「取り戻したくないと申し上げればそれは嘘になります。けれど、私はもう、これ以上犠牲を出したくない。どうか、私の首級一つで収めて頂けないでしょうか」

 スゲンがぎゅっと唇を噛んだ。

 きっと、止めても彼はソナムの後を追い、自ら命を絶つだろう。

 忠臣。

 決意が透けて見える程。

「ソナムどの」

 榠樝がゆっくりと言葉を紡ぐ。


「貴方の命、私が貰い受ける」


 銀河と南天が驚いたように榠樝を見る。

 意外な選択だったからだ。

 榠樝がソナムを処断するとは思っていなかった。

 ソナムがそっと目を閉じ、スゲンがぐっと歯を食い縛った。


「ついては」

 コホンと咳払いをし、榠樝は宣う

「その首もろとも身体ごと、虹霓国の為に使わせて頂こう」


 その場の誰にとっても予想外の言葉に、全員が狼狽える。

 榠樝はにこりと笑って見せた。

「光環国、ナルニティタム、の民は海と深い結びつきを持つ。そして海防や操船術にも長けていると聞く。それを是非とも生かして貰いたい」

「え、は?」

 状況が呑み込めぬソナムの横、スゲンが床に叩き付ける勢いで頭を下げる。

「感謝致します……!!」

 榠樝は少し視線を泳がせた。

「その為説き伏せなくてはならぬ者が居るのだが、そちらは何とかするので宜しく頼む。ところで、現在我が国が五雲国に狙われているのはご存じか?」

 ソナムとスゲンは肯いた。

「属国として、私を妃に差し出せと言われて追い返したのだが、また来ると思うのだ」

 榠樝の言葉にソナムとスゲンが目を剥き、銀河は目を覆い、南天は溜め息を吐いた。

「ご存じの通り我が国は海防が弱い。切り札の一つにさせて貰う」

 スゲンが口を挟んだ。

「我らを五雲国との海戦に使われるおつもりなのですね」

「少し違う。私は戦を回避したいのだ。その為の布陣を整えたい。……言い方が違うな、ええと」

 榠樝は口元に手を遣り、言葉を選んだ。


「人の命を消費することなく、五雲国に勝ちたい」


 銀河が片眉を跳ね上げた。南天は唖然としている。

「無血勝利を、お望みと」

 ソナムが畏敬の表情を浮かべた。

「そう、それだ。無血勝利。戦闘を行わずに相手を降伏させたり、交渉や策略によって勝利を得る方法があると知った。ならば私はそれを求める」

 榠樝は兀子ごっしから立ち上がり、ソナムに近付いた。

 銀河と南天が慌てるが、榠樝には確信があった。

 手が触れる程近付いても、ソナムもスゲンも動かなかった。


 榠樝の直観。

 この二人は信用できる。


「命を奪うことは容易い。けれど貴方を生かした方が、虹霓国の利になると私は踏んだ」

 榠樝はソナムに手を差し伸べた。

「私の為、虹霓国の為。その命、使って貰う」


 ソナムは榠樝の手を取り、そっと額に押し頂いた。

 恭しく、心からの言葉を口に乗せる。

「ナルニティタム最後の王族、ソナムは貴方に忠誠を誓います。貴方の為に、私のすべてを捧げましょう」

 榠樝はふ、と息を吐いた。


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