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左右近衛大将さうのこのえのたいしょうが揃う。蘇芳銀河すおうのぎんが藤黄南天とうおうのなんてん。二人が榠樝かりんの前に畏まる。

「海防の備えは少し遅かったか」

苦々しく榠樝が唸る。

「予想より早かったですね」

「まさか斑鳩いかる島の郡衙が落ちるとは」

摂政せっしょう蘇芳深雪すおうのみゆきが眉間に深い皺を刻む。

「海賊は五雲国ごうんこくの者なのか?」

「そう、何所どこの者なのだ?」

南天はがりがりと首を掻き、答える。

「わかりません、としか今の所言い様が無いですね。海賊はもともと何処の国にも属さず、まつろわぬ存在。虹霓我が国の者も居るかもしれませんし、五雲国の者も、或いは光環国こうかんこくの出身者も居るかもしれません」

銀河が頷き補足する。

「ですが通常の海賊は、海上交通の保護と引き換えに金品を要求するくらいの筈。おかにまで攻め上るなど聞いたこともございませぬ」

「確かに。陸の拠点が欲しかったにしても、郡衙を落とす程の武力を持つものなど、今まで耳にしたことはございませんな」

深雪が聞いたことがないというのだから、間違いなく前例の無い事態なのだろう。

榠樝が首を捻る。

「しかし斑鳩郡司ぐんじをはじめ多くの男女が攫われたというが、攫ってどうするのだ?」

「労力の確保でしょうな。また、何処ぞに奴婢ぬひとして売りつけるのかもしれません」

榠樝の眼が零れ落ちそうに見開かれた。

「人を売るのか!?」

「売買は禁止されておりますが、都のいちでもたまにあります。大抵が検非違使けびいしに捕えられ、地元に返されるか、そのまま都で働くかしています。食うに困って自分から身を売る者も居ますね」

