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足りない。足りない。何もかもが足りない。

榠樝かりんは焦る気持ちを抑えてぎゅっと拳を握り締めた。

もっと賢ければ。

もっと力があれば。

もっと大人であれば。

もっと。もっと。もっと。


「すべてを覚えなくとも、必ずお役に立つ官がお傍におります。それらを見極め任せるのも女東宮の大切なお役目ですよ」


いつぞや、東宮学士とうぐうがくしがくれた言葉を思い出す。

榠樝は強く握り過ぎて爪の痕がついた掌を見た。

皮膚が破れて血が滲みそうだった。

足りない力を補ってくれる味方。

堅香子かたかごが居る。杜鵑花さつきが、紫雲英げんげが、山桜桃ゆすらが居る。

典薬頭てんやくのかみや東宮学士、陰陽師の賢木さかきも居る。

また菖蒲家と黒鳶家は少なくとも敵では無いと証してくれた。

おそらくは藤黄家も。

そして勿論のこと、榠樝を支持してくれている六家以外の官も居る。


一人ではない。


手を軽く握り直し、胸を押さえる。

一人ではない。味方が居る。

だがまだ少ないのも事実だ。

派閥争いをしている訳ではないが、きっと女東宮にょとうぐう榠樝を支持する者は、摂政せっしょう蘇芳深雪すおうのみゆきを支持する者よりずっと少ない。

もしも表立って榠樝と深雪が対立したならば。

おそらく榠樝は勝てはしない。

もっと味方を増やさねば。

もっと勢力を拡大させねば。

摂政、蘇芳深雪に対抗できるだけの力が必要だ。

もっというなら、深雪が味方になってくれるだけの説得力を持つことが必要だ。

神輿は一人で歩けない。

担いでくれる者を増やさねば。




「という訳で、だ」

飛香舎ひぎょうしゃ。いつもの場所でいつもの面々。

堅香子、山桜桃、紫雲英と、おまけに万寿麿まんじゅまろ。額を突き合わせて作戦会議だ。

「味方を増やすにどうしたらいいと思う?」

紫雲英が手を挙げた。

「賢木の言ったように、貴方に龍神の加護があるならば公にすべきと私は思うが」

堅香子が続いた。

「それをあかしするには陰陽寮おんみょうりょう神祇官じんぎかんの宣が要りますわ。つまりは芋づる式に役所二つがつきますわね。もう既に陰陽寮は女東宮にょとうぐうに龍神の加護ありと宣を出しておりますし、となれば神祇官を何とかするだけで済みますわ」

榠樝は少し眉を寄せる。

「もう少し、見える力で足元を固めてからの方がいいと思うんだ。なにしろ加護は目に見えないから」

山桜桃が思案する。

「だとしたら、やはり六家すべての誰かは押さえておきたいですわね」

「確実に味方なのは、菖蒲あやめ家の私、黒鳶くろとび家の山桜桃、藤黄とうおう家の堅香子か」

「わたくしは藤黄と言っても端くれですわ。押さえるならばやはり本家を押さえねば」

「あら、茅花つばなどのは明らかに榠樝さまに首っ丈ですわよ?」

山桜桃の台詞に堅香子が額を押さえた。

「確かにめろめろですが、茅花どのでは力不足に過ぎます。軽佻浮薄けいちょうふはくで、本当に優しいだけが取り柄の方ですのよ。まあ、武芸はそれなりにできなくも無いですけれど、規格外の南天なんてんどのがいらっしゃるので全然目立ちませんしね」

「……言い方」

榠樝がそっとたしなめる。

「まあ、南天どのも榠樝さまを好ましく思っておいでですし、二人合わせれば、まあなんとか補えなくもないのではないかしらーとは思えなくも無くは」

紫雲英が苦笑する。

「相変わらず点がからいな」

藤黄うちよりもはなだの方が近しいのでは無いのですか?ご昵懇じっこんの笹百合どのは?」

榠樝は微妙な顔をする。

「着かず離れず、が縹だから。笹百合も親しくはしてくれるけれど」

少し寂しそうに俯いて、榠樝は言う。

「いつ手を放されても仕方ないと思っている」

「まあ!」

堅香子が目を吊り上げ、山桜桃が柳眉を逆立てた。

「榠樝さまにそんなお顔をさせるだなんて、許せませんわ」

「笹百合どのはきっと味方だと信じておりましたのに」

笹百合が一気に株を落とした気がする、と紫雲英はこっそり思った。

榠樝も感じたのだろう、慌てて弁解する。

「いや、応援してるって言ってくれてるし、笹百合は悪くないし、私が勝手に思っているだけだから、そうでないかもしれないし!」

堅香子と山桜桃は揃って首を振る。

「いいえ、榠樝さまにそんなお顔をさせてしまうというだけで駄目ですわ」

「ええ、榠樝さまに不安を抱かせる時点で駄目ですわ」

どこかで笹百合がくしゃみをしている気がする。

困ってしまった榠樝に、堅香子が少し表情を戻した。まだ険はある。

「ですがやはり落とすのでしたら笹百合どのですわね」

「ですわね」

山桜桃と堅香子は頷き合って、榠樝と紫雲英は顔を見合わせて。

肩を竦める。

「何だかんだ言って、笹百合どのは最終的には榠樝さまをお守りすると思いますわ」

「今まで育んできた絆がありますもの。という訳で、残るは蘇芳すおう月白つきしろだけになりましたわ」

「何だか無理矢理な気がするが」

「気の所為せいですわね」

「そ、そうか」

コホンと一つ咳払いをして紫雲英が発言する。

「月白はこう言っては何だが、今回の婿がねのくらべにも消極的だ。蹴鞠会けまりえでも小弓合こゆみあわせでも、寧ろ目立たぬようにしているようにさえ見えた」

山桜桃が半眼になる。

「それをいえば我が黒鳶の花時どのも控えめに過ぎましたわ」

肯き、紫雲英が重ねて言う。

「両家は王家に楯突く気も取り入る気も無いのかもしれない。いや、黒鳶は山桜桃を送り込んで来たか」

「ご挨拶ですわね。私は自分で決めて参りましたのよ」

口論の気配を感じ、榠樝が慌てて口を挟んだ。

「ということは残るは蘇芳だけだな」

「つまり、ですわ榠樝さま」

山桜桃がぐいと顔を寄せる。榠樝は気圧され仰け反った。

「蘇芳紅雨こううどのを味方に引き入れなさいませ」

「だが、深雪の甥だぞ?」

山桜桃と堅香子と、顔を見合わせて二人、似たような笑みを浮かべて見せた。

端的に言って、怖い。

「甥だからこそ、宜しゅうございます」

「そうですわ。落としてしまいましょう」

嫣然と微笑む二人の美女。

榠樝と紫雲英は気圧されて震える。

なぁん、と万寿麿が気の抜けた声で鳴くのが、なんとも不似合いに思える空気だった。


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