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 清涼殿せいりょうでん昼御座ひのおまし榠樝かりんは摂政蘇芳深雪すおうのみゆきと蔵人頭菖蒲霜野あやめのそうやを前に頭を悩ませていた。

「どう思う?」


 右近衛大将藤黄南天とうおうのなんてん寄越よこしたふみは頭を悩ませるに十分すぎる代物だった。

「どう思うと仰せられましても、右大将の僭越せんえつに過ぎると存じますが」

「うーん……だが悪い手段では無いと思うのだ。陣定じんのさだめはかってみてはどうだろう」


 征討軍を率いて北上した南天のいわく、五雲国ごうんこくに恩を売れるかもしれない。

 北の大宰帥だざいのそちの丁寧な文と合わせ、ことのあらましはわかった。



 北方へ襲来した海賊が光環国こうかんこくの残党であったこと。

 その頭目が王女ソナムであったこと。

 虹霓国こうげいこくだけでなく五雲国の者も多く捕らわれていたこと。

 その多くを救出できたこと。

 虹霓国に残りたいと願う一部の者を除いて、多くが五雲国への帰還を望んでいること。

 女東宮の命により、それらを正式に送り届けてはどうか。


 それが一つ。そして更に一つ。

 南天は光環国の王女を、都へ連行したいという。

 榠樝に会わせたいのだそうだ。

 光環国の王女、ソナムを榠樝の配下に置き、海沿いの警備を任せてはどうかと書かれてあった。

 細かい話は直にしたいと、相変わらずの雑な文に榠樝は苦笑するしかないのだが。


 深雪はソナムを都に連行することには断固として反対だという。

「ましてや女東宮に拝謁はいえつなど、有り得ぬ」

 不機嫌極まりない深雪に、榠樝は苦笑を深くするしかない。

「五雲国への人質の送還は悪く無いと思う」

「その点のみ、賛成にございます。ですが亡国の王女を、しかも我が国に攻め込んで来た者を女東宮に拝謁させるなど、断じて、あってはならぬと存じます」

 とても力の入った断じて、である。これを動かすのは難しい。


「王女を人質に取り、光環国の残党に沿岸警備を任せるのは、考えてみても良いかもしれませぬ。裏切れば即刻、王女の首級くびを落としましょう」


「物騒だな、摂政。我が国に今や死罪は無いぞ」

「復古すれば宜しゅうございます」

 どこまでも本気な深雪。

 榠樝はそっと檜扇の影に顔を隠した。

「ひとまずは、五雲国への使節の件、諮らせましょう」

 摂政は陣定に出席はしない。王と同じく決裁者の側であるからだ。

「宜しく頼む」




 陣定は大いに荒れた。

 ともかく、前例がない。異例尽くしの出来事である。


 五雲国へ人質を返還することは良し。

 けれどその際、こちらの有利になる条件をつけるべし。

 余計な刺激をせぬように、顛末だけ伝えて送り届けるのみが良し。


 などなどなど。


 一方の光環国の王女の件は更に熱く意見が交わされた。

「亡国の王族が攻め込んできたのです。無論国外退去させるべきと存ずる」

「いや、上手く利用すれば、右大将の言の如く湾岸警備を充実させられるやも」

「敵として襲って来た相手を信用などできませぬ。反対にございます」

「そこは王女を人質にという摂政さまの案に賛成でございます」

「だが、それで五雲国への備えになるだろうか。或いは逆撫ではしないだろうか」

 ああでもない、こうでもない。


 奏文そうぶんを手にした榠樝は顔を顰めた。

 意見は真っ二つ。

 どちらを選んでも禍根が残る。だが、

「一応の決定は出たのだな。よかった」

 結論出ず、と提出されたらどうしようかと思っていた榠樝だ。

「五雲国への使節は早々に出立させよう。書状は私が書かねばなるまい。北の大宰帥に命じて、大弐辺りを使者に立てるか」

 腰を浮かせる榠樝に、深雪は冷ややかに述べた。

「書状も北の大宰帥に書かせるが良いかと存じます」

 榠樝は少し考える。

「虹霓国の王からではなく、まで海賊を退治し、人質を助けた大宰府からの使節ということか」

然様さようにございます。女東宮は、極力五雲国との接触を避けるべきと存じます」

 静かな深雪の言に、榠樝はごくりと喉を鳴らした。

 それはつまり。


「私では、付け入られる隙を見せそうか?」

「畏れながらその通りにございます」


 御簾の向こうで蔵人頭、菖蒲霜野が眉を寄せた。

 深雪に刺さるような視線を向けているが、当の深雪はどこ吹く風だ。

「女東宮を妃に、などとたわけたことを申す異国の王に、女東宮のお手跡を拝させるなど以ての外。太宰帥でも過分にございましょう」

「……そっちか」

 深雪の台詞に榠樝は思わず呟いた。


 女人が恋文への返信を認めるのはある程度親しくなってから。

 それまでは女房などに代筆させるのが常だ。

 国書は恋文では無いのだけれどなあ、と榠樝は思った。

 まるで過保護な堅香子かたかごのような言い分だ。深雪らしくも無い。


「ともかく、右大将はく帰還させよう。直に聞きたいこともある」

「異論ございませぬ。しかしながら光環国の王女の件は承服し兼ねまする。北の大宰府に留め置くが宜しいかと」

 畏れながら、と霜野が口を挟む。

「いつ逃げられるとも知れぬ北の地に置くよりは、首に縄掛けて右大将どのに連れて来させるのが良いかと存じます」

 深雪が眉を寄せる。

「亡国でも王族だ。何処に心棒者が居るとも限らぬ。もしそのような場面に出くわせば、何をされるかわからぬぞ。いたずらに反感を煽るものでは無い。引いては女東宮の御身にまで関わる」

 霜野は深くこうべを垂れた。

「至らぬことを申しました」

 榠樝は口元に手をやって、考え込む。

 光環国。亡国の王女。五雲国に滅ぼされた国の姫。

「摂政」

「は」

「光環国の王女と、会ってみるのも良いかもしれぬ」

 考え考え、ゆっくりと榠樝は言葉を紡ぐ。

じかに五雲国と相対し、負けた者だ。敵としての五雲国を知るには、私が、虹霓国の王族が、直接に言葉を交わすのも、悪くない手段ではなかろうか」

 深雪の眉間に皺が寄る。深い。だが不快感のそれではなく。

 沈思黙考し、深雪は顔を上げた。

「承知致しました。取り計らいましょう」

「うむ」

 榠樝はぐっと下腹に力を込めた。

 気迫で負ける訳にはいかない。


 相手が誰であろうとも。

 たとえ海賊を率いていた亡国の王女だとしても。

 対面するからには、圧倒してみせなくてはならない。


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