南天が何と言うことも無い調子で言い、榠樝は衝撃を受けた。

銀河が南天を肘で小突く。

余計なことを言って女東宮を惑わせるなと、鋭い眼が語っている。

「……何処の者かはわからずとも、我が民を傷付け奪い、また郡衙までをも陥落させし存在をそのままにはしておけぬ」

動揺したままだが、榠樝はまだ冷静な判断ができる。

深雪が頷き銀河を見る。

「征討軍の準備は」

銀河が答える。

「万端とは参りませぬが、すぐにもてます。女東宮、ご命令を」

南天が割って入った。

「おっと、左大将どのはこのまま都の守備を固めてください。北へは俺が、じゃねーわ、私が」

ぎらぎらと輝く双眸は肉食獣のそれに似て、少し怖い。

「南天、そなたが行くのか」

「御意。敵が誰だかまだわかりませんが、海賊と同時に五雲国も攻め入らないとも限りません。左大将にはこのまま女東宮の警護と、残った征討軍の整備をお願い致したく」

深雪が頷く。

「確かに五雲国への備えは変わらず必要でしょう。現在整っている征討軍の半数を北へ、半数を都に残されては」

「北の大宰府軍とも合流すれば、それなりの戦力になります。一度ならずも敗走しているそうですが、将が変われば戦も変わる。私が行きます」

榠樝は逡巡しゅんじゅんし、だが頷いた。

「わかった。藤黄南天に征討軍の半数を任せる。北の海賊らを討ち、見事平定せよ」

「はっ」




深雪が榠樝を振り返る。次にやるべきことは心得ている。

「祭祀の準備であろう?」

榠樝は力強く頷いた。

「御意」

時間的余裕があるのならば、南天も儀式に参加させた後、出立という手順を取りたかったが、ことは一刻を争う。

「右大将に征討軍のことは一任。我らは戦勝祈願をせねばなるまい」

文書でしか知らないこと。戦。その為の祭祀。儀式。やるべきこと。

「まずは精進潔斎だったな」

記憶を手繰り寄せ、榠樝が訊く。蔵人頭くろうどのとう菖蒲霜野あやめのそうやが準備に走る。彼にとっても初めての儀式だ。勝手がわからない。

摂政として蘇芳深雪もやらねばならないことが多い。

神祇官じんぎかん陰陽寮おんみょうりょうに伝達。儀式の準備を。縫殿寮ぬいどのりょうには女東宮の白衣を整えさせよ」

祭祀に纏う白一色の装束は、その度毎に新調するものとされている。

清められた白絹と白糸を使い、精進潔斎した女官たちが縫わねばならない。

かつて使用されたのは恐らくは八〇年は前のこと。

皆、勝手がわからない。

右往左往する者たちに深雪が一喝した。

「狼狽えるな!内記ないきに記録が残っている。その通りに遣れば良いのだ。不明な点は図書寮ずしょりょうを当たれ。まごついている時間は無いと思え!」

的確な指示に安堵しつつ、榠樝は飛香舎に戻る。既に堅香子かたかごみそぎの準備を済ませていた。

「この時期に水風呂など全く以て許し難いのですが、禊では致し方ありません。どうぞお風邪を召しませぬよう」

禊を水風呂と言う堅香子に榠樝は思わず吹き出した。

「こら堅香子。神聖な儀式ぞ。女東宮の大事な役目だ」

「失礼致しました」

禊は祈祷した浄水を湯船に注ぎ、単衣のみを纏ってその水を浴び、身を清めるものだ。

夏に川で身を清めるのとは違う。この時期に行えば確かに風邪を引きかねない。

だが虹霓国の王の大切な役目の一つは、時に荒ぶり時に和む神々を、祟られぬ為に彼是あれこれと祭祀をし、鎮魂慰撫ちんこんいぶし、感謝し祈ること。

王が不在の今、女東宮が行わなければならない。

まつりごとだけでなく、王が為すべき大切な役目だ。

征討軍の勝利を祈り、犠牲者が少ないことを願い、一刻も早い収束を念じる。

「禊の後は白湯と白粥をお召し上がりください」

それも潔斎の内だ。

「ん。では参るぞ」

「御意」




潔斎を済ませた白装束の一団が祭壇に向かって一礼。

神祇伯じんぎはくが榊葉に浄水を含ませ、参列者に向かい振るった。

清らかな水飛沫がきらきらと飛び散る。

そして祭壇の前に進み出て榊葉を献じ、祝詞を奏上。龍神を祭壇に迎え入れる。

続いて榠樝が進み出た。新しい装束は、縫い上げられたばかりの艶やかな白絹である。

戦勝を願う祝詞を奏上し、加護を願う為の祈りを捧げる。

巫女が勝利を象徴する鏑矢を祭壇に捧げ、次いで舎人たちが米や酒、魚や果物などの供物を捧げた。

供物を捧げた舎人らが下がり、神楽が奏される。

奉納舞は五人。巫女四人と、中央に榠樝だ。

静々と舞う巫女たちに、平静を装って榠樝が続く。

正直間違えていないか不安だ。

しかも中央。一番目立つ位置である。努めて冷静に、沈着に。厳かに。榠樝は舞う。

これで大丈夫なのだろうか。龍神さま、努力は認めてください。

などと余計なことを考えながら、なんとか奉納舞を終えた。

著しい間違いは無かったはずだ。

たぶん。

神祇伯が再び祝詞を奏上。龍神に天への帰還を願い、儀式は終了する。

山桜桃ゆすらがそっと囁いた。

「舞の半ばで、上げる御手が反対でしたわ」

榠樝はそっと首を振る。

「気持ちが大事。心は込めた」

自身に言い聞かせるような榠樝に山桜桃は頷いたが、堅香子はこっそり思った。

最後の拍子もズレていた。

(まあでも従兄弟どのなら何があっても大丈夫でしょう。きっと)

絶大なる信頼を寄せ、堅香子は南天の無事を祈った。


